artscapeレビュー
2012年07月01日号のレビュー/プレビュー
小島敏男 展
会期:2012/05/30~2012/06/16
a piece of space APS[東京都]
花鳥風月という言葉があるように、これまでの美術は花を特権化してきた。だが、なぜ花ばかりが執拗に描かれる一方で、幹や葉、根は美術家の視線から外されてきたのだろうか。その正確な理由はわからない。だが、例外的な美術家がいないわけではない。小島敏男が木から掘り出しているのは、金木犀の葉。朽ち果てる寸前なのだろうか、どちらかといえば硬質な葉の触感をみごとに表わしている。花ではなく葉を、しかも生命力あふれる若葉ではなく、終わりを控えた葉を形象化した小島の作品は、美術家のやるべき仕事がまだまだ残されていることを如実に物語っていた。
2012/06/14(木)(福住廉)
吉田重信 展「心ノ虹」
会期:2012/06/02~2012/06/16
Gallery Camellia[東京都]
決して広くはない会場の扉を開けると、床一面が小さな靴でびっしりと埋め尽くされていた。サイズから察するに、おそらく子どもたちが履き古した靴なのだろう。窓ガラスが赤く加工されているため、不穏な空気感が漂っている。おびただしい靴がすべてこちらを向いていたこと、そして空間全体に立ち込めた靴の匂いが、ただならぬ気配によりいっそう拍車をかけていたのだろう。放射能の危機に晒されている子どもたちの姿をおのずと連想してしまうが、それはあくまでも鑑賞者の主観的な判断だとしても、いずれにせよ強く、烈しく、そして痛々しく、鑑賞者の心に訴えかけてくる作品であることはまちがいない。このような情動性は、かつてであれば回避するべき要素だったのかもしれないが、東日本大震災以後の想像力をたくましくして生きざるをえない私たちにとって、それが想像力に効果的に働きかけるという点で、むしろ必要不可欠なアートのひとつなのではないだろうか。
2012/06/14(木)(福住廉)
東洋+西洋=伊東忠太──よみがえった西本願寺「伝道院」
会期:2012/06/09~2012/07/08
大阪くらしの今昔館[大阪府]
19世紀ヴィクトリア朝的なレンガと石造りの外装、イスラム風のドーム屋根とアーチ型の窓、そして洋館風の木造階段が印象的な内装。とても不思議な建物だ。しかもその建物があるのは京都市下京区。京都の町にイスラム風ヴィクトリア朝建築とは、おかしいといえばおかしいし、大胆といえば大胆だ。それは西本願寺伝道院で、設計者は伊東忠太(1867-1954)である。東京帝国大学教授で建築家だった伊東は「建築進化論」をもとに、「新しい日本の様式建築」を探し求め、東洋と西洋を折衷した独特な様式の建築を残している。彼のいう「建築進化論」とは、建築も生物のように進化していくのが自然で、伝統的な建築に新たな造形を加え、独自の様式へと「進化」させることのようだ。伝道院を中心に伊東忠太が手がけた建築作品や関連資料を紹介し、その建築思想を再考する展覧会である。[金相美]
2012/06/14(木)(SYNK)
館蔵品展 身体表現と日本近代美術「物語る身体」
会期:2012/05/12~2012/06/17
板橋区立美術館[東京都]
同館所蔵の日本近代美術の作品を身体表現というテーマのもとで見せる展覧会。秋山祐徳太子、阿部展也、井上長三郎、池田龍雄、中村宏らの作品や資料あわせて70点が展示された。身体を断片化した1930年代のシュルレアリスムから戦後の「肉体絵画」、そしてルポルタージュ絵画にいたるまで、同館の豊富なコレクションを物語る展観だ。身体表現という点でいえば、例えば黒ダライ児が『肉体のパフォーマンス』で解き明かした「反芸術パフォーマンス」が思い起こされる。むろんそのパフォーマンスそのものを保存することは不可能ではあるが、それらを記録した貴重な写真は、せめて公立美術館が収蔵するべきではないだろうか。同展が敷設した身体表現の系譜の先に、「反芸術パフォーマンス」が論理的に接続されることは誰の眼にも明らかだからだ。
2012/06/17(日)(福住廉)
縄文人展──芸術と科学の融合
会期:2012/04/24~2012/07/01
国立科学博物館[東京都]
「有珠モシリ人」(女性)と「若海貝塚人」(男性)の2体の縄文人骨。これを上田義彦による写真、国立科学博物館の篠田謙一による解説テキスト、グラフィックデザイナー佐藤卓による会場構成で見せる。会場中央のガラスケースには、ほぼ実際の身体の構成にしたがって骨が並べられている。周囲に配された写真とテキストは縄文人骨の個々の部位を再構成し、いくつもの角度からクローズアップする。虫歯の痕や抜歯の風習、骨折の痕、等々から明らかになるのは、縄文人の特徴、生活のスタイルである。一般的に博物館の展示は研究の成果として再構成された縄文人の姿を伝えることが多いが、細部に焦点を当てた本展は、残された骨から人類学者たちがどのような情報を読み取ってきたのかを明らかにする点で異色であり、とても興味深い試みである。ただ、「芸術と科学の融合」というサブタイトルは大仰で、「科学」の側による「芸術」に対する畏怖を感じさせる。「写真は芸術作品ですので、決してお手を触れないようお願い致します」という注意書きを見るとなおさらそのように思う。「芸術」や「デザイン」をあえて謳わなくてもよい関係をどのように結んで行くのかが、「科学」にとっての次なる課題であろう。[新川徳彦]
2012/06/17(日)(SYNK)