artscapeレビュー

2015年07月01日号のレビュー/プレビュー

市田ひろみコレクション──世界の衣装をたずねて

会期:2015/05/30~2015/07/20

龍谷ミュージアム[京都府]

服飾評論家、市田ひろみ氏のプライベート・コレクションのなかから、アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ、中南米の民族衣装58点を紹介する展覧会。市田氏は1960年代から40年以上かけて、100カ国以上を巡り、430セットの衣装を収集してきた。骨董商、市場、民家など、辺境の国々に足を運び直接交渉して入手したものばかりだという。技術の伝承が途絶え、もはや入手困難なものも多く、今回の出展品のように、丹念で繊細な手仕事がこれほどまでに良好な状態で残っているものはたいへん貴重である。
刺繍、ビーズ、レース、プリーツとさまざまな技法を用いた衣装の数々は、赤、緑、紫、青、黄、金、黒と彩りも豊かで、身を飾ること、着る人を美しく見せることは、衣服が本来備えるべき機能のひとつだと確信させられる。例えば、中国、漢民族の女性の婚礼衣装は、赤い絹地に金の刺繍で鳳凰が煌びやかに描き出されている。また、モロッコのトフレットの女性の婚礼衣装には、珊瑚や琥珀、銀のコインを連ねた頭飾りや幾重にも垂らした長いネックレスをつける。凛々しく荘厳に、かわいらしく華やかに花嫁を演出することによって、婚礼という儀式の意義がより確かになるのだと思う。しかし、こうした民族衣装は、ここ1世紀ほどのあいだに世界中から確実に消え去りつつある。だからこそ、このコレクションはますます貴重な存在になっていくだろう。[平光睦子]

2015/06/09(火)(SYNK)

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水田寛「中断と再開」、新平誠洙「windows upset」

会期:2015/06/09~2015/07/18

ARTCOURT Gallery[大阪府]

ともに1980年代生まれで、京都市立芸術大学出身・在籍中の画家、水田寛と新平誠洙のダブル個展。両者の作品は複数のイメージがレイヤー状に重なる、あるいは混在する点で共通するが、作風はまるで異なる。水田が主観的な記憶や情景をモチーフとし、丸みを帯びた線描と色鮮やかな色彩を用いるのに対し、新平のイメージ処理は反射や透過など光学的で、色調もモノトーン主体だ。また、水田がキャンバスを縫い合わせることがあるのに対し、新平は複数のキャンバスによる組作品を得意としている。このように異なる個性を持つ2人の作品だが、自己の境界線に対する意識や、異なる時空を自在に操る姿勢には共通性が感じられる。それは、デジタル技術が発達し、高度にネットワーク化された社会で育った世代の原風景なのだろうか。純正アナログ世代の筆者には窺い知れない、しかし現在の空気感を率直に反映した表現が、そこにはあった。


会場風景 左:水田寛作品、右:新平誠洙作品

2015/06/12(金)(小吹隆文)

田中一光 美の軌跡

会期:2015/06/13~2015/07/20

奈良県立美術館[奈良県]

戦後日本のグラフィック・デザインを代表する巨匠、田中一光(奈良県出身、1930~2002)。彼の業績を「舞台」「花」「文字」など6セクションに分けて概観すると同時に、その根底にある日本文化を参照する意味で、館蔵の能面、能装束、浮世絵などの古美術品を並陳した。田中の個展は過去に幾度も開催されており、奈良県立美術館でも2013年に行なったばかり。しかし今回は、日本の伝統美術と対比することで田中の創作のルーツと美意識のエッセンスを抽出しており、過去の個展と比べてもユニークな仕上がりとなった。また、近年の奈良県立美術館が進めている分かりやすさ最優先路線、すなわち、作品解説の増設と文字の大型化は今回も踏襲されていた。この方針に異を唱える人もいるだろうが、今や館の個性として定着してきたように思う。

2015/06/13(土)(小吹隆文)

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馬川亜弓 木版画と木版画絵本展「The grass of a vision」

会期:2015/06/10~2015/06/28

gallery CLASS[奈良県]

「幻想の草原」をテーマにした木版画と木版画絵本を中心とした展示。絵本には文字がなく、絵だけで構成されている。それらを1ページずつ横並びにした展示は絵巻物を見ているような感覚で、時空の広がりを一層体感することができた。他には、同じテーマの単体作品や、鹿を描いた作品なども(奈良での開催を意識したのか)。どの作品も手数が少なく、色彩の対比を効果的に扱っているのが特徴。それでいて作家の個性が十分に感じられる。クオリティの高い木版画展だった。

