2020年10月15日号
次回11月2日更新予定

artscapeレビュー

2020年10月15日号のレビュー/プレビュー

川口幸也編『ミュージアムの憂鬱 揺れる展示とコレクション』

発行所:水声社

発行日:2020/06/25

コロナ禍による休館や展覧会の延期。東京五輪・パラリンピック関連事業である障害者の芸術活動支援事業と、その延期がもたらす影響。「あいちトリエンナーレ2019」での「表現の不自由展・その後」の展示中止。国立初の先住民族文化の展示施設として、ウポポイ(民族共生象徴空間)内に開館した国立アイヌ民族博物館。広島平和記念資料館のリニューアル。大阪人権博物館(リバティおおさか)の閉館。そして、福島県双葉町に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」。ここ1年ほどの国内のミュージアムをめぐる状況変化を見れば、展示と収集によって「正史」を語る、近代に誕生した権力装置としてのミュージアムについて、私たちは一度立ち止まり、提起された諸問題について本質的な議論を行なう転換期にある。こうした状況下で出版された本書は、「ミュージアムがもつ多面的な役割について、功と罪の両面から、いま一度洗い直してみる」(編者あとがき)という目的で編まれ、示唆に富む。「ミュージアム─権力と暴力の器」「展示という『かたり』」「ミュージアムの来し方」「拡散するミュージアム」の4章で構成され、美術史、ミュージアム・スタディーズ、文化人類学、文化政策などの研究者や学芸員ら計14名による論考集である。


本書の論点は多岐にわたるが、上述の時事的要請との関連としては、国内の美術館の内/外で起きた展示撤去やクレームの事例の検証、アウトサイダー・アートの展示における「物量主義」の批判的検証、二風谷アイヌ文化博物館を事例に先住民観光とミュージアムの関係を論じた論考がある。

特に読み応えがあるのが、「表現の不自由展・その後」展示中止についてキュレーションの観点から多角的に検証し、「キュレーションの論理的一貫性を保つ必要性」を述べた鷲田めるろと、合衆国ホロコースト記念ミュージアムの写真展示を事例に共同体の災厄と記憶の継承について論じた横山佐紀の論考である。横山論考は、ホロコーストのメモリアル・ミュージアムにおける「痛ましいイメージ」の横溢について、「残虐な写真」の撮影主体が展示の文脈において曖昧化・不在化されていることを問題視する。「観客は、展示を通して、誰の視点に同一化させられているのか」という本質的な問いは、ホロコーストに限らず、「(美術史の、ナショナルな共同体の)語るべきナラティブ」を選別/排除するミュージアムという制度に対して向けられるべきであり、ナショナリティ、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、階級などの構造的差別の再生産に与することを反省的に自覚しつつ、どのようにその克服と視点の相対化に転じていけるかが問われている。横山論考は、写真すなわち視覚的イメージの(大量)展示に代わり、生き残った当事者の語る「声」を聞き、証言を身体的に受け止める経験を重視する。これに異論はないが、9月20日に開館したばかりの「東日本大震災・原子力災害伝承館」では、「語り部」の口演内容に対し、国や東京電力への批判を含めないようにという要請があったと報道され、事実上の事前検閲といえる事態が発生している。「公(立施設)=政権」である事態がますます加速するのか、議論を開く批判的契機となりうるのか。「ミュージアムの功罪」が問われるのは、本書の読了で終わりではなく、これからである。

2020/09/21(月)(高嶋慈)

本間真二郎『感染を恐れない暮らし方 新型コロナからあなたと家族を守る衣食住50の工夫』

発行:講談社ビーシー講談社
発行日:2020/06/09

「7月末をピークに緩やかな減少傾向にある」と分析された、国内の新型コロナウイルス感染者数。しかし秋冬に向け、さらなる流行が来るに違いないと予想されている。現に、欧州では第二波とも言うべき流行が始まった。戦々恐々とする気持ちもあいまって、「新しい生活様式」はもはやすっかり馴染み、外出時にマスク着用は当たり前、3密を避け、ことあるごとに手を消毒する日々である。だが、一方で、私のなかでふつふつとある疑問が湧いては消え、消えては湧くのだった。その疑問に的確な答えを導いてくれたのが本書である。

