2020年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

岡崎藝術座『+51 アビアシオン, サンボルハ』

2015年03月01日号

会期:2015/02/13~2015/02/20

STスポット[神奈川県]

役者が3人。聞いて、記憶して、すべての言葉を抱えて芝居の進行を追いかけるには多すぎる台詞。役者たちは、そんな台詞を口にしていきながら、観客の心に、ペルー、メキシコ、沖縄という街の景色を浮かび上がらせていく。役者たちがある感情を宿したキャラクターに扮し、その感情を闘わせるという(よくある)芝居ならば、理解はしやすい。しかし、神里雄大の書く台詞は、詩のようでもあり、ドラマのナレーションのようでもあり、とはいえそれらのどちらともいえない、語り手の身体的な熱も帯びていて、不思議な角度で観客に迫ってくる。「演劇を通じ、乳首を出した社会を見つめ」など詩のような言葉は、すぐには飲み込めず、だから「乳首」という言葉が異物として浮遊する。それと、場所やものの固有名が目立つ。「那覇」「久高島」「大宜味村」など場所の固有名は、「タブレット」「ダークスーツ」「チェーホフ」「失神」などの名詞とともに混ざりあい、独特の情景をつくり、心を満たす。話の大筋は、神里本人を連想させる主人公が「メキシコ演劇の父」と称された日本人・佐野碩と、夢幻的な仕方で沖縄で出会い、また金融業で財を成した神内良一のエピソードがペルーの地で語られるというもの。この三者の関連は、物語としては掴みにくく、またすべての舞台上の出来事を線で結ぶようなことはできそうにない。その点では難解だろうし、易しい芝居ではない。けれども、ストレートにずしんと言葉が届く感じがあって、この感じは見過ごせない。声を発するひとの言葉のリズム、ろれつに、聞き手として体を委ね、ついていく。ついていけなくなるところもあり、またそれもふくめて、声の主体に触れることを観客は促される。細かい台詞のなかの葛藤や社会や歴史の問題以上に、そのことにこの劇の倫理的側面を感じた。

2015/02/18(水)(木村覚)

2015年03月01日号の
artscapeレビュー

文字の大きさ