artscapeレビュー

2024年03月01日号のレビュー/プレビュー

積層をテーマとする2つの家

[兵庫県、大阪府]

関西の滞在中に2つの住宅を見学した。日本建築学会賞(作品)を受賞した大谷弘明の自邸、《積層の家》(2003)と、安藤忠雄による初期の作品、《ガラスブロックの家》(1978)である。前者は神戸の街の中心部の近くに位置し、後者は大阪の住宅街にたち、現在は建築史家の倉方俊輔が暮らしている家だ。時代が異なり、開放的な空間の性格をあわせもつ積層の家に対し、《住吉の長屋》(1976)と同様、極端に窓を減らしたコンクリートの壁によって外部に閉じているガラスブロックの家は、一見対照的だが、じつは同じ素材を積層させるという共通したデザインの手法が認められる。

《積層の家》は、間口が約3m、奥行きが約9mという細長い敷地の面積がわずか10坪であり、極小の空間にもかかわらず、交差する階段や吹き抜けのエリアを大きくとっているが、決して狭さを感じさせることはない。最大の特徴は、厚さ5cm×幅18cmというプレキャストコンクリート(PC)の板を互い違いに積み重ねるというシンプルな構法を採用していること。それゆえ、壁であっても光が透過するガラスの隙間を反復したり、ひだ状の壁になっていることで、窮屈な印象を与えない。薄いPC版のサイズは、もちろん美学的にも効果的な意匠だが、敷地の条件や施工の制限から導きだされた。結果的に5cmのモデュールが、構造だけでなく、階段、本棚、各種の什器にも徹底して用いられる。つまり、家具と建築が同じ階層に属しているのだ。大胆でありながら、成熟したデザインの自邸である。


大谷弘明《積層の家》


大谷弘明《積層の家》


大谷弘明《積層の家》


一方で安藤が設計した住宅は、外部からは一切、ガラスブロックは見えない。閉じたコンクリートの大きな箱である。だが、内部に入り、中庭に出ると、外からは予想できないガラスブロックによって三方が囲まれた空間が出現した(現在は浅いヴォールト状の透明な屋根をかけ、室内化)。つまり、ガラスブロックを積層した家であり、それが全体を貫く基本的なモデュールになっている。やはり最大のハイライトは、地面を掘り込んだかのようにも見える中庭だが、まず単純に大きいということで非住宅的なスケールの空間だ。しかも徹底したガラスブロックの反復によって、3階建てというフロアの構成が曖昧になり、もっと大きい建築のように感じられる。また室内で驚かされたのは、当時、安藤が自ら家具も一緒に設計しており、それらが現存していること。大量の本も収納できる住み心地が良さそうな家だった。


安藤忠雄《ガラスブロックの家》


安藤忠雄《ガラスブロックの家》


安藤忠雄《ガラスブロックの家》

2024/02/11(日)、12(月)(五十嵐太郎)

大阪のビジネス街と日建設計

[大阪府]

朝から夕方まで、大阪の各地にあるビジネス街をはしごして回り、日建設計が関わったプロジェクトを確認した。まず南港エリアでは、《さきしまコスモタワー(大阪府咲洲庁舎)》(1995)や《アジア太平洋トレードセンター》(1994)などの巨大建築がある。前者はカラフルなポストモダン・ハイテクであり、学生の頃、こういうタイプの卒計が多かったことを思い出す。後者もダイナミックな造形だが、なぜ中間階にホテルが入っているのかと思ったら、近年の改装によるものだった。日本に勢いがあった時代の建築である。もっとも、いずれもバブル崩壊やアクセスが悪いことなどにより、想定されたオフィスの需要が望めず、大阪の役所機能を部分的に移転させて、空室が埋められた。ところで、コスモタワーの大きな吹き抜けに、彫刻が不自然な状態で並べられており、明らかに展示というよりも、仮置き風である。なるほど、美術品を地下駐車場に「保管」していたことで問題になった大阪府咲洲庁舎はここだった。慌てて、美術品の一部を、地上階に移動させたのかもしれない。



日建設計+マンシー二・ダッフィ・アソシエイツ《コスモタワー》



日建設計《アジア太平洋トレードセンター》



大阪府咲洲庁舎の美術品


なお、ともに日建設計が手がけたミズノ本社ビル横に完成した《イノベーションセンター「MIZUNO ENGINE」》(2023)は、走行、各種の球技などの計測、試作、テストを行なう研究施設である。その結果、オフィスとスポーツの空間を組み合わせたチュミのディス・プログラミング的な刺激をもたらす。精密な測定器具の進化が、新しい施設の誕生を促した。