「新しく登場してくる感染症に対しては、身のまわりをどんなに滅菌・除菌しても、どんなに薬を飲んでいても、どんなにワクチンを打っても防げないことは、毎年流行しているインフルエンザや、今回の新型コロナウイルスを見てもあきらかです」。そう、消毒はウイルスに一時的には有効であるが、消毒のしすぎも実は良くないのだ。なぜか。それは手の皮脂や皮膚にある常在菌が過度な消毒により大きなダメージを受け、ひいては自分自身の免疫力や抵抗力を下げることになるから。そもそも細菌やウイルスなどの微生物はあらゆる環境に存在する。それらは人間の敵でもなんでもなく、一部はなくてはならない共存関係にあり、また地球の生態系を担う大事な要素でもあるのだ。だから新型コロナウイルスへの最大の防御法は、微生物を排除せず、自分自身の腸内細菌を元気にし、免疫力を高める暮らし方をすることと著者は説く。まさにそのとおりだと腑に落ちた。

この著者は大学病院などに長年勤務してきた医師で、NIH(米国国立衛生研究所)にてウイルスやワクチン研究に携わった経験があり、現在は栃木県の診療所で地域医療に従事しながら、自然に沿った暮らしを実践する人物である。現在のパンデミックを俯瞰して捉えると、実はシンプルな結論に行き着くことを、本書を読んで思い知った。感染症にかかって重篤化するか否かの分かれ目は、ウイルスの強さでもなんでもなく、結局、自身の免疫力次第なのだという。また感染症に限らず、病気になるということは、これまでの“不自然な”暮らし方に何か問題があった結果であるともいう。ウイルスはその引き金に過ぎない──。世界中で、一度、立ち止まって自身の暮らしから地球環境までを考えるときがやって来た。

2020/09/23(水)(杉江あこ)

アイヌの美しき手仕事

会期:2020/09/15~2020/11/23

日本民藝館[東京都]

日本のなかでも北海道と沖縄は特別な地である。まるで外国のようだと思うのは当然で、かつてそこには先住民が独自の言語と文化を持ちながら暮らしていたからだ。言うまでもなく、北海道にはアイヌ民族が、沖縄には琉球民族がいた(現代にもその子孫がいる)。どちらも明治政府によって奪われた民族だからこそ、民俗学的な視点でつい物珍しく見てしまうが、それだけでは真に理解したことにはならない。日本民藝館で開かれた本展は、柳宗悦らしい「民藝」の視点でアイヌを尊く見つめた内容だった。

アイヌというと、真っ先に思い浮かぶのが、あの独特の文様である。渦巻紋(モレウ)、棘紋(アイウシ)、目紋(シク)と呼ばれる文様は、水の波紋や風のうねり、炎など自然事象を抽象化したものだとされている。柳は「模様で吾々は自然への見方を教わる。よい模様は自然をかく見よと教えてくれる」と評する。さらに「よい模様のない時代は自然をよく見ていない時代だとも云える」とも言う。その点でまず、柳はアイヌが残した文様に奥深い美を見出したのではないか。アイヌの人々はこれらの文様を思い思いに組み合わせて、男性は木彫りに、女性は刺繍に生かした。その様子が垣間見られるさまざまな木工品と衣装が展示されていた。

イラクサ地切伏刺繍衣裳(テタラベ) 丈116cm 樺太アイヌ

木工品のなかで、いったい何だろうと目を引いたのが「イクパスイ」と呼ばれるヘラのような平たい棒(俸酒箸)である。これは儀礼の際、神に酒を捧げるのに使われた祭具で、杯の上に渡して置かれる。人と神との仲立ちをする役割があるそうだ。しかし展示ケースにいくつものイクパスイが並んだ様子は、木彫りの見本といった風で、非常に興味深く眺めた。一つひとつの形やサイズ、文様、彫りの手法、朱漆の有無などがまちまちで、どれも思い思いに作られた様相を呈しており、何とも言えぬ力強さがみなぎっていた。また衣装も同様だ。樹皮の繊維を糸にして織った布を着物や羽織りに似た形に仕立て、その表面に細く切った布を並べて縫い付ける「切り伏せ」と呼ばれる手法で文様を施し、さらに刺繍を施す。和服にはない大胆な装飾方法に、圧倒的な力強さを感じた。厳しい自然環境のなかで、神とのつながりを大切にしながら生きてきたアイヌの文化には、質素で野趣にあふれた美学がある。彼らの手仕事を通して、その一端を知る機会となった。

