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阿部展也—あくなき越境者

2018年04月15日号

会期:2018/03/23~2018/05/20

広島市現代美術館[広島県]

戦時中に国威発揚を目的として描かれた戦争画に対して、戦後になって戦争の悲惨な光景や途方に暮れる心情を表わした絵を「敗戦画」と呼んでみたい。鶴岡政男《重い手》、北脇昇《クォ・ヴァディス》、丸木位里・俊《原爆の図》などがそれに当たる。あばら骨の浮き上がった男たちが横たわる阿部展也の《飢え》も、その代表的な1点に挙げていいだろう。実は私、恥ずかしながら阿部展也の作品はこれしか知らなかった。いったいどんな画家だったのか? てわけで、わざわざ広島まで足を延ばすことにしたのだが、行ってガッカリ、夏には新潟市美、秋には埼玉近美に巡回するではないか! 早く言ってよ。

阿部は大正に改元されて間もない1913年生まれ(なんと、同い年の篠田桃紅はまだご健在!)。独学で絵と写真を学び、キュビスムおよびシュルレアリスム風の絵を描いていたが、その後ほとんど焼失してしまう。太平洋戦争が始まると陸軍宣伝班として徴用されてフィリピンに従軍したものの、画家としてではなく写真家としてだった。敗戦で捕虜になり、翌年帰国。ここから約10年間は戦前からの有機的なフォルムに人のかたちを重ねたグロテスクな人間像が多く、《飢え》もそのころの作品だ。ところが50年代なかばから抽象化が進み、1957-58年の欧米旅行を機にアンフォルメルに移行。その後もエンコースティックを用いたマチエール豊かな抽象、楕円や多角形をモチーフとするやや錯視的なハードエッジの色面構成とめまぐるしくスタイルを変化させていく。

しかしこの変貌ぶりが腰軽に映ったのか、阿部の後半生の作品はあまり評判がよくない。スタイルが変わること自体は悪いことではないけれど、阿部のめまぐるしい変化はまるで時流に合わせているように見えるのだ。もうひとつ、彼は5年間のフィリピン生活で身につけた英語力を買われて海外の調査や国際交流に時間を割き、また写真の撮影や評論の執筆と多方面で活躍し、晩年はローマに永住したが、このように活動の幅を広げすぎたことも彼の仕事の捉えがたさにつながったのかもしれない。こうして見ると、もっとも独創的で心に残るのは、やはり《飢え》をはじめとする敗戦後10年間のグロテスクな人間像ということになる。

2018/03/31(村田真)

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