artscapeレビュー

2012年07月01日号のレビュー/プレビュー

淀川テクニック はやくゴミになりたい

会期:2012/06/16~2012/07/08

ARTZONE[京都府]

大阪・淀川の河川敷を拠点に活動し、ゴミやガラクタを用いたオブジェで知られる淀川テクニック。最近は国内外で引っ張りだこの彼らが、京都初個展を行なった。2フロアある会場のうち、1階では彼らの定番である花輪や魚型自転車オブジェ、モルディブ共和国で制作した巨大魚のオブジェなどを展覧。また、鴨川で行なったゴミ狩りのワークショップを記録した映像や、その際に制作したゴミの履歴書も見られた。2階では鴨川で拾ったゴミを約12メートルの壁面に並べた《有漏路 無漏路》(一休宗純の短歌から命名)を出品。まさに圧巻のインスタレーションを展開した。大阪を拠点にする淀テクだが、意外にも関西での発表は少ない。それだけに本展は、地元の美術ファンにとって嬉しい機会となった。

2012/06/19(火)(小吹隆文)

大辻清司フォトアーカイブ 写真家と同時代芸術の軌跡1940-1980

会期:2012/05/14~2012/06/23

武蔵野美術大学美術館[東京都]

写真家・大辻清司の回顧展。少年期のアルバムからオブジェの美学を追究した写真、そして「実験工房」や「具体」「暗黒舞踏」「人間と物質展」といった前衛芸術の現場を記録した写真、さらには雑誌『アサヒグラフ』における齋藤義重や北代省三、山口勝弘らとの共同制作まで、じつにさまざまな写真が一挙に展示された。大辻の人生の軌跡が、文字どおり写真と同伴していたことがよくわかる。瀧口修造が企画を手がけたことで知られている「タケミヤ画廊」で催された中村宏の個展を撮影した写真など、たいへん貴重な写真も多い(ちなみに「竹宮」だと早合点していたら、「竹見屋」だったことを初めて知った)。ネガフィルムをデジタル化したうえでiPadで自由に観覧させるなど、見せ方にも工夫が凝らされていた。大辻の写真には戦後美術史が焼きつけられていることを考えると、誰もが活用できるアーカイヴとしてぜひとも公開してほしい。

2012/06/20(水)(福住廉)

テマヒマ展〈東北の食と住〉

会期:2012/04/27~2012/08/26

21_21 DESIGN SIGHT[東京都]

東北地方には現在でも手間と暇をかけたものづくり、手仕事の伝統が残っている。本展はそのなかでも特に食と住に焦点を当てて、東北のものづくりの本質を探ろうという企画である。展示前半では、きりたんぽや油麩、笹巻などの伝統的な食品づくりと、会津木綿やマタタビ細工、りんご剪定鋏、りんご箱などのものづくりが映像で紹介される。展示後半では、写真と実物で東北の食と住にかかわる「もの」と、ものづくりのための「道具」とが展示されている。
 都会よりもずっとゆっくりとした時間が流れているとはいえ、あらゆる場所に確実に変化は訪れる。伝統的なものづくりもそのままではない。映像作品に取り上げられたものづくりの現場でも、古くからの道具ばかりではなく、プラスチック製品も用いられている。手作業ばかりではなく、食品には電動の練り機が、繊維業には自動織機が導入されている。そもそも東北地方でリンゴが栽培されるようになったのは明治以降で、りんご剪定鋏、りんご箱づくりもリンゴ栽培に附随して現われた「新しい」産業なのである。そうはいっても、これらのものづくりは都会の消費文化を支えている産業とは明らかに異なっている。それでは、このようなものづくりの本質、失われつつある伝統はどのようなものなのか。企画者のひとり佐藤卓は、伝統的なものづくりのキーワードとして身体を挙げている。道具と素材に手で触れる。人間の身体と道具とが一体となって素材にぶつかり、ものを形づくってゆく。「『便利』とは、身体を使わないということ」なのだ。もうひとりの企画者、深澤直人が指摘するのは生活に刻まれたリズムである。「手間ひまをかけるものづくりは常に『準備』である。その営みに終わりはないし完成もない」。採る、つくる、使う、食べる。そうした人間の行為が途切れることなく循環している。東北の自然と人間の身体とがつくりだすリズムが、そこに住む人々の生活とものづくりの姿を規定している。りんご剪定鋏、りんご箱づくりでいえば、それはリンゴ栽培とともに100年余をかけて形成されてきたサイクルの一部なのである。
 こうした展覧会のコンセプトは、トム・ヴィンセントと山中有によるショートフィルム、西部裕介による写真には明確に反映されている。しかし、実物展示はどうだろう。透明なガラスの展示台に均等に並べられた麩、凍み餅、駄菓子類。真空パックされた食品。いずれも整然としていて、とても美しい。しかし、すべてのものがフラットに、等価な状態にある。匂いも手触りも取り除かれ、意味や価値は解体され、かたち、大きさ、色彩に純化された姿は、古い博物館の標本展示を想起させる。デザインの展覧会と考えればこれもひとつの方法であると思うが、「テマヒマ」という文脈からすると違和感を禁じえない。[新川徳彦]

