artscapeレビュー
2015年07月01日号のレビュー/プレビュー
江戸の悪
会期:2015/06/02~2015/06/26
太田記念美術館[東京都]
大盗賊や侠客、そして悪女や毒婦。本展は、浮世絵に描かれた「悪人」に焦点を当てた企画展。三代歌川豊国、歌川国芳、月岡芳年らによる80点あまりが展示された。いずれも意匠性の高い浮世絵によって悪の魅力が凝縮した展覧会で、たいへん見応えがあった。
注目したのは、悪人たちによる悪行の数々を描写した作品がある一方で、捕らえられた彼らが公開の場で厳しく処罰される様子が描かれた作品も数多いという事実である。石川五右衛門が釜茹の刑に処されたことはよく知られているが、歌川国芳による《木下曽我恵砂路》を見ると、わが子を両手で抱えながら断末魔の雄叫びを上げる五右衛門を大勢の人々が見守っているのがわかる。いや、見守っているというより、見物しているというべきかもしれない。事実、同じ国芳による《恋模様振袖妹背》には、お縄を頂戴した八百屋お七を取り囲む大勢の民衆が描かれているが、彼らの視線は明らかに好奇と憐憫、侮蔑が含まれている。
悪人を処罰する現場を可視化したうえで共有すること。これは一方では、前近代的な、つまり非常に野蛮で恥ずべき文化的習俗のひとつなのかもしれない。だが他方で、これは、そうすることによって正と悪を峻別する境界線を共同体の構成員のあいだで確認し、結果として社会秩序を更新する儀式としても考えられる。そして、このような現場を劇的に描写したこれらの浮世絵が、そうした儀式を象徴的に再生産する社会的装置として機能していたことも想像に難くない。
だが、浮世絵は社会の異分子を排除する政治学を実践していただけではない。それは、悪人への共感といえば言い過ぎになるかもしれないが、ある種の魅力を隠さないメディアでもあった。なによりも悪人たちが着こなす着物が、小粋でかっこいい。悪人たちは明らかに審美的な対象として描写されていたのだ。だが、それだけではない。月岡芳年による《新撰東錦絵 鬼神於松四郎三郎を害す図》は、女盗賊のお松による復讐劇を描いた作品。旅の道中で巡り会った仇敵の四郎三郎の親切心につけ込み、彼の背に乗って川を渡るが、突然小刀を振りかざして彼の首元を狙う。気配を察して恐怖に慄く四郎三郎の歪んだ顔とは対照的に、当のお松はいたって冷静な表情を保っているが、激しく波打つ川面やそこから慌てて飛び立つ2匹の水鳥がお松の並々ならぬ激情を代弁しているかのようだ。ここには悪人の悪行を咎める一面はまったく見受けられず、むしろ積年の怨みを果たす復讐劇のカタルシスがあるとさえ言える。
悪への戒めと赦し。本展で発表された浮世絵のなかには、悪に対する両義性がはっきりと現われていた。これを日本人独特の精神性と断言することは早計にすぎよう。しかし、改めて本展に展示された浮世絵を見直してみると、そこにはそのような両義性を可能にする幅と厚みのある世界観が通底しているように思われた。例えば三代歌川豊国による《梨園侠客伝喧嘩屋五郎吉》は主題である侠客の肉体に描かれた鮮やかな花と、その背景に描かれた小鳥と草花が、それぞれ有機的に結びつき、一体化しているように見えた。同じ豊国の《梨園侠客伝朝比奈藤兵衛》にしても、着物の中の小鳥が、背景に走る雷に慄いているようにしか見えない。近代的な思考法によれば、地と図は明快に切り分けられるが、浮世絵においては双方の境界線はそれほど厳密ではなく、互いに重複し、融合し、ひとつの全体を構成しているのである。
竹内整一が的確に指摘したように、日本語においては受動性を表わす「自ずから」と能動性を表わす「自ら」が同じ「自」という言葉に由来する。このような言語環境のもとに浮世絵があったことを考えると、悪に対する両義性が論理的にも心情的にも成立していたことは想像に難くない。悪が悪であることに変わりはないし、悪を社会から排除する必要性も揺るがない。しかし、その悪が、時と場合によっては、こちらにも及んでくることを、浮世絵を嗜んでいた当時の人々は、経験的に知っていたのではあるまいか。路上の片隅から政治の中枢まで悪がはびこる現在、こうした経験から学ぶことは多い。
2015/06/18(木)(福住廉)
プレビュー:堂島リバービエンナーレ2015「Take Me To The River 同時代性の潮流」
会期:2015/07/25~2015/08/30
堂島リバーフォーラム[大阪府]
