artscapeレビュー

2020年02月15日号のレビュー/プレビュー

記憶の珍味 諏訪綾子展

会期:2020/01/18~2020/03/22

資生堂ギャラリー[東京都]

アートの題材に食を扱うことは危険をややはらむ。もう何年も前、フードアーティストの諏訪綾子の展覧会を初めて観たときに、食べ物をこんな風に大胆に扱っていいものかと動揺した。そんな感想を持つ人はほかにも少なからずいるはずだ。おいしいとか、栄養や健康的とか、オーガニックとか、一般的な食に対する見方とは異なるアプローチで、諏訪は食に向き合う。詩的で美しく、ときに毒々しくてまがまがしい。これが絵画や彫刻ではなく、食だからこそ、きっと多くの人々の心を打つのだろう。鑑賞者は味覚、嗅覚、触覚、視覚、ときには音楽による演出で聴覚までを総動員して、作品と対面するからだ。鑑賞者の常識を揺るがせながらも、これがフードアートの強みと言える。

展示風景 資生堂ギャラリー[撮影:加藤健]

本展はそのなかでも嗅覚に焦点を当てた内容だった。展示室中央に円いテーブルが設えられ、それを囲むように八つの「記憶の匂い」が支柱上に展示されている。円いテーブルの周囲は「『記憶の珍味』をあじわうリチュアル・ルーム」で、ここでときどき、パフォーマンスが催される。私は偶然にもそのパフォーマンスを観ることができたのだが、これが噂通りに幻想的で面白かった。周りの照明を落としたなか、テーブル上だけにスポットライトを当て、白い衣装を着た諏訪が着席者一人ひとりに「記憶の珍味」を振る舞う。金箔が貼られた大きな葉や百合の花びらなどの道具や食器類は、すべて自然物を3Dスキャンしスケールを変えてつくられたものだと言う。諏訪の艷やかな風貌もあいまって、やや怪しげな魔女の儀式のように見えて仕方がないが、これは茶道や香道のように自然を尊びながら美意識を共有し、着席者が感性を研ぎ澄まして「記憶の珍味」を味わえるようにするための演出なのだと言う。パフォーマンス終了後、私も実際に八つの「記憶の匂い」を嗅いでみた。香木のような匂い、甘酸っぱい匂い、アンモニア的な刺激臭など、それぞれどこかで嗅いだ記憶があるようなないような、いったいこれは何の匂いだろうという思いが頭のなかをぐるぐると駆け巡る。気になったひとつの「記憶の匂い」をスタッフに伝えると、「記憶の珍味」を味わえる別室へと連れて行かれる。私が選んだ「記憶の匂い」は、チケットによると「孤独と自由」だそうだ。爽やかななかにどこか草のような湿った匂いが現われる点に引っ掛かったのだ。さらにここからが強烈だった。スタッフの指示通り、真っ暗な個室に入り、小さな光に近づいてその前に立つ。これから体験する人のためにあまり多くを明かさないが、とにかくひとりでこんな状態で立っていたら、もう心臓がドキドキして恐怖すら覚えてしまうような仕掛けが待ち受ける。そしてようやく「どうぞ」という合図が流れ、「記憶の珍味」を食べる。口腔内を通して嗅ぐ匂いは先ほどよりも強く、まさに匂いを味わう体験だった。それにしてもこの匂いにまつわる私の記憶が何だったのかが、いまだよくわからない。アロマオイルにしても、私は樹木や草の匂いに惹かれるのは確かだ。子どもの頃に近所の公園や保育園の庭で遊んだ記憶と結びついているのか。ひとりっ子で内気な性格だった私はひとりでよく遊んでいた。まさに「孤独と自由」だったのかもしれない。


公式サイト:https://gallery.shiseido.com/jp/exhibition/

2020/02/06(木)(杉江あこ)

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モダンデザインが結ぶ暮らしの夢展

会期:2020/01/11~2020/03/22

パナソニック汐留美術館[東京都]

大量生産品だけでは飽き足りない思いを持つ人が徐々に増えてきた昨今、工芸やクラフトという言葉が再注目されている。民藝運動に興味や関心を抱く人も絶えることがない。では、日本が大量生産へと舵を切ったのはいつだったのか。その原点を解き明かすのが本展だ。

1928年に輸出振興のため国が商工省工芸指導所を仙台に設立し、1933年にドイツ人建築家のブルーノ・タウトを顧問として招いたことから物語は始まる。文化や芸術のパトロンだった事業家の井上房一郎、もともと、フランク・ロイド・ライトの助手として来日し、その後も日本で活躍した建築家のアントニン&ノエミ・レーモンド夫妻、ブルーノ・タウトから家具デザインを叩き込まれた剣持勇、レーモンド建築事務所に勤めた後、家具デザイナーに転向したジョージ・ナカシマ、そして彼らと交流のあった彫刻家のイサム・ノグチと、戦前の1930年代と戦後の1960年代の二期をまたいで、日本のモダンデザインの幕開けを俯瞰する。