日建設計《イノベーションセンター「MIZUNO ENGINE」》


大阪ビジネスパーク(OBP)は、初訪問だった。ここは砲兵工廠跡の再開発であり、槇文彦事務所や竹中工務店と共に日建設計がプロジェクトを計画している。街路空間が連続するこのエリアは、1980年代の後半から1990年にかけて、次々とビルが完成した。日建設計は、ツイン21の印象的なアトリウム(中心軸から大阪城が見える)、足元にアーケードを抱える松下IMPビル、ホテルニューオータニ、専用入口をもついずみホールを組み込む住友生命OBPプラザビル、橋の向こうにある大阪城ホールを手がけている。

中心部の御堂筋から北浜のエリアでは、昨年完成した2つのリノベーションを見学した。ひとつは住友ビルディング本館のエントランス改修であり、ピッチが変化していく立体の木格子を天井に反復させることで空間の印象を大きく変えた。住友の森から木材を調達し、道路向こうの緑と連続しつつ、頭上の奥行きも与えている。そして日建設計の大阪オフィスが引越に伴い、什器のリサイクルや転用、そして自然換気を可能にする窓にとりかえるなど、空間のリノベーションだけでなく、フロアごとに業務のプログラムを再編集した。特筆すべきは、IoTによって新しいワークプレイスの実験に自ら挑戦していること。フリーアドレスを生かし、均質な空間のオフィスに代わり、人の動きとの相互作用によって、あえてムラのある環境を随時生みだす。


日建設計《松下IMPビル》(1990)


日建設計《ツイン21》(1986)


日建設計《住友ビルディング本館》(1962)の改修したエントランス(2023)

2024/02/13(火)(五十嵐太郎)

キース・ヘリング展 アートをストリートへ

会期:2023/12/09~2024/02/25

森アーツセンターギャラリー[東京都]

1982年の12月末、当時ぴあの社員だったぼくは社長に呼び出され、ニューヨーク出張を告げられた。その年に創刊した『ぴあ』の姉妹誌『月刊カレンダー』の売れ行きが思わしくなかったので、翌年リニューアルすることになり、表紙にキース・ヘリングを起用するとともに、1号目の特集としてこのニューヨークのアーティストとグラフィティを取り上げようということになったのだ。ぼくはもちろんキース・ヘリングのことは知っていたし、その年の秋ヨーロッパを初めて訪れ、ドクメンタ7で実際に作品も見ていたので、喜んで引き受けたのはいうまでもない。

ニューヨークに着くとさっそくキースのスタジオへ。インタビューしていて気づいたのは、「コーズアイ(Cause I)」という言葉で話をつないでいくこと。「(こういうことをした)なぜなら私は(こうだから)」と、自分の行動に理屈をつけて正当化し、普遍性を持たせようとするのだ。たとえば、「地下鉄に絵を描き始めた、なぜならたくさんの人に見てもらいたいから、なぜなら美術館やギャラリーには限られた人しか来ないから」とか、「ぼくの絵はシンプルだ、なぜなら素早く描くから、なぜなら捕まらないためだ」といったように。こうした論法は欧米では当たり前かもしれないが、感覚的な言葉や私的なエピソードが多い日本のアーティストにはなかったもので、説得力があった。

夜になると地下鉄に乗って「サブウェイ・ドローイング」に密着取材。電車のなかからホームを見回し、広告掲示板の黒いスペースを見つけると駆け寄り、チョークを取り出してささっと描く。当時、広告掲示板にポスターが貼られていないときは黒い紙が貼ってあり、それをキャンバス代わりに描いていたのだ。ものの1、2分で描き終えたら一目散に去っていく。それを写真に撮って追いかけていくぼく。そんなことを何回も繰り返した。

1980年代前半のニューヨークの地下鉄は暗い、臭い、危険の3Kで、夜乗ったら身ぐるみ剥がれるとか、カメラを出したら盗られるとか言われていたのに、夜中カメラ丸出しで乗っていた。しかもまだスマホはおろかデジカメもなかったから、ニコンの重い一眼レフを抱えて、いちいちピントや露出を合わせて撮っていたのだ。

前置きが長くなったが、展覧会の導入部に掲げられている20余点の写真はそのとき撮ったものだ。この1週間ほどの出張期間中に、キース・ヘリングおよびニューヨークのグラフィティを写したポジフィルム300余点は、数年前に山梨県の中村キース・ヘリング美術館に収められ、今回ほかのコレクションとともに出品されたというわけ。



キース・ヘリング展 会場風景 [筆者撮影]