刀掛け帯(エムシアツ) 静岡市立芹沢銈介美術館蔵

煙草入れ(オトホコホペ) 高7.0×横12.0cm 静岡市立芹沢銈介美術館蔵


公式サイト:https://mingeikan.or.jp/events/

2020/09/25(金)(杉江あこ)

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JAGDA新人賞展2020 佐々木俊・田中せり・西川友美

会期:2020/09/08~2020/10/15

クリエイションギャラリーG8[東京都]

日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)が、年鑑出品者のなかから、今後の活躍が期待される39歳以下の有望なグラフィックデザイナーに贈る「JAGDA新人賞」。その展覧会を今年も観に行った。今回選ばれたのは、佐々木俊、田中せり、西川友美の3人。電通に所属する田中が手がけた企業ブランディングやロゴデザインなどは想定内の作品であったが、残り2人の作品に関しては様子が何か違っていた。特に西川の作品は異色を放っていたと言うべきだろう。そもそも西川は第19回グラフィック「1_WALL」グランプリ受賞者で、その際の個展「dou?」の一連作品やツールを主に出品していたこともあり、イラストレーションの作品が大方だった。そのイラストレーションがシンプルなようで、なんとも強烈な個性を放っていたのだ。地面に寝そべった姿勢を取りながら、ほのかな笑顔を正面に向けた、人間なのか動物なのかわからないキャラクターたち。脱力しているのか、挑発しているのかも判別がつきづらく、見る者に戸惑いを与える。そんなテイストのイラストレーションが商業施設や百貨店のポスターにも採用されていたので、なお驚いた。1960〜1980年代頃、イラストレーターがグラフィックデザインの仕事を請け負い、輝いていた時代があったが、西川はその流れを汲むのか。いや、きっと新しい流れなのだろう。

展示風景 クリエイションギャラリーG8[写真:藤川直矢]

また佐々木は、詩人の最果タヒとの仕事にその個性がよく表われていた。ブックデザインやポスターのほか、目を引いたのは美術館の企画展出品作品「詩の標識、あるいは看板」である。原色使いのグラフィックデザインのなかに言葉を収めた立て看板のような作品は、その言葉を体感的に届けるのに成功していた。最果タヒの鋭くとがった、透明感のある言葉が空間の中に漂っているようで、不思議な感覚を覚える。この大胆な原色使いが、佐々木の得意とする手法なのか。西川と佐々木の作品は、どこか人の心をざわつかせ、引っかかりを生む。そこが「様子が何か違っていた」と感じた点だ。スマートなグラフィックデザインが台頭する現代において、この感覚はなんとも新鮮だった。

展示風景 クリエイションギャラリーG8[写真:藤川直矢]


公式サイト:http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/2009/2009.html

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2020/09/25(金)(杉江あこ)

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mimacul『Katastroke』

会期:2020/09/25~2020/09/27

THEATRE E9 KYOTO[京都府]

ダンサー・文筆家の増田美佳が主宰するユニット、mimacul。韓国、日本、インドネシアの伝統舞踊の踊り手3名と増田自身が出演する本作は、受け継がれてきた「型」の習得である伝統舞踊と、「型」を否定し個人的身体から出発するコンテンポラリーダンスとの対比や対話をテーマとしている。

本作の構成はシンプルで、金一志(韓国舞踊)、若柳吉寿扇(日本舞踊)、佐久間ウィヤンタリ(ジャワ舞踊)、増田(コンテンポラリーダンス)が順番に一人ずつ登場し、名前、ダンスの特徴、踊り始めた年齢や動機、ダンスで一番大切にしていること、忘れられない思い出、やめようと思ったことがあるか、なぜこの国にいるのかなどの質問に答え、基本的な型や文化的背景について簡単に説明したあと、10分ほどの短いソロを見せる。赤、青、黄、白のカラフルな韓服に身をつつみ、太鼓をリズミカルに打ち鳴らしながら、小刻みなステップと下半身を上下させる跳躍を見せ、躍動感にあふれた金一志の踊りは、農村での豊作祈願がベースだという。



[撮影:金サジ]