2015/06/13(土)(小吹隆文)

ドラッカー・コレクション:珠玉の水墨画──「マネジメントの父」が愛した日本の美

会期:2015/05/19~2015/06/28

千葉市美術館[千葉県]

「マネジメントの父」とも呼ばれるピーター・F・ドラッカー(1909-2005)。彼は日本美術のコレクターでもあった。みずから「山荘コレクション」と名付けた蒐集品の中心は室町期の水墨画。どうして室町水墨に興味があるのかと美術商に問われて、ドラッカーは「愛しているから、興味があるのです」と答えたという。ドラッカーの水墨画コレクションは日本では1986年に大阪市立美術館や根津美術館を巡回した展覧会で紹介されているが、本展はドラッカーが愛した希少な室町の水墨画と、江戸期の禅画や文人画をあわせた111点の作品により、コレクションの姿を辿る企画。
 展示構成の軸はふたつ。ひとつはもちろんコレクションの紹介なのだが、もうひとつ、ピーター・F・ドラッカーとそのコレクションの形成に焦点を当てている。個人コレクションゆえ、コレクターの視点を見ることは一般的だと思うが、ドラッカーという人間、日本美術との出会い、コレクション形成のプロセスが、図録の論文だけではなく、展示においても前面に出されている展覧会は珍しいと思う。広報物に彼の肖像を用いることは議論の末になくなったというが、展示会場入口には、展覧会タイトルとともにドラッカーの大きな写真が配されている。それも彼がたんなるコレクターではなく、日本では経営学者として高い知名度があるからにほかならない。あの「ドラッカー」が、近代的なマネジメントの必要を説いた経営学者が、他方で日本美術の熱心なコレクターであったという事実は、おそらく美術にさほど関心がない人の興味も惹いたに違いない。展示品には日本語で翻訳出版された著書、執筆に用いられていた電動タイプライターや愛用品、書簡、原稿類、日本の美術史家らと交わした書簡なども出品されていた。
 ドラッカーの日本美術への関心はすでに第二次世界大戦前から始まっていたという。自身の説明によれば1934年6月7日、ドラッカー24歳のとき、当時ロンドンの銀行で働いていた彼は帰宅途中ににわか雨に遭い、雨宿りに入った場所で開催されていた日本美術の展覧会を見て「恋に落ちた」★1。戦時中ワシントンにいたときも、日本美術を所蔵するギャラリーを訪れていたという。日本美術の蒐集を始めたのは、講演のために初めて日本を訪れた1959年7月。このとき京都で二つの作品を購入している。以降、講演のために日本を訪れるたびにドリス夫人とともに古美術商を訪ね、コレクションを増やしていき、集めた作品は220点を超えた★2。ドラッカーにとって日本美術の蒐集は趣味であったのか、それとも彼の思想となにか関連するものだったのだろうか。彼は「正気を取り戻し、世界への視野を正すために日本画を見る(to recover my sanity and perspective of the world)」と語っていたという。この言葉だけでは、蒐集は気晴らしの一種であったようにも読める。しかし彼はたんなる鑑賞者、蒐集家に留まらなかった。作品を理解するために彼の研究は日本の歴史、美術史、美学にも及び、1980年から85年まで、クレアモント大学ポモナ・カレッジの東洋美術講座の講師も務めている。日本文化、美術への深い洞察がそのマネジメント論に反映され、それゆえに日本でアメリカよりも遙かに多い読者を獲得し得たという関係が想像されるが、その点については今後の研究が待たれる。ドラッカーが亡くなって10年。ドリス夫人は2014年に103歳で亡くなった。日本ではすでになかなか見ることができない画家たちの作品を収めた貴重なコレクションの行方が気になるところである。[新川徳彦]

★1──なかば伝説となっている物語であるが、千葉市美術館の松尾知子氏によれば、このときの展覧会がどこで開催された、どのような趣旨のものだったのかは特定されていない(本展図録、30〜33ページ)。
★2──日本語の展覧会タイトルには「ドラッカー・コレクション」とあるが、英文タイトルは「collected by Peter F. and Doris Drucker」、すなわちドラッカー夫妻コレクションである。ドラッカー夫妻の次女セシリー・A・ドラッカーによれば、夫婦ふたりが納得し合意したときにのみ、作品がコレクションに加わったという(本展図録、13ページ)。

2015/06/17(水)(SYNK)

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2015年07月01日号の
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