2018年04月15日号
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artscapeレビュー

山田弘幸「Fragment」

2016年07月15日号

会期:2016/06/17~2016/07/09

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

ちょうど東京国立近代美術館の吉増剛造展を見たばかりということもあって、EMON PHOTO GALLERYで開催された山田弘幸展の出品作にアーティストとしての共通性を感じた。山田は昨年度の第5回EMON AWARDのグランプリ受賞作家だが、写真家という枠組みから大きく逸脱した作品を発表し続けている。「素材」を得るための基本的なメディウムとして写真を使用してはいるのだが、それらをプリントするときに、画像に絵画的な操作を施したり、テキストを書き込んだり、実物とともにミクスト・メディアとして提示したりする。原稿用紙に書いた「男」という文字を重ねてプリントしたり(ネガ画像とポジ画像で)、紙に釘で無数の穴を穿って図像を描いたりといった、写真家の仕事とは思えない作品も多い。そのあたりの、発想をすばやくかたちにしつつ、変形し、拡張していく画像操作のあり方が、吉増と重なって見えてくるのだ。
あまりにも多彩な作品群なので、焦点を合わせるのがむずかしいのだが、今回の展示のメインとなっていた大作「NOSOTROS SOMOS」は、珍しく彼の意図がストレートに伝わってくる作品だった。とはいえ、この作品もかなり複雑な構成で、トレーシングペーパーにプリントしたセルフポートレートを中心にして、その背後に父親と母親の結婚式の写真、軍服を着た祖父の写真、母親が撮影した仏壇の写真などが二重、三重に重なり合っている。それに加えて、余白には「私たちは……」を意味する「NOSOTROS SOMOS」や、「一か八か」という意味だという「A TODA MADRE O UN DESMADORE」といったスペイン語の文字が書き込まれている。つまり、祖父、両親、自分と繋がってくる過去─現在─未来の時間軸を、一旦バラバラに解体し、強引に結び合わせて再構築する試みなのだ。
山田のようなタイプのアーティストに、「普通の」写真表現を求めても無駄だろう。彼の画像操作は単なる思いつきではなく、現実の背後に潜む「見えない」ヴィジョンを引き出したいという強い意志を持って、確信犯的に為されているからだ。まだ、思いつきを撒き散らしている段階だが、それがもう少し明確にひとつの方向に収束していくようになれば、恐るべき表現力を備えた「写真家」が出現してくるに違いない。

2016/06/25(土)(飯沢耕太郎)

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