展示は写真に続き、7点の「サブウェイ・ドローイング」が並ぶ。これらはキースが主に1980年代前半に描いたもので、全部で数百点あるいは数千点に及ぶかもしれないが、おそらく99パーセントは消されたり破られたりしただろう。彼は作品の行方に頓着しなかったし、お金にも変えたくなかったので、消えるに任せていたし、それが彼の望みだったはず。だから現在残っている「サブウェイ・ドローイング」は、破棄される前にだれかが私物化したり転売目的で剥がしたもので、それはより多くの人たちに楽しんでもらいたかったキースの願いとは裏腹の行為なのだ。現在バンクシーが直面しているジレンマを、キースは40年も前に経験していたのだ(もっともバンクシーはそのジレンマを逆手にとって楽しんでいるが)。

「サブウェイ・ドローイング」に続いて、《男性器と女性器》(1979)《無数の小さな男性器の絵》(1979)という2点のドローイングが目を引いた。最初期の学生時代の作品で、タイトルどおり性器をラフなタッチで描いたものだ。キース・ヘリングといえば明るいポップな絵で子供にも親しまれているが、実は性器もよく描いていたし、彼自身ゲイでHIVに感染し、エイズ撲滅運動にも参加していたので、性に関しては想像以上にオープンだった。そんな意外性も魅力のひとつだ。

その後の展示はみんなが知っているような作品ばかりなので省略。最後に、ぴあがコレクションしている軸装の墨絵と、キースの絵を表紙にした『カレンダー』誌が並んでいた。こうしてみると、40年以上も前にキース・ヘリングに目をつけ、雑誌の表紙に起用したぴあの矢内社長は先見の明があったんだとあらためて思う。『カレンダー』はコケたけど。


キース・ヘリング展 アートをストリートへ:https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/keithharing/

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開館10周年記念展 キース・ヘリングと日本:Pop to Neo-Japonism|村田真:artscapeレビュー(2017年05月15日号)
キース・ヘリング回顧展「The Political Line*」|栗栖智美:フォーカス(2013年06月01日号)

2024/02/15(木)(村田真)

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みんなの建築大賞 2024

[東京都]

国立近現代建築資料館において、建築系の編集者、研究者らが、新しく創設したみんなの建築大賞の授賞式が行なわれた。これは従来の建築の賞が、業界内で閉じてしまい、社会にほとんど発信されていないことを踏まえ、建築を伝えるプロが推したい建築を顕彰する企画であり、イメージとしては本屋大賞が近い。もっとも、約30名から構成される推薦委員会が10の候補作を選んだあと、X(旧Twitter)を用いて、一般参加による「いいね」の投票の総数で決定することが違う。つまり、推薦委員会はどれが選ばれても大賞にふさわしい10作品までを決め、最終的な結果は一般の判断に委ねるというわけだ。なお、筆者は推薦委員会の委員長をつとめた。2023年に完成、もしくは雑誌に掲載された10の候補作は、以下の通り。


  1. 大西麻貴+百田有希/o+h・産紘設計《熊本地震 震災ミュージアム KIOKU》
  2. 山﨑健太郎デザインワークショップ《52間の縁側》
  3. 後藤武+後藤千恵/後藤武建築設計事務所《後藤邸》
  4. 坂茂建築設計《SIMOSE》
  5. 藤本壮介建築設計事務所《太宰府天満宮 仮殿》
  6. 中村拓志&NAP建築設計事務所《地中図書館》
  7. 伊藤博之建築設計事務所《天神町place》
  8. 武井誠+鍋島千恵/TNA《庭の床 福武トレスFギャラリー》
  9. MARU。architecture《花重リノベーション》
  10. VUILD《学ぶ、学び舎》



「みんなの建築大賞2024」授賞式 (左から)秋吉浩気氏(VUILD)と伊藤博之氏


さて、最多の得票を獲得したのが、秋吉浩気(VUILD)による東京学芸大学内の「学ぶ、学び舎」である。3D木材加工機によって製作した1000以上のパーツを組み合わせた複雑な造形をもち、それが型枠となって、さらにコンクリートで覆われる。すなわち、デジタル・ファブリケーションを駆使した実験的なデザインであり、SNS時代のアワードにふさわしい作品が大賞に選ばれたと言えるだろう。実際、秋吉は一般の投票をうながす活動を明快に行ない、大学も積極的に応援していた。



秋吉浩気氏(VUILD)


また委員会の推薦の数がもっとも多かった伊藤博之による「天神町place」は、大賞とは別枠として推薦委員会ベスト1に選定されている。じつは一般投票でも、「学ぶ、学び舎」と「天神町place」がデッドヒートを繰り広げていたが、誰もが訪れることができる公共建築ではなく、民間の集合住宅が多くの得票を集めたことは個人的に意外だった。この建築は湯島にたっており、授賞式の会場から歩いて10分もかからないことから、授賞式の前後に見学する機会が設けられた。

