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Osaka Directory 5 supported by RICHARD MILLE 肥後亮祐

2024年02月15日号

会期:2023/12/23~2024/01/21

大阪中之島美術館 2階 多目的スペース[大阪府]

無断転載を防ぐ目的で英語辞典に掲載された造語を題材とした《bird carving》(2020)や、「グーグルマップ上に誤記載された幻島」を題材とした《Sandy Island》 (2020)など、人々の認識や行動を規定する「基準」のなかにある真偽の揺らぎや特異点を扱ってきた肥後亮祐。そこでは、辞典や地図が「存在しない現実」をつくり出すという転倒を元に、文字・画像・映像・音声データなど複数のメディアを横断的に駆使し、非実在物にいかに実体性を与えていくかというアプローチが取られていた。定義・分類・名付け・視覚化の権力性が示されると同時に、「誤読」「連想」の創造性が提示される。

本展は、大阪中之島美術館が関西ゆかりの若手アーティストを個展形式で紹介するシリーズ「Osaka Directory supported by RICHARD MILLE」の第5弾。「非実在物に実体性を与える」という過去作品の手法とは対照的に、本展では、既存の制度のなかに存在する特異な盲点に焦点を当てた。それは、美術館や博物館で使用され、センサー部分に女性の毛髪(多くは金髪)が用いられている「毛髪式温湿度計」である。



Osaka Directory 5 supported by RICHARD MILLE 肥後亮祐 展示風景 [画像提供:大阪中之島美術館]




Osaka Directory 5 supported by RICHARD MILLE 肥後亮祐 展示風景 [画像提供:大阪中之島美術館]


発表されたインスタレーション《ブロンドの記譜法》(2023)は、2つのパートで構成される。前半では、実際に美術館で使用される毛髪式温湿度計が展示台に載せられた「現物展示」に始まり、人毛の伸縮率によって大気中の温湿度を測定する装置を18世紀に考案した自然科学者、オラス=ベネディクト・ド・ソシュールに関連する資料が並ぶ。毛髪式温湿度計の原型が考案された書籍の初版本。ソシュールがアルプス山脈を登頂した際のスケッチを基に描かれた、山脈を360度の視界に収める奇妙なパノラマ図。科学史への貢献を称え、ソシュールの肖像画と毛髪式温湿度計が描かれたスイス・フラン紙幣。モニターでは、紙幣裏側に描かれたアルプスを探検する山岳隊の絵や、アルプス山脈のGoogle Earthの映像が映される。



Osaka Directory 5 supported by RICHARD MILLE 肥後亮祐 展示風景 [画像提供:大阪中之島美術館]


後半では、円卓を取り囲むマルチチャンネルの映像インスタレーションが展開する。5名の話者が毛髪式温湿度計を出発点に連想的な語りを繰り広げる映像が、5台のモニターに映される。本作では、ある特異点の観測から連想的な断片を展開するアプローチを、複数の他者に委ねることで、連想の回路や自由度がより広がった。5名の会話は、雑談的なゆるい話題から哲学的なトピックまで硬軟が入り混じる。喉の乾燥対策として、どののど飴がお薦めか。「女性の長い髪の毛」が人工的な機器の一部に用いられていることの不気味さは、ホラー小説や映画の「貞子」の連想とともに、ユダヤ人女性の毛髪が強制収容所で毛布の素材にされたことも語られる。また、温湿度計の多くに「金髪」が使用されている事実から、「バイト先でヘアカラーの明るさの規定があった」経験が語られ、集団の同質性を重視する日本社会においては、校則や就活での髪型や髪色の規定など「髪の毛」が「規範」「基準」となる事態についても見る者に考えさせる。一方、身体から切り離された髪の毛が「不気味」「気持ち悪い」という感覚は、フロイトの「ウンハイムリヒ」やクリステヴァの「アブジェクション」といった哲学的概念と接続され、「壮大なアルプス山脈」のイメージはカントの「崇高」概念と結びつく。それぞれの語りは断片的だが、肥後の編集によって「Abjection」「Blond」「Criterion(基準)」「Factory」「Hair」というように、キーワードのアルファベット順に並べられ、「辞書の項目」という別の秩序に組み込まれていく。



