artscapeレビュー
女川の現在
2017年02月15日号
[宮城県]
「カーサ・ブルータス」の取材に同行し、1年ぶりくらいに女川と七ヶ浜の被災地へ。毎回、感じることだが、女川は訪れるたびにどんどん風景が変わる。すでに地形も道路も変わり、まったく別の街に生まれ変わったが、高台にあった病院が、9m近いかさ上げのため、だいぶ低い場所に見えるようになったことに改めて驚く。新しい高台には新庁舎を建設中であり、駅前の商店も増えた。前は存在しなかった直通の道路から運動公園にアクセスでき、その脇にピカピカの復興住宅が並ぶ。かつての陸上グラウンドの内側にも復興住宅が建設されており、このあたりは被災後の居住エリアだ。野球のスタジアム内にあった坂茂によるコンテナを積んだ仮設住宅はまだ残っていたが、ほぼ空になっており、解体予定らしいので、今回が見納めかもしれない。なお、海辺の震災メモリアルのエリアは、まだ整備中だった。当然ながら生活の復興を優先するためである。
女川は復興が早く、全国の自治体から視察が来ているが、もはや完全なニュータウンである(特に平日は、一般人よりも、視察の人が多いようにさえ見える)。現在は坂茂が設計した女川駅から海に向かって象徴的な軸線をつくり、その両側に商店街、海辺がメモリアルになっている。3.11前には、こうした都市デザインはなかった。駅がもっと海側に位置しており、むしろ海に平行する道が幾重にも走っていた。また海が見えなくなるような防潮堤をあまりつくらないよう、大幅に地盤をかさ上げする方針を立てたことによって、女川は凄まじい地形改造が行なわれた。もとの高さにある震災遺構の交番が、地下に見えるため、発掘現場のようである。それにしても、ほかに横倒しになったビルがいくつも存在していたが、結局3.11の記憶はこれだけしか残らなかった。民間所有のものを保存するのは難しいのかもしれないが、もう少し震災遺構を残すことはできなかったのだろうか。
《シーパルピア女川》
2018/01/24(土)(五十嵐太郎)