artscapeレビュー

2015年07月01日号のレビュー/プレビュー

Konohana’s Eye ♯8 森村誠「Argleton far from Konohana 」

会期:2015/06/05~2015/07/20

the three konohana[大阪府]

地図や辞書から特定の文字を塗りつぶす、切り取るなどした作品で知られる森村誠。作品から垣間見えるのは、過剰なまでの情報社会とそれに依拠する人間の姿であろうか。また、制作にかかる膨大な時間と労力、ストイックな姿勢も、作品の存在感を下支えしている。本展では、雑誌や広告に掲載された大阪市内の地図を素材とし、文字情報を消した地図を大量に繋ぎ合わせて架空の都市を出現させた。ちなみに展覧会タイトルの「Argleton(アーグルトン)」とは、2008年にグーグルマップ上で発見された実在しないイギリスの町で、森村の作品世界と奇妙なシンクロを見せている。作品は、刺繍枠をフレームとする小品の他、無限に拡張可能な大作、天井から吊るすタイプなど。これまでにない多様性が感じられ、彼の過去の個展と比べてもスケールの大きなものであった。

2015/06/05(金)(小吹隆文)

待兼山少年──大学と地域をアートでつなぐ《記憶》の実験室

会期:2015/04/30~2015/07/11

大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館[大阪府]

大阪大学総合学術博物館で、昨年解体された「阪大石橋宿舎」をめぐる学際的な「お見送りプロジェクト」の模様を紹介する展覧会。同宿舎は1958年に竣工されて以来、教職員の宿舎としてのみならず地域の人々と大学をつなぐ場としても機能してきたが、耐震上の問題から廃止されることとなった。半世紀以上にわたる四つのプロジェクトが、2014年7月から11月に行なわれた。ひとつ目が、美術家の伊達伸明氏による「建築物ウクレレ化保存計画」。これは、宿舎の階段等から出た廃材をウクレレとして活用・制作することで保存するものである。二つ目が、宿舎の窓面に「サッカードディスプレイ(縦1列に並べたLEDを使って2次元イメージを提示するもので、目線を変えることで像が浮かび上がる)【括弧内を移動済み】」で人々の顔を映像展示するもの。三つ目が、工学研究科のリノベーション計画で、学生たちが宿舎から新しい空間を構想するプロジェクト。四つ目が、クリッシー・ティラー氏(ロンドン大学)によるパフォーマンスのワークショップ。これらが架空の存在である「待兼山少年(じつは伊達氏でもあり誰でもありうる存在)」によって案内され、パネルや映像・音など多様なメディアを用いて資料展示された。伊達氏のインスタレーションには、上記のサッカードディスプレイがコラボされており、見どころとなっている。本展は、戦後に建てられた近代建築が次々と取り壊されていく状況にあって、アートは地域とどう関わりなにをなしうるのかをドキュメンテーションする興味深い試みといえよう。[竹内有子]

2015/06/05(金)(SYNK)

市田ひろみコレクション──世界の衣装をたずねて

会期:2015/05/30~2015/07/20

龍谷ミュージアム[京都府]

女優、エッセイスト、服飾評論家として活躍されている市田ひろみ氏(1932~)は、世界各地の民族衣装のコレクターでもある。これまでに訪れたのは100カ国以上、自らの眼で選び、交渉し、集めてきた衣装は430セットに上るという。本展は、2階会場に市田コレクションからヨーロッパ、アフリカ、中南米の衣装58セットを展示、併せて3階会場では龍谷ミュージアムが保管する仏教に関連した品々により仏教における衣装を紹介し、世界の文化の多様性に焦点を当てる企画。
 1968年。当時、京都・西陣の織屋から海外の文様を取り入れた着物や帯をデザインして欲しいとの依頼を受けた市田氏は、参考とする衣装蒐集のためにヨーロッパ11カ国を40日間にわたって旅した。このときから、市田氏にとって民族衣装蒐集はライフワークとなった。集めているのはおもに人々の日常着。「工程や貴族達の贅をこらした服は、博物館などに守り伝えられるだろうけど、庶民の日常着は、擦り切れるまで着て、その役割を果たして消えてゆく」★1。蒐集品の多くは、入手した時点では実際に人々によってつくられ、着られていたもの。しかし、蒐集し始めて40年以上が経過し、すでにつくられることも着られることもなくなってしまったものが多いこともまた日常着の宿命であり、市田コレクションが貴重であることの理由でもある。
 市田コレクションは単独のパーツではなく、身にまとうもの一式として集められ、またどのように着用されるのかも記録されている点は、服飾評論家ならではの視点だと思う。市田氏はもともとは民族衣装に現われる工芸──専門職人の技というよりも、母から娘に継承される手仕事──に惹かれて蒐集していったそうだが、日常着とはいえ民族衣装はただ機能的な被服ではなく、そのデザインにはそれぞれの地域や民族の文化、宗教、生活スタイルが密接に関わっているがゆえ、市田氏の関心は技術に留まらない。市田氏自身によるギャラリートークを聞く機会を得たが、話は衣装蒐集のエピソードから、制作技術、そして人々の暮らしと歴史にまで及び、その知識の広さと深さに驚かされる。
 3階展示室は「仏像の衣装」。仏教は伝播の過程でそれぞれの地域の文化と混ざり合い、また相互に影響しながら、独自の形へと変化してきた。仏像の衣装にもその変化は現われており、ここでは仏像誕生の地であるガンダーラの仏像と日本の仏像を衣装という点に着目して比較している。それ自体は市田コレクションと直接には関わらないが、文化の多様性と相互の影響関係、そして変容の過程は、市田コレクションを理解するための手掛かりでもある。[新川徳彦]