今年で4回目となる国際現代美術展。過去3回は南條史生、飯田高誉、ルディ・ツェンがアーティスティック・ディレクターを務めたが、今年は英国よりトム・トレバーを招聘。前例がないほど多様化、グローバル化し、流動的なネットワーク・カルチャーに依拠したセルフ(自我)が現れている今、アートはいかに機能し、状況に変化をもたらし得るかを検証する。展覧会タイトルの「Take Me To The River」は、ソウル歌手アル・グリーンとギタリストのメイボン・ティーニー・ホッジスにより1973年に発表されたR&Bの名曲であり、「River」は現代の流動的な状況の比喩と思われる。出品作家は、アンガス・フェアハースト、ピーター・フェンド、サイモン・フジワラ、池田亮司、メラニー・ジャクソン、下道基行、プレイ、笹本晃、島袋道浩、照屋勇賢、フェルメール&エイルマンスなど。
2015/06/20(土)(小吹隆文)
プレビュー:他人の時間 TIME OF OTHERS
会期:2015/07/25~2015/09/23
国立国際美術館[大阪府]
東京都現代美術館、国立国際美術館、シンガポール美術館、クイーンズランド州立美術館|現代美術館(オーストラリア)を巡回する国際現代美術展。各館のコレクションを含めたアジア・オセアニア地域の若手を中心としたアーティストを紹介し、現代における「他人」との関わり合いについて考察する。先に開催された東京都現代美術館に続く2番目の会場となる国立国際美術館では、4会場中最大となる20名の作家を紹介。大阪から合流するヒーメン・チョン、キム・ボム、加藤翼の3名は日本初公開の作品を出品し、東京でサウンド・インスタレーションを発表したmamoruは、大阪では1日限りのレクチャー・パフォーマンスを行う。また、東京展とは展示構成を変えることにより、いかにして隔たりのあるものに手を伸ばし、「他人」にアプローチするかという問いにフォーカスする。
2015/06/20(土)(小吹隆文)
プレビュー:ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours
会期:2015/07/25~2015/09/23
国立国際美術館[大阪府]
ドイツ出身の写真家ヴォルフガング・ティルマンスの、西日本では初となる大規模な個展。ティルマンスの作品は、自身を取り巻く日常的な光景、友人、街頭の若者などを主なモチーフとし、セクシャリティやジェンダーといった今日的な問いかけを孕んでいること、それらをインスタレーションとして展示することで知られている。また、近年の写真集『Neue Welt』(新しい世界)では、政治経済の問題や技術の進歩など地球上で繰り広げられているさまざまな出来事に対して自身の見解を表明するなど、新たな展開を見せている。本展では、ティルマンス自身が設計した展示空間で日本初公開となる多数の写真作品を展示する他、2台のプロジェクションによる映像インスタレーションも発表。日本の美術館では2004年の東京オペラシティアートギャラリー以来11年ぶりの個展であり、国立国際美術館1館のみでの開催となる。
2015/06/20(土)(小吹隆文)
超絶刺繡II──神に捧げるわざ、人に捧げるわざ
会期:2015/04/18~2015/06/28
神戸ファッション美術館[兵庫県]
古今東西における布に糸を縫い付けて文様を形づくる「刺繍」作品から、人間の手技の素晴らしさを実感できる展覧会。展示は大きく五つに分けられている。ひとつ目の「刺繍黄金時代」と題されたところでは、近代ヨーロッパ・インド・中国等の王侯貴族・有閑階級が着用した豪華で目にも艶やかな地域独特の衣装における、非常に繊細でいて芸術的な手仕事に圧倒される。たんに人の手で縫い付けられたとは思えないような、拡大写真が必要なほど細かな刺繍と、透けそうなほど上質な木綿や絹でつくられた着衣に、さまざまな材料・色彩を使ってひと針ひと針施された刺繍が織りなす意匠は、自然の草花から生物、幾何学的文様まで幅広い。通覧すれば、洋の東西のお国柄のコントラストが際立つ。二つ目「花鳥風月」の展示では、日本の着物にみられる自然を象る刺繍、京都の「京刺繍」作品(会場入口では多様な技法の解説あり)が展示されている。ここから祭りに捧げられた刺繍──京都祇園祭の「長刀鉾(なぎなたぼこ)」、長崎くんち(長崎市の諏訪神社の祭礼)の「傘鉾(かさぼこ)」──が展覧された。そこでは、日本の様式化された動植物、後者ではとりわけ写実的な本物と見まがうような海の生物の刺繍を見ることができる。最後の「オートクチュール」のところでは、美しいドレスの仕事に思わずため息が漏れる。[竹内有子]
2015/06/20(土)(SYNK)