artscapeレビュー
関かおり『マアモント』
2015年03月01日号
会期:2015/02/09
横浜にぎわい座 のげシャーレ[神奈川県]
2010年に初演され、2012年のトヨタ コレオグラフィーアワードでは次代を担う振付家賞を獲得した『マアモント』。本作はその再演になる。白い舞台空間に現れるのは、白いダンサーたち。じっくりゆっくりとした動作は、ダンサーたちを見たことのない奇怪な動物に変容させる。振り付けを与えることでダンサーを人間ではないなにかに変えるという試みは、バレエにもモダン・ダンスにもあるいは舞踏にもあるし、伝統的な芸能にもあるものだ。それぞれの試みには異なるそれぞれの目的があり、それぞれ別種の達成を目指している。関の目的はなんだろう。たんなる記号としてのモンスターではなさそうだし、わかりやすい恐怖でも美しさでもないようだ。おそらくそれは、別種の生物の「気配」を出現させることなのではないか。気配は目に見えるものではない。見えるもののなかでただ察せられるものだろう。この「察知」の感覚を観客から引き出すこと。関がそこを目指していたとすれば、それは特異な芸術的挑戦であろう。数分のパフォーマンスが終わるたびに暗転し、再度照明がつくと別のパフォーマーがすでに動作をはじめている。それはまるで、珍獣を次々と「スライドショー」で観察しているかのようで、観客席も含めた劇場空間が博物学の教室になったのかと錯覚するような、不思議な感覚に襲われた。気配の出現のための緻密な努力はいかほどのものだろう。ただ、欲をいえば、もっと緻密であってほしかった。関の抱く美意識を想像するに、きっともっと到達したい高みがあるはずだ。すべてのダンサーからそのような気配を感じられたかというと、そうは言い切れない。目指すべきイメージと達成されたものとのギャップを感じてしまうこともあり、そういうときには、CGが高度に発達している現在、あえて人力で未知の生物を劇場に出現させる意味があるのかとつい思ってしまう。いや、そうではないのだろう、ダンサー(人間)こそが「気配」を生み出せる媒体なのだ。でも、本当にそうなのか、CGのクオリティーがダンサー(人間)を上回る日が来るのかもしれない。と、こういう対話がつい心のうちで起きてしまうのだが、ひょっとしたら、目指すべきイメージ(完成形)を見る側が推測してしまうから、CGとの比較なんてことも考えてしまうわけで、イメージを推測させないなにかを踊るのならば、そこをかいくぐれるのかもしれない。
2015/02/09(月)(木村覚)