展示風景 パナソニック汐留美術館

展示を観ていくと、この時代、彼らは日本の工芸手法や素材使い、日本の伝統建築や生活様式を決して否定したわけではなかったことがわかる。これらの上に立ちながら、いかに合理的で機能的なモダンデザインを取り入れ馴染ませようとしたのか、その苦労の跡がうかがえるのである。タウトもレーモンドも日本文化の理解者であったし、おそらくゆっくりと地続きで工芸の量産化が進んでいたに違いない。ならば、大量生産が急速に進んだのはやはり戦後の高度経済成長期だったのか。

見どころは、タウトがデザインした工芸品や建築作品である。タウトというと桂離宮をはじめ日本文化を再評価した人物として知られ、書物もたくさん残しているが、日本では建築家としての手腕をあまり発揮できなかったようだ。国粋主義へと突き進んでいく世の中で、その行為が利用されてしまったのである。だからこそ現存する数少ない作品がとても貴重だ。日本の工芸ではあまり見ない卵殻螺鈿を施した角箱や丸箱、竹製の家具、またアジア貿易商人、日向利兵衞の別邸離れとして設計した「旧日向別邸」の写真や映像が見応えあった。「旧日向別邸」は日本の伝統建築を基本にしながらも、広い舞踏室があり、また、階段を5段ほど上がったオープンスペースには客室があるなど、実にユニークな空間構成なのである。さらに真っ赤に塗られた壁、手すりに曲げ竹が用いられた階段、天井からいくつもぶら下がる豆電球と、ユニークな要素は尽きない。もし日本が第二次世界大戦に参戦し敗戦することなく、またGHQに占領されることなく、戦前のスタイルのままゆっくりとモダンデザインを模索していたならば、どうなっていただろう。ふとそんな別の歴史を妄想してみるが、それはまったくせんないことである。

ブルーノ・タウト《卵殻螺鈿角形シガレット入れ》1935、群馬県立歴史博物館蔵

ブルーノ・タウト「旧日向別邸」1936[撮影:斎藤さだむ]


公式サイト:https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/20/200111/

2020/02/06(木)(杉江あこ)

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宮﨑裕助『ジャック・デリダ──死後の生を与える』

発行所:岩波書店

発行日:2020/01/24

博士論文を元にした前著『判断と崇高──カント美学のポリティクス』(知泉書館、2009年)に続く、宮﨑裕助(1974-)の2冊目の単著。著者がこの10年間、雑誌や論集に発表してきたデリダ論に加筆修正を施し、それに「生き延び」ないし「死後の生」という統一的なテーマを与えたのが本書である。

ここ数年、日本語でもようやくデリダについての充実した研究書が読めるようになった(亀井大輔『デリダ──歴史の思考』[法政大学出版局、2019年]、マーティン・ヘグルンド『ラディカル無神論──デリダと生の時間』[吉松覚・島田貴史・松田智裕訳、法政大学出版局、2017年]など)。しかしその反面、いまなおコンスタントに翻訳が続けられているデリダの著書は(おもに金額的に)一般の読者には入手しづらい状況にあり、世代を近しくするドゥルーズやフーコーとくらべると、若い読者にとってはいささか接近しがたい印象があるように見える。たとえばここ数年だけでも、講義録『獣と主権者』(西山雄二ほか訳、白水社)や論文集『プシュケー──他なるものの発明』(藤本一勇訳、岩波書店)といった待望の邦訳が成ったが、大部であり複数刊にまたがるという事情もあってか、いまひとつ読書界からの反響に乏しい。加えて、これまでに翻訳されたデリダの主著がほとんど文庫になっていないことも、大きな問題である。

そうした状況のなか現われた本書は、後期デリダについての入門的な内容を含み、同時に昨今の研究動向を踏まえた本格的な研究書でもあるという点で、画期的なものである。前述のように、過去に発表された学術論文が元になっているだけに議論の水準は高い。しかし同時に各章で扱われるのは、国家、労働、友愛、家族といった、われわれの多くにとって身近な──少なくとも馴染みのある──主題ばかりである。著者は、デリダの迂回に迂回を重ねた議論をただこちらに投げ出すのではなく、先に挙げたようなテーマをめぐる核心的な問いを「デリダとともに」立てつつ、それを「デリダとともに」よりふさわしいかたちで練り上げる。デリダに深く精通しながら、まったくデリダ的ではないその論述のスタイルが、読者をテクストのより適切な理解へと導いてくれるだろう。