★1──市田ひろみ『衣裳の工芸──滅びゆくものを追いかけて 市田ひろみコレクション』(求龍堂、2002)。


2階展示(市田ひろみコレクション)


3階展示(仏像の衣装)

2015/06/05(金)(SYNK)

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山縣太一×大谷能生『海底で履く靴には紐が無い』

会期:2015/06/02~2015/06/14

STスポット[神奈川県]

永らくチェルフィッチュを役者として牽引してきた山縣太一が自ら脚本・演出を務めた本作、間違いなく誰もが驚いたのはその主演が大谷能生であったことだろう。台詞や出演時間を考えると大谷のパフォーマンスは1時間を少し超える舞台の約8割を占めていた。それどころかもっとびっくりさせられたのは、大谷の身体所作が奇妙なメソドロジーを背景にしているということに違いあるまい。初期のチェルフィッチュのようだと形容されもしよう。いやしかし、その根底にあるのは岡田利規の存在以上に、パフォーマーの手塚夏子の存在が無視できない。山縣本人もアフタートークで口にしていることだが、手塚夏子が15年ほど前に同じSTスポットで『私的解剖実験2』という舞台を上演したことは、山縣の役者活動に大きな影響を及ぼしたという。身体のある一部に極端に注目すると、その意識は身体のその他の部位へと波及し、身体は自走の状態になる、手塚はこの作品でそうした発見を「実験」と称して上演した。山縣はこの舞台を見ながら「なんで手塚さんは自分の身体のことがわかるのだろう」と思ったという。ひとつの衝撃が形を結ぶまで15年かかるのか。長いようでも短いようでもある。ともかく、過去は未来を温存しているのだ。役者となった大谷は稽古に6カ月ほどをかけ、独自の「太一メソッド」を体現した。驚くのは「体現」といえるほど十分に、大谷の身体が変身を果たしていたと言うことだ。そこには、手塚を通して感じていた独特のグルーヴがあった。ゆえにこの舞台はダンス公演でもあった。さて、問うべくは、この舞台を現在の観客たちがどう評価するかという点だろう。懐古趣味に映る? そういうことも否定できまい。ようは、この独自の身体性の価値を、今後山縣がどう社会に訴え続けるかにかかっているだろう。まるで山縣の分身とも映る主人公の男は、繰り返し、「ねえ、ぼくの話を聞いてくれる?」と飲み屋で、会社の若手社員2人にそう話しかけるが、無視され、一向に望みは達成されない。しかし、今作で人々は山縣の思いを結構ちゃんと受けとめてくれたはず。だからこそ、今作で終わりにせず、腰を据えて、自分のメソドロジーを継続的に社会に訴え続けてほしい。

2015/06/05(金)(木村覚)

衣川泰典「スクラップブックのような絵画II」

会期:2015/06/09~2015/06/21

ギャラリー揺[京都府]

スナップ写真を元にした幾つもの日常風景を、1枚の画面に描いた大小の絵画作品が並んでいる。作者の衣川は、以前から雑誌などからの画像や自身が撮影した写真をコラージュ&着彩した作品を制作していたが、約2年前に絵画へ移行した。新作では地塗りの無いキャンバスの裏面を用いることで絵具の滲みを効果的に用いており、記憶のパノラマのような作品世界が一層強化されたように見える。また展示室に面した庭では、絵の題材になった風景写真をコラージュした巨大な本型オブジェも野外展示されており、屋内の作品との対比が印象的だった。

2015/06/09(火)(小吹隆文)

2015年07月01日号の
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