2012/06/22(金)(SYNK)

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ムサビのデザインII デザインアーカイブ 50s-70s

会期:2012/05/14~2012/08/18

武蔵野美術大学 美術館[東京都]

武蔵野美術大学美術館・図書館のリニューアル開館を記念して開催された昨年夏の「ムサビのデザイン」★1は、同大学のコレクションにより約100年間のデザイン史の歩みをたどる大規模な展示であった。今回はその第2弾として、戦後日本のグラフィック・デザインが隆盛した1950年代から70年代に焦点を当てる。おもな展示品は「日本宣伝美術会」(日宣美)関連資料・作品と、1965年に開催された「ペルソナ」展の作品で、いずれもムサビが所蔵する資料。日宣美関連資料は解散後にムサビに寄贈された資料の初公開、またペルソナ展作品は1972年に開催された展覧会以来40年ぶりの公開である。また、このほかに、同時代のエディトリアルデザインと椅子のコレクションも展示されている。
 1951年に第1回展が開催された日宣美展は1970年に解散するまで、20年にわたり新人の登竜門としてグラフィック・デザイン界に人材を輩出し続けた。その歴史のなかでは、停滞やマンネリ化、技術偏重が指摘されもしたが、展覧会や受賞作はデザイン誌ばかりではなく新聞でも取り上げられ、社会的な注目を集めた。1965年、戦後第2世代のグラフィック・デザイナー、粟津潔、福田繁雄、宇野亜喜良、永井一正、和田誠ら11人が集まって開催したグループ展「ペルソナ」は、これまで匿名性が強かったデザインの世界で、デザイナーがペルソナ=人格を持った存在であることを人々に認識させる画期的な試みであった。このほかに、1950年代から70年代にかけては、「グラフィック'55」(1955)、「世界デザイン会議」(1960)、「東京オリンピック」(1964)、「万国博覧会」(1970)と、デザイン史に残るさまざまな出来事があった。
 6月23日(土)には関連シンポジウムが開催され、田名網敬一氏が日宣美について、勝井三雄氏がペルソナ展についての思い出、当時の熱気について語った。解決すべき問題が多様化している一方で、闘うべき相手の姿がよく見えない現在、デザインの持つ力、批評性を再確認するうえでもぜひ足を運びたい展覧会である。[新川徳彦]
★1──ムサビのデザイン──コレクションと教育でたどるデザイン史(2011/06/24~2011/07/30)

2012/06/23(土)(SYNK)

プロジェクト大山『みんな しってる』

会期:2012/06/23~2012/06/24

スパイラルホール[東京都]

2年前、トヨタコレオグラフィーアワードの「次代を担う振付家賞」をプロジェクト大山が獲得した。そのときぼくが思ったのは、トヨタのような現代(現在)のダンスに賞を与える場で、彼女たちのようなダンスを、というよりも彼女たちのダンスが基礎にしているダンスを評価する時代が来たということだった。ときに人はそれを「正統派」と呼ぶ。ぼくは見聞が狭くどう形容すべきかわからないのだが、ひとつ感じるのは、大学の教え子たちが高校時代に励んでいたといいながら貸してくれる、いわゆる「創作ダンス」の映像に似ているということだ。トヨタの受賞作品と同様、本作からも「創作ダンス」に似ているという印象を受けた。曲ごとに構成された振付は、激しかったりユーモラスだったりするポーズが挟まれるとしても、基本的には独特の美しさやフォーメーションの正確さ、独特のシャープネスを表現することに専心する。珍しいキノコ舞踊団やニブロールといった日本のコンテンポラリー・ダンスの女性作家たちが振付を通して示そうとした「等身大の若者」像は、本作からも読みとれなくないのだが、それより明らかなのは、目の前にいるのが「踊りたい女子たち」ということ。踊りでなにかを表現すること以上に、踊ることそれ自体を欲している「踊りたい女子たち」。彼女たちを駆り立てているのは、芸術的な表現欲というよりも体育的な運動欲に映る。そう思うと、フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングを見るときのように正確さや形の美しさに興味が湧いてきて、見る目が普段とは違ってくる。それをコンテンポラリー・ダンスの多様化として歓迎すべきなのかはわからない。ただし、気になったのは、その「創作ダンス」的なものの価値それ自体が作中で問われなかったことだ。そのことに違和感が残る。なぜこの系統のダンスを「踊りたい」のか。それが見る者に説得的に伝わってくるならば「踊りたい女子たち」の欲求もひとつの見所になりうるかもしれないのだけれど。

2012/06/24(日)(木村覚)

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