artscapeレビュー
ライオネル・ ファイニンガー展
2009年02月15日号
[愛知県/宮城県]
すでに名古屋の展覧会で一度見ていたが、宮城に巡回したものを再び見る。ここにはクレーやカンディンスキーなど、ドイツ近代を扱う学芸員がいるので、ファイニンガーが来るのは順当といえる。ファイニンガーは一般的に、バウハウスの共同宣言の挿絵で光の大聖堂を版画で描いたことで知られ、愛知の常設でも展示されていたが、僕もそれくらいしか知らなかった。近代美術史の位置づけとしては、キュビスムの影響を受けた画家の一人なのだろう。彼は経歴が面白い。アメリカからドイツに行き、またアメリカに戻っている。もともとは風刺漫画を描いていて、その時から漫画的な空間のねじ曲げ方やデフォルメなど、ある種の抽象化の感覚はあった。ヨーロッパに移住し、キュビスムやドイツの近代美術、建築に影響を受け、バウハウスにも関わることになる。バウハウスの中世的な共同体志向は、彼の大聖堂の絵とも連動する。面白いことに、途中から橋やローマ時代の水道橋など、土木工事や建築を描くことが好きになり、人間を描かなくなる。都市や建築の風景が多くなり、画面が複数の光の層に分解して、クリスタル的な面となり、世界を再構成する。直接的な影響はないだろうが、ザハ・ハディドが香港のザ・ピークというコンペで全く違った形で街を極度に抽象化して表象しており、それと同じ意味で極めて建築的。
ハレというドイツの街から依頼を受け、しばらく大聖堂を描いているが、そのときは完全に独特の抽象世界である。彼がまだ見ぬニューヨークの摩天楼を抽象化したかのようだ。つまり、ファイニンガーはヨーロッパにおいて古い建物を見ながら、ヒュー・フェリス的な「明日のメトロポリス」を描いたといえる。退廃芸術だとされ、ナチスに追われた彼は、結局アメリカに戻り、無名な画家に戻ってしまう。ファイニンガーはクリスト同様、補助線の引き方がうまく、海に浮かぶ船の補助線をうまく描いたりしている。晩年、ニューヨークの絵などを描いたが、ハレの街を描いた30年代の方がよい作品である。摩天楼が出現する前にヨーロッパに渡り、アメリカに帰ってきたら摩天楼が出来ていた。
2009/01/21(水)(五十嵐太郎)