天神町placeは、激しく湾曲するかたちと、非流通材を活用した型枠によって不ぞろいなテクスチャーをもつコンクリートの壁が印象的であり、おそらくSNS上の小さい写真でも十分なインパクトを与える。が、実際にいくつかの賃貸の部屋を案内してもらい、建築的な工夫にあふれた作品であることがよくわかった。ただでさえ、マンションの中庭は存在するものの見なかったことにするような暗い空間になりがちだが、幅が狭い敷地という厳しい条件下において、天神町placeは中庭の意義を再定義している。例えば、薄いヴォリュームを打ち抜く各戸のバルコニーによって穴を開けたり、一部は中庭に張りだす通路をめぐらせた。また高さや方位が異なるそれぞれの場所を活かしながら、立体パズルのように各戸を巧みに構成している(一部はメゾネット)。かといって、積極的に住民のコミュニティをつくることを意図したわけでなく、なんとなく互いを感じながら、それぞれの居場所を生みだす。

みんなの建築大賞の授賞式では、秋吉と伊藤の2名が参加し、建築家から直接にメディアに語ってもらい、主要な新聞の各社を集めることに成功した。しかし、テレビ局の取材はなく、来年以降の課題だろう。



伊藤博之建築設計事務所《天神町place》(2023)



伊藤博之建築設計事務所《天神町place》



伊藤博之建築設計事務所《天神町place》



伊藤博之建築設計事務所《天神町place》室内



伊藤博之建築設計事務所《天神町place》中庭 右は伊藤博之氏


「みんなの建築大賞」事務局BUNGA NET:https://bunganet.tokyo/award01/

2024/02/15(木)(五十嵐太郎)

FACE展2024

会期:2024/02/17~2024/03/10

SOMPO美術館[東京都]

2013年から続く公募展「FACE展」も今年で12回目。今回は1,184点が出品され、審査により78点の入選作が展示されている。パッと見、実に多彩。油絵あり日本画あり版画ありレリーフあり、抽象あり具象ありポップありマンガやイラストみたいなのもフツーにある。VOCA展のように写真や映像はないが、こちらは公募制で年齢制限もないせいか表現がより多岐にわたっている。

特に目立つのは、グランプリの津村光璃の《溶けて》をはじめ、優勝賞の佐々木綾子の《探求》も、かわかみはるかの《26番地を曲がる頃》もそうであったように、紙やパネルに墨や岩絵具など日本画材を取り入れて描く、日本画とも西洋画ともつかない作品だ。さまざまな素材や技法を試してみるのは悪いことではないけれど、それで果たしてプラスの効果が生まれているのだろうか。折衷的な素材や技法を用いることで目指すものが曖昧化していないだろうか。さらに、一見脆弱そうに見える素材(の組み合わせ)でこの先500年も1000年も持つんだろうか、と心配してしまうのだ。それともまさか、そんな先のことまで考えていないとか?

なにより問題なのは、うまい絵、おもしろい絵はあっても、心に響く作品が少ないことだ。絵を描くことの切実さとか、表現することのヒリヒリするような緊張感が感じられないのだ。まあ、いまのゆるくてぬるい日本ではだれも絵画にそんなことを期待していないのかもしれないけど。

さーっと見て、まず目に止まったのはスニーカー・ウォルフの《むだ書》。ポップアートのアイコンをベースに、丸囲みの勘亭流の漢字らしき文字やエアゾルによるアルファベットが色鮮やかに描かれている。これも古今東西の手法とモチーフを駆使し、アートとサブカルチャーのイメージを混在させた作品だが、技術とセンスは群を抜いている。にもかかわらずタイトルどおり「むだ書」と自覚しているのが偉い(英語タイトルは《Graffiti》)。

東尾文華の《いつものようにさりげなく》も時空を超えている。一見、水墨画のようにもイラストのようにも見えるが、実は木版画という変わり種。昨年「新世代への視点 2023」展(ギャルリー東京ユマニテ)で見たときも、木版画を軸装したりシェイプトキャンバスにしたりという予想外の形式が目を引いた。審査員特別賞(秋田美穂)を受けた東菜々美も、同じく「新世代への視点2023」展(gallery Q)で注目したひとり。《some intersection lines 4》は、正方形の画面の輪郭に沿って色帯を重ねた一見フォーマリスティックな絵画だが、実はけっこう錯視的なところが興味深い。ちなみに「新世代への視点」は貸し画廊による企画展。貸し画廊もまだ捨てたものではない。


FACE展2024: https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2022/face2024/

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FACE展2023|村田真:artscapeレビュー(2023年03月01日号)

2024/02/16(金)(村田真)

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2024年03月01日号の
artscapeレビュー