artscapeレビュー

KG+SELECT 2019 福島あつし「弁当 is Ready.」

2019年04月15日号

会期:2019/04/12~2019/05/12

元・淳風小学校[京都府]

近代日本の植民地支配、アメリカの銃社会、性的マイノリティ、高齢化社会など、社会性のあるテーマを扱った作品が多く、充実していた今年の「KG+SELECT 2019」。KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭の同時開催イベントであり、公募から選出された12組のアーティストが元・淳風小学校の各教室で展示を行なう。最終的にグランプリに選ばれた1組は、来年のKYOTOGRAPHIEの公式プログラムに参加できる。

今回のグランプリに選ばれた福島あつし「弁当 is Ready.」は、高齢者専用の弁当屋の配達員をしていた福島が、2004年から10年間にわたり撮影した写真群で構成されている。「配達員」から次第に、カメラを介して老人たちと1対1で向き合う関係性を築き上げていく過程が、10年間の厚みとともに示される。それは、「高齢化社会」「独居老人」「孤独死」といった社会問題を提起しながら、「生きる」ことの根源についても触れる力に満ちていた。

とある住宅の玄関先を写したショットから展示は始まる。汚れた布団とそこからはみ出した羽毛、その白い埃のような羽毛にまみれて横たわる老人。積み重なった新聞や、累々と連なるゴミ袋の山、床に散らかった空の弁当箱。ドアの向こう側にあるのは、異臭と孤独の匂いが強烈に立ち込める世界だ。(おそらく多くは独居の)老人たちの居住空間に、「配達員」として足を踏み入れ、次第に接近していく福島を追体験するように、展示は展開していく。配達された弁当を、背中を丸めて一人で寂しく食べる老人たちの姿は、斜め後ろや横からのアングルで撮影され、彼らに対する距離感や「孤独さ」が強調される。老人たちの表情は見えないか陰に暗く沈み、雑然と散らかった室内も写し込むことで、「独居老人」「高齢化社会」といった社会問題を告発するが、分かりやすい紋切り型のイメージに留まる点は否めない。



© Atsushi Fukushima

しかし、福島のカメラは次第に、ひたすら無心に懸命に「食べる」老人たちの表情に真正面から対峙していく。硬直した身体を傾げながら、新聞紙をよだれかけ代わりに首に巻きつけ、弁当を食べる老人。鼻にチューブを通した老人が見上げる窓のアルミサッシには、自らを鼓舞するかのように、「生命力」という言葉がマジックで書かれている。ぎこちなく握ったスプーンでご飯にかぶりつく老人は、「それでも食べるんだ」という強い意志を無言で発する。彼らの身体になおも宿る生命力の強さや生への意志が垣間見える瞬間であり、告発調のドキュメンタリー(のメッセージの持つ単調さ)から一歩も二歩も踏み込んだ。そこには、「配達して終わり」の関係から、日々通うなかで時間をかけて関係性を築き上げながら、老人たちに対する視線を徐々に変化させてきた福島自身の変化が写し取られている。

ただ、展示方法には相反する両面を感じた。「額装した写真を、床から少し浮かした低い位置に水平に並べる」という展示方法は、ベッドや床に力なく横たわる老人たちの身体の水平性や物体的なあり方を反復するという点では効果的だ。だがその一方、観客が「上から見下ろす」視線のあり方は、 社会的弱者である彼らを文字通り見下ろすという点で、視線の暴力性を強く感じさせる。床に散乱したゴミやゴミ袋の写真も多いが、それらゴミと老人たちを等価に眼差す構造を誘発してしまうのだ。(ホワイトキューブではなく、元小学校の教室という展示空間の難しさもあるが)、「床と水平かつ低い位置」という展示方法は、イレギュラーであるだけに諸刃の剣となる可能性もある。
シリーズとしては撮影は終了しているというが、来年のKYOTOGRAPHIEの公式プログラムへの参加も決定している。展示方法やプリントの大きさを含め、より練り込んだ発表をさらに期待したい。



会場風景

公式サイト:http://kyotographie.jp/kgplus/2019/

2019/04/14(日)(高嶋慈)

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