2019年09月01日号
次回9月17日更新予定

artscapeレビュー

2018年07月15日号のレビュー/プレビュー

齋木克裕「Non-Architectural Photographs」

会期:2018/05/23~2018/06/17

銀座レトロギャラリーMUSEE[東京都]

齋木克裕は1969年、東京生まれ。2004年に文化庁の新進芸術家海外研修制度の助成を受け、その後ずっとニューヨークに滞在して作家活動を続けてきた。今回は、昨年の帰国後初の個展として、「Split」「Arrangements」「Reflection」などの代表的なシリーズを展示した。いわば、日本で写真家としてのスタートラインを引き直す作業の一環といえるだろう。

齋木の作品は主に建築物を題材として撮影された写真を「切り取り、入れ替え、繋ぎ合わせ、作品自体の物の構造に従って組み替え」ることによって成立する。多重露光を試みたり、複数の写真を組み合わせたり、立体化したりすることによって、「写真と抽象美術」というまったく正反対に思える表現のジャンルの、意外な親和性や共通性が浮かび上がることになる。その制作の手つきは高度に洗練されていて、とてもチャーミングな視覚的オブジェとなっている。今回の出品作品も、昭和通り沿いの銀座一丁目に1932年に竣工したという旧宮脇ビルを改装した「レトロ」なギャラリーの空間に、ぴったりとマッチしていた。

ただ、これから日本で活動するにあたっては、「写真と抽象美術」との関係をセンスよく展開するだけではやや物足りない。なぜ、この建築物なのかという動機づけの部分が、どんなふうに説得力を持って作品に取り込まれていくのかが重要になってくる。とはいえ、齋木のような緻密な思考力と構想力を備えた写真家が、日本ではそれほど多くないのも確かだ。ニューヨークでの経験の厚みを活かした、次の展開を期待したい。

2018/06/03(日)(飯沢耕太郎)

MOTOKO「田園ドリーム」

会期:2018/06/01~2018/06/06

オリンパスギャラリー東京[東京都]

MOTOKOは2006年に写真の仕事で滋賀県高島市針江地区を訪れ、農業に関わる環境の「目には見えない多様な世界」に強い興味を覚えるようになる。2008年からは、滋賀県長浜市と高島市で、都会からUターンして米農家を継いだ若者たちを撮影し始めた。こうして「田園ドリーム」と名づけた写真シリーズが形を取っていった。

さらに東日本大震災以降、「田園ドリーム」の撮影・発表が呼び水となって、「カメラを使って地域の人が地域の魅力を発信する」という「ローカルフォト」の運動が、香川県小豆島、滋賀県長浜市、長崎県東彼杵町、静岡県下田町、山形県山形市などで相次いで生まれてくる。東京写真月間のテーマ展示「農業文化を支える人々──土と共に」の一環として開催された本展では、MOTOKOの「田園ドリーム」の作品とともに「小豆島カメラ」、「長浜ローカルフォトカメラ」のメンバーたちが撮影した写真、「真鶴半島イトナミ美術館」の活動を紹介する映像などが展示されていた。

展示を見て強く感じたのは、デジタルカメラとSNSの進化によって、写真を撮影・発表するシステムが大きく変わってきたということだ。MOTOKOがあえて「集合写真を撮る」ことにこだわり続け、カメラと正対するストレートな撮り方を基本としていることもあるが、プロとアマチュアの写真の質的な差異はほとんど解消されている。「誰でも簡単に質の高いデザインや写真が発信できる」いま、むしろ「ローカルフォト」の参加者の自発的なエネルギーを引き出しつつ、どのようにアウトプットの場を育てていくのかが重要になる。その意味では、彼らの活動自体が、カメラメーカーの運営するギャラリーの空間にはおさまりきれなくなってきそうだ。それぞれの「写真チーム」が、自分たちのやり方で発表の媒体をつくり上げるとともに、各プロジェクトの横のつながりも必要になってくるのではないだろうか。

2018/06/06(水)(飯沢耕太郎)

吉田五十八《猪俣邸》《吉屋信子記念館》

[東京都、神奈川県]

東北大学五十嵐研の関東ゼミ旅行において、吉田五十八が1960年代に手がけた2つの住宅を見学した。最初は東京の成城学園前の高級住宅街に建つ《猪俣邸》である。土地柄、周辺には豪邸が目立つが、これは特に超豪邸と言えるだろう。もっとも、平屋建てであり、高さやデカさ、もしくは過剰な装飾によって存在を誇張する建築ではない。したがって、外からは生け垣や植栽によって視界もさえぎられ、ほとんど見えない。が、内部に入ると、庭や小さな中庭に面する流動的かつ可変的な空間の豊かさがとても気持ちいい。時代や世代を超えて、居心地のよさも共有できる。細かい技を散りばめた20世紀のモダン和風の傑作である。吉田の場合、《日本芸術院会館》やローマの《日本文化会館》など、不特定多数の人が出入りする大きなスケールのデザインだと、ときどきおかしい感じがするのだけど(それは吉田に起因するのではなく、本来の日本建築のプロポーションのせいかもしれないが)、こうした住宅に関しては卓越した才能をもつ。ちなみに《猪俣邸》は、世田谷トラストまちづくりが管理していることによって、きれいに維持され、われわれの見学が可能になっている。大変ありがたいことである。