なかでも、本書においてもっとも興味深いテーマは、著者がデリダから引き出してくる「生き延び(survie)」の思想であろう。序論において適切に示されているように、デリダの晩年にとりわけ顕著になるこの「生き延び」の思想は、直接的にはベンヤミンの翻訳論に遡ることができる。詳細は本書の記述に譲るが、そこで繰り返し強調されているように、ここでいう「生き延び」ないし「死後の生」とは、あくまでも言語によって媒介されるかぎりでの「生」の姿であり、その思想は実存的ないし生物学的な含意をもった(いわゆる)「生の哲学」とはまったく異なるものだ。いまなお編纂の途上にある生前の講義録や、それに関わる国内外の研究状況を見据えつつ、デリダを通じて本書が示すのは、そうした有機的ならざる「生」をめぐる刺激的な洞察なのである。

2020/02/11(火)(星野太)

ロドルフ・ガシェ『脱構築の力──来日講演と論文』

編訳者:宮﨑裕助

発行所:月曜社

発行日:2020/01/31

2014年11月、ニューヨーク州立大学バッファロー校の哲学者ロドルフ・ガシェ(1938-)が来日し、国内の複数の大学で講演を行なった。評者もそのいくつかに参加したが、ハイデガーやアーレントの精読を通じて一見ささやかな、しかし内実としては大胆かつスリリングなテーゼを打ち出していくその講演スタイルは、昨今の学術的な催事においてすっかり失われた光景であるように思われた。

その来日講演の原稿を再録し、関連するいくつかの論文を収めたものが本書『脱構築の力』である。本書は大きく前・後半に分かれ、第Ⅰ部「デリダ以後の脱構築」にはデリダとアメリカ合衆国におけるその受容を論じた「脱構築の力」「批評としての脱構築」「タイトルなしで」の3篇が、そして第Ⅱ部「判断と省察」にはアーレント論「思考の風」とハイデガー論「〈なおも来たるべきもの〉を見張ること」の2篇が収められている。「批評としての脱構築」(1979)と「タイトルなしで」(2007)をのぞく3本の日本講演は、来日後に上梓された英語の著書にそれぞれ組み込まれているようだが、それでもこれらが日本語オリジナル論集として1冊にまとめられたことの意味は小さくない。それはなぜか。

本書の「はじめに」から、ガシェが脱構築について述べた印象的な一節を引いてみよう。それによれば、主著『鏡の裏箔──デリダと反省哲学』(1986[未訳])や本書所収の「批評としての脱構築」をはじめとする「これらの著作のすべてにおいて」論じられているのは、脱構築とは「どんなテクストにも無差別に適用できるような文芸批評の方法」ではなく、「テクストの自己反照性や自己言及性を論証するというよりも、反照作用の可能性と不可能性の条件として当の反照作用から逃れるものへの探究に存している、紛れもなく哲学的なアジェンダを伴ったアプローチなのだということである」(9-10頁)。

この一節に端的に示されているように、ガシェは脱構築をたんなる「文芸批評の方法」として受容する──とりわけアメリカを中心に広まった──趨勢に抗い、あくまでそれを「哲学的なアジェンダを伴った」アプローチであることを訴える。そして、デリダその人の思想を(俗流の)「脱構築」と同一視することに明確に反対する著者の関心は、デリダにおける「思考」の特異なステータスへとむかう。それをひとつの問いのかたちで練り上げるとすれば、デリダにとって「思考するとはどういうことなのかを浮き彫りにすること」(11頁)こそが、ここでのもっとも重要な課題となるだろう。先にふれたアーレントの「判断」やハイデガーの「省察」をめぐる論文もまた、こうした「思考」の問題の延長線上にある。むろん、ガシェがデリダと二者の議論を同一視しているわけではないが、著者が「批判的警戒」と呼ぶもの(デリダ)と、アーレントおよびハイデガーの議論(「判断」および「省察」)は、その問題意識においてたしかに通底している。

対象とするテクストの綿密きわまりない解読に支えられた各論文は、読者にもそれなりの粘り強さを要求する。ホメロスやカントの言葉にあるように(第4章「思考の風」)、たしかに思考は「風」に擬えられるほど「迅速」で「非物質的な」ものである。しかしその──アーレントによれば「破壊的な」(187頁)──思考を伝達可能なものとしてくれるのは、「迂遠」で「物質的な」テクスト以外にあるまい。いずれにせよ、そうしたことへの連想をうながすガシェの日本講演が、5年あまりの時を越えて書物のかたちで刊行されたことを喜びたい。

2020/02/11(火)(星野太)

カタログ&ブックス | 2020年02月15日号[近刊編]

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スポーツ/アート

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定価:2,000円(税別)
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2020/02/14(金)(artscape編集部)

2020年02月15日号の
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