対照的に、波文様を裾にあしらった黒い着物で、三味線と唄にのせて「青海波」を踊る若柳吉寿扇は、腰をぐっと落とし、扇子も駆使した手振りが多い。バルーンパンツに鮮やかな腰の飾りや輝くティアラを付けた佐久間ウィヤンタリは、ジャワ舞踊の特徴であると話す「水が流れるような」優雅な動きと、繊細な指の表情で魅了する。



[撮影:金サジ]


一方、最後に登場した増田は、Tシャツにスパッツというラフな格好。コンテンポラリーダンスには型やメソッドの共有がなく、自分の今の身体と向き合って考え、身体の数だけダンスがあると言えること、即興を重視していることを話し、大学時代の授業で受けた「床に寝そべり、15分かけてゆっくり立ち上がる」というワークを実演してみせる。

胎児のように床に丸まり、超スローで体勢を変化させ、俯いた上体を重力に抗うように起こしていく増田。やがてほかの3人が姿を現わし、ウィヤンタリがジャワ語と日本語で太陽や月、鳥や動物の名前を告げ、金が手渡したケンガリ(円形の平たい金属製打楽器)は満月が夜空を渡るように動かされ、増田は自身に命を吹き込むようにTシャツの中に息を吹き込み、その深呼吸の音が響く。夜明け、再生、産まれ直した身体。立ち上がった増田と3人は、対面した相手と鏡像のように向き合い、互いの特徴的な動きを受け渡し、受け取りつつ、増田の「即興」という要素を加えて融合させ、新たな流れを生み出し、今ここで、この4人でだからこそできるダンスを形づくっていく。それぞれが個としてその場に立ち、共存し、各自の動きの要素を余韻として残しつつ、境界が曖昧になった先に、「今、ここに、私のこの身体がある」という力強い宣言で締めくくられた。



[撮影:金サジ]


(アジアの)伝統舞踊とコンテンポラリーダンス、その対話をドキュメンタリーの手法で作品化する例としては、チョイ・カファイの『ソフトマシーン』がある。カファイとの対話を通して、伝統舞踊の踊り手が基本的な考え方や型、人生について自身の言葉で語り、ソロを見せるなかに、グローバルなアート市場で「商品」として消費される「アジアの伝統」、近代国民国家が抱える多様な地域性、ジェンダーやセクシュアリティと古典舞踊などの問題が照射され、戦略的な批評性が光る作品である。ただ、本作を見終えて振り返ると、「カファイと各踊り手」という1対1の閉じた関係に終始し、踊り手同士の(身体的)対話が見られないことが残念に思われた。

一方、本作は、身体的対話へと開かれていたが、個々の踊りや語りが垣間見せる人生の一端の提示に留まっていた点が惜しまれる。それぞれの「伝統舞踊」は、農村での祭り、宮廷文化、儀礼やコミュニティ、物語や詩歌の伴走など文化的・歴史的文脈から切断された状態でここ・劇場内にあり、ダンス単独で成立するものではない。「文脈からの切断や移動」は、とりわけウィヤンタリと金の場合、生まれ故郷から離れて日本で暮らす彼女たちの移民やディアスポラとしての人生でもある。さらに、より歴史的な射程で見れば、無垢なる「ダンス」と無縁ではない侵略戦争との関連が浮かび上がってくる。舞踊家の中国戦線や東南アジアへの従軍慰問、「アジア各地の諸民族の踊り」を「帝国」の文化的領土に包含しようとした植民地的領有。

Kata(型)の有無から出発し、Stroke(踊る身体の描く線/個人史の軌跡)の提示をとおしたその先に、戦争や紛争、近代化、植民地化、政治体制の転換などの「カタストロフ」による伝統舞踊の断絶や変容、そして個人的身体と接続した歴史の相を俯瞰的に見通す視座があれば、本作はさらに深化するのではないか。ユニットのウェブサイトでは、本作出演者以外にも(ときに出身国籍や地域と異なる)伝統舞踊の踊り手へのインタビューが公開されており、ワークインプログレスとしてプロジェクトの継続が期待される。

公式サイト:https://mimacul.com/

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チョイ・カファイ『ソフトマシーン:スルジット&リアント』|高嶋慈:artscapeレビュー(2016年04月15日号)

2020/09/27(日)(高嶋慈)

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