もうひとつは、鎌倉でちょうど春の一般公開が行なわれていた《吉屋信子記念館》である。これは吉田の設計によって、既存の家屋を移築・増改築し、作家の吉屋が暮らしていた住宅だったが、死後に土地と建物が鎌倉市に寄贈された。考えてみると、これに限らず、昭和時代は画家や作家らが施主となった名作の住宅が少なくないが、果たして平成以降はどうなのだろうか、少々心配になる。《猪俣邸》のような新築だと、あらゆる細部においてさんざん技巧を凝らせていたが、《吉屋信子記念館》では、表現をかなり抑え、天井の意匠や空間のフレーミングなどに注力し、ゆったりとした場をつくっている。前面道路から見ると、敷地のだいぶ奥に家を配し、これも庭を眺める住宅だった。また機能性が求められる台所は、《猪俣邸》の仕様と似ている。

《猪俣邸》書斎の角から庭を見る



《猪俣邸》和室の縁側


《猪俣邸》左=居間から茶室を見る、右=渡り廊下の先にある第一の茶室


《猪俣邸》居間と食堂に面した中庭の角


《吉屋信子記念館》外観


《吉屋信子記念館》左=応接間、右=書斎


《吉屋信子記念館》応接間よりも一段高い和室


2018/06/09(土)(五十嵐太郎)

《丘の上の寺子屋ハウス CASACO》《WAEN dining & hairsalon》《ヨコハマアパートメント》

[神奈川県]

五十嵐研のゼミ旅行の2日目は、横浜・日ノ出町にて、tomito architecture(冨永美保+伊藤孝仁)が設計した《丘の上の寺子屋ハウス CASACO》に集合し、世界の朝ご飯を食べるイベントに参加した。構造補強として鉄骨のフレームを挿入しながら、木造の二軒長屋の壁や2階の床を抜き、前面の道路から奥まで視線が抜ける開放的な空間を実現している。吹抜けにおいてシンボリックに存在する階段は、二軒長屋の間の壁がなくなったことで、ダブルで並ぶが、現在、片方は本棚として使われていた。日曜の朝だったが、本当に近隣の子供が集まる場になっていた。なお、2階は留学生が暮らす場であり、全体としては地域に開かれたシェアハウスである。またtomito architectureの事務所もすぐ近くに構え、この建物がどのように使われるか、というソフトの面で積極的に関わっている。

続いて、伊藤孝仁さんに日の出町を案内してもらい、やはりtomito architecture が手がけた《WAEN dining & hairsalon》を見学する。古い一軒屋をリノベーションし、1階をヘアサロン(奥)+カフェ(手前)に改造したものだが、長い時間をかけないと成立しない庭の緑環境が、建築を引き立てる。ここから駅に向かって降りる坂道の途中にも、リノベーションで面白くなりそうなさまざまな物件があった。若手の建築事務所が関わっていくことで、この町の将来がどのように変化していくかが興味深い。

日ノ出町から移動し、オン・デザインによる《ヨコハマアパートメント》を見学した。3度目の訪問だが、もう完成して10年近くが経過している。下の共有空間を囲む大きなビニールはさすがに少しくたびれていた。現時点から振り返ると、これはシェア感覚の空間を建築的な手法で解いた、いち早い事例である。また、いまは独立した中川エリカが事務所に入ってすぐに担当した物件らしい。そしてオン・デザインが担当スタッフと連名で作品を発表するようになったのも、この頃である。

《丘の上の寺子屋ハウス CASACO》


《丘の上の寺子屋ハウス CASACO》吹き抜けと鉄のフレームによる補強。2階は居住部分



《丘の上の寺子屋ハウス CASACO》左は細長い土間。手前に本棚になった階段が見える

《WAEN dining & hairsalon》


《ヨコハマアパートメント》


2018/06/10(日)(五十嵐太郎)

白井晟一の「原爆堂」展──新たな対話にむけて

会期:2018/06/05~2018/06/30

Gallery5610[東京都]

311の原発事故を経て、新しい意味を獲得したことから、「白井晟一の『原爆堂』展」が、表参道のGallery5610で開催された。丹下健三の《広島平和記念資料館》(1955)とほぼ同時期に、白井が構想した原爆に対する建築からのもうひとつのアンサーである。誰かに依頼されたわけではない、半世紀以上も前のアンビルドのプロジェクトだが、もともと時流を意識せず、時代を超越したデザインのため、いま見ても古びれていない。目玉のひとつは、岡崎乾二郎の監修によって武蔵野美術大学の展示の際に制作された模型が出品されていること。これはすぐに壊れそうないわゆる建築系の白模型ではなく、重厚感をもち、モノ自体がアート的な迫力を獲得していた。また今回のために新規に制作された竹中工務店によるCGのムービーは、入口から地下にもぐり、螺旋階段を昇って、展示室に至るシークエンスを表現している。特にテクスチャーにこだわった仕上がりで、白井の実作を参考にしたせいかもしれないが、《松濤美術館》を想起させる。会場では、ほかにスケッチ、図面、年表、筆者を含む石内都や宮本佳明らへのインタビュー映像などが展示された。じっくりと図面を見ると、地下に2箇所、男女共用のトイレも設計されており、左側はおそらく事務方、右側は来館者用のようで、リアルに設計されていたことがうかがえる。

6月24日のトークイベントでは、白井の原爆堂が獲得した普遍的な意味について、原発/原爆問題に取り組む医師の稲葉俊郎と対談を行なう。稲葉さんからは科学史を振り返り、死と医療、墓とシンボルなどについて語り、筆者からはコミュニティ以外にもあるはずの建築の力に触れた。それにしても「原爆堂」というのは、すごい名前である。大阪万博でさえ、展示で原爆を入れようとしたら、アメリカへの忖度から政府が変更させたというから、公共施設としては、絶対に成立しなかったネーミングだろう。



2018/06/13(水)(五十嵐太郎)

2018年07月15日号の
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