Osaka Directory 5 supported by RICHARD MILLE 肥後亮祐 展示風景 [画像提供:大阪中之島美術館]



[撮影:肥後亮祐]


だが、本展のはらむ射程は、もっと深い拡がりをもっているのではないか。「近代」の凝縮といえる毛髪式温湿度計を起点として、思考を連鎖的に広げながらさらに解きほぐしていけるのではないか。自然界を観察対象として外部化し、数式や数値データとして普遍化・客観化していく近代科学。カメラの機械の目や電子顕微鏡が「人間の視覚」を超えていくように、人間の感覚器官の拡張としての機器(「湿気の多い日は髪の毛がうねって扱いづらい」という肌感覚をより精緻化し、人間の知覚では捉えられない差異を計測するのが毛髪式温湿度計だ)。パノラマ図に顕著な、すべてを視覚化によって領有したいという欲望。登頂ルートの開発競争は、「未踏の処女地の征服」としての登山や、地図から白紙をなくしていく植民地主義的欲望とも通底する。これらが紙幣に印刷され、国家を支える血液として流通していくこと。

そして、美術館のホワイトキューブという制度もまた、近代のプロジェクトのひとつである。鑑賞を妨げる不純物が排除された清潔な白い壁という見た目のみならず、恒常的に保たれる温湿度の点でも、徹底的に管理された均質的な空間が、世界中に移植される。その空間の均質化を支える機器の一部として「女性の金髪」が組み込まれていることは、「近代とは何か」についてジェンダーと人種の複雑な交差から考える上で大きな示唆を与えてくれる。近代的家父長制と資本主義の結託は、男性/女性という二分法を自然化し、男性に公的領域と有償の生産労働を、女性に家庭内の私的領域と無報酬の再生産労働を割り当て、正しい生殖に結びつく性/逸脱する性を区分したように、西洋近代は「性」の分離と基準化を執拗に推し進めた。「毛髪式温湿度計に組み込まれた女性の金髪」は、まさに女性の身体が、観察の主体である「男性の身体」と区別・分離され、女性自身の身体からも切り離され、文字通り機器の中に閉じ込められて不可視化される事態を体現する。同時にここには、(伸縮率の精度が高いため金髪が採用されたという理由もあるが)「白人の身体」が基準となるヨーロッパ中心主義も重ねられる。映像内の辞書の項目には、「G(Gender)」「E(Eurocentrism)」「S(Sexism)」「W(White cube)」が付け加えられるべきだろう。



[撮影:肥後亮祐]


美術館であれ、ギャラリーであれ、多くの場合ホワイトキューブでアートを鑑賞する私たちは、いまだにそうした近代の枠組みに規定された身体としてふるまうことから逃れられない。一方、本展の展示空間は、「ホワイトキューブである正規の展示室」ではなく、そこからはみ出たオープンなフリースペースである(「多目的スペース」という名称だが、吹き抜けのエントランス空間とは明確に区切られず、半分通路のようなガラス張りの空間だ)。そうした空間だからこそ、普段は展示室の隅で半ば不可視化されている温湿度計自体を「展示物」にしてしまう反転の操作が可能になる。同時にそれは、あらゆる空間を準ホワイトキューブ化する管理の権力が持ち込まれる事態でもある。あらゆる空間を均質化する基準の力と、そこからの逸脱が、まさに「ホワイトキューブ」の境界においてせめぎ合う点でも興味深い展示だった。


Osaka Directory 5 supported by RICHARD MILLE 肥後亮祐:https://nakka-art.jp/exhibition-post/osaka-directory-dir5/

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