artscapeレビュー

土田ヒロミ「砂を数える」

2015年06月15日号

会期:2015/04/25~2015/06/07

Gallery TANTO TEMPO[兵庫県]

Gallery TANTO TEMPO開設7周年記念として開催された土田ヒロミの写真展。1976年~89年にわたって国内各地で撮影されたモノクロの「砂を数える」シリーズが展示された。
被写体となるのは、海水浴場や観光地、お花見や初詣などの行事に集う人々。序盤の展示作品では、20~30名ほどであった群れ集う人々は、次第に数と密度を増していき、文字通り砂粒のように画面をびっしりと埋め尽くす。「集団」というほど統制されているわけでもなく、(学校や企業、家族の集合写真のように)アイデンティティの一貫性が明確にあるわけでもない。視線や身体の向きはバラバラで、身体を密着させつつもお互いへの関心は薄く、心理的な距離は隔てられている。何らかのイベントのために一時的に集まった群衆は、目的や欲望は共有しつつも、中心や連帯を欠いた「群れ」として蠢く運動体を成している。個々の輪郭は、オールオーヴァーに画面を覆い尽くす抽象的なパターンへと還元される手前で、ギリギリ踏みとどまっているように見える。
ここでは、固有の顔貌や名前を欠いた等価な存在として平均化・数値化されていく過程と、個人として辛うじて認識可能な輪郭とが瀬戸際でせめぎ合っている。シリーズ全体を通して見えてくるのは、均質な「国民」の出現だ。1976~89年という撮影期間も社会史的な役割を果たしている。つまりこの期間は、高度経済成長の終了から、昭和天皇崩御による昭和という一つの時代の終わりを指す。観光地や海水浴場に群れ集う人々の姿は、余暇や娯楽が「レジャー」として商品化された社会を写し出し、皇居の新年一般参賀や広島の平和記念式典に集う人々の姿は、「国民」という幻想の集合体を形成する。
一方、カラーで撮影された近年の「新・砂を数える」シリーズでは、群衆の密集性やダイナミズムは薄れて後退し、鮮やかだがどこか空虚な風景の中、互いに距離を取って点在する人々が写し出される。デジタル技術の使用も相まって、ミニチュアの人形が置かれたセットのように、人工的で模型的なイメージだ。ここでは、「群衆の形成が風景を変え、凌駕し、それ自体が一つの蠢く運動体としての風景を現出させる」のではなく、人々は風景の「中に」置かれた存在として、モノと等価になったかのようだ。2つのシリーズの対照のなかには、日本社会の変質が確実に刻み込まれている。

2015/05/16(土)(高嶋慈)

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