2021年05月15日号
次回6月1日更新予定

artscapeレビュー

2021年04月15日号のレビュー/プレビュー

竹下修平「浄土作庭考」

会期:2021/03/15~2021/03/27

巷房・1[東京都]

竹下修平は、2015年頃から寺社などの庭園を撮影し始めた。日本庭園は単なる庭というだけではなく、浄土思想に基づいた「極楽浄土の再現」という意味合いを持っている。だがよく考えると、死者だけが見ることができる極楽浄土を「再現」するというのもおかしな話だ。つまり、庭園それ自体が「まだ見ていないもの、見えないものを可視化しようとする試み」ということになる。竹下は、その「浄土作庭考」シリーズの制作にあたって、デジタル画像による風景の再構築を追求していった。視点を変えながら、「瞬きの数ほど」シャッターを切り、無数の画像をズラしながら重ね合わせて、視覚的な経験を再現しようとする。だが、ズレを修正しようとすればするほど、それが拡大してしまうことになる。竹下は、むしろその「破綻」によって、「未だ見ぬ風景の再現」が可能になると考えた。

今回の巷房・1の個展では、東慶寺、慈照寺、報国寺、妙蓮寺、龍安寺、清澄庭園、小石川後楽園などの庭を撮影し、大きめにプリントした作品が展示されていた。このシリーズの見所は、それぞれの作品の画像の、細やかな神経が行き届いた再構築の手つきにある。薄めの画像を何度も重ね合わせることで、微妙な色合いの変化が生まれてくるとともに、余白の部分もうまく活かされている。画像が鮮明に浮かび上がってきたり、逆に朦朧としてきたりする場合もある。画面上に「作庭」された綴れ織りのような画像が、精妙な視覚的なハーモニーを生み出していた。コロナ禍で海外での展示がむずかしいのが残念だが、むしろヨーロッパなどの観客に、よりヴィヴィッドな反響を呼びそうだ。

なお、展覧会に合わせて、東京綜合写真専門学校出版局から、同名の写真集が刊行された。大判の、目に馴染みやすいレイアウトで、印刷にも気を配って丁寧に制作されている。

2021/03/15(月)(飯沢耕太郎)

佐藤倫子「creative snap」

THE GINZA SPACE/吉井画廊[東京都]

佐藤倫子は2009年の個展「CROPPINGS」(Deco's Dog Cafe 田園茶房)の頃から、自ら「creative snap」と命名した写真作品を発表し始めた。目についた光景をスナップしていくのだが、色、フォルム、質感などに気を配ることで、抽象画を思わせる「リアルであるのに非現実的な世界」が画面上に広がる。そのスタイルをさらに追求していくプロセスで、今回面白い発見があった。1920-30年代に写真芸術社、日本写真会の会員として、ユニークな写真作品を発表していた福原路草と、自分の写真がかなり似ていることに気づいたのだ。

福原路草(本名・信辰)は、資生堂化粧品の創設者の福原信三の9歳下の弟で、高名な芸術写真家だった兄の影響を受けて写真の世界に踏み込んでいった。だが作風は信三と比べるとかなりモダンで、むしろ1930年代以降に流行する「新興写真」に近い。1935~38年頃に自宅近くのトタン塀を撮影した連作など、当時としては驚くほどの実験的、意欲的な作品といえる。たしかに佐藤の「creative snap」は、その路草の仕事と共通点が多い。それを証明するために、今回はTHE GINZA SPACEの会場に、資生堂から路草の作品を2点(《木 榛名湖》1939、《トタン塀》1935)を借りて展示していた。佐藤は資生堂化粧品宣伝部を経てフリーランスになったという経歴の持ち主なので、まさに福原家の美の遺伝子が受け継がれているともいえるだろう。

このような試みはとても興味深いが、「creative snap」自体は、福原路草の仕事の継承というだけではなく、もっと独自の方向へ展開していくべきだろう。そのいくつかの方向性は、本展でも形を取り始めている。たとえば、路草のテーマでもあったトタン塀は、佐藤も以前からずっと気になって、かなりたくさん撮影していたという。トタンという素材に被写体を絞るというのも考えられそうだ。

「creative snap」
会期:2021/03/01~2021/03/28
会場: THE GINZA SPACE
会期:2021/03/01~2021/03/27
会場:吉井画廊

2021/03/16(火)(飯沢耕太郎)

山形の建築と博物館をまわる1(鶴岡市)

[山形県]

一泊二日で山形の建築と博物館をまわった。近年、鶴岡は2つの注目すべき現代建築が登場した。坂茂が設計した《ショウナイホテル・スイデンテラス》(2018)とSANAAほかが手がけた《荘銀タクト鶴岡》(2017)である。前者は、水とホテルが組み合わされており、リゾート風だが、その名の通り、水田をイメージしたのはユニークだろう。彼らしい、システマチックなフレームによる空間である。そして隣接する、やはり坂による児童施設の《KIDS DOME SORAI》は、亀の甲羅のような全天候型の木造ドームが目立つ。



坂茂設計の《ショウナイホテル・スイデンテラス》


これまた坂茂設計の《KIDS DOME SORAI》

一方、《荘銀タクト鶴岡》は、幾重にも屋根が連なる外観が山々の風景とも呼応しながら、場所によって見え方が変わる新しいランドマークだった。客席は非対称のワインヤード席であり、これを包むコンクリートのヴォリュームから、軽やかな鉄の階段や空中歩廊が外周部に展開する。またホールでありながら、いつでも入れるフリーゾーンをもつ開かれた建築だった。なお、イタリア料理で有名なアル・ケッチャーノも鶴岡市内にあるので、このエリアを建築めぐりする場合は、《スイデンテラス》の宿泊とあわせて、そちらで食事をすることを勧めたい。



屋根が特徴的な《荘銀タクト鶴岡》

《荘銀タクト鶴岡》は当初、別の場所での建設も検討されていたらしいが、現在の位置は《鶴岡アートフォーラム》《大寶館》《藤沢周平記念館》《東北公益文科大学》《致道博物館》などに近く、文化系の施設がまとまった領域を形成しつつ、市の中心部に21世紀的な空間が追加されたと位置づけられる。ただし、外でのランチの習慣があまりないせいか、《荘銀タクト鶴岡》のフリーゾーンにカフェがないのが惜しい。

興味深いのは、開業がかなり早く、なんと1950年代にさかのぼる独特の施設である《致道博物館》だ。しかも、いわゆる博物館の建築とはだいぶ違う。ここにはモダニズムの美術展覧会場(1961)もあるのだが、江戸時代の《旧庄内藩主御隠殿》(1863)や《旧渋谷家住宅》(1822)、明治期の擬古典系意匠の《旧西田川郡役所》(1881)や《旧鶴岡警察署庁舎》(1884)などを随時移築し、それらが並ぶ、野外博物館的な場所なのだ。つまり各棟の建築それ自体が、山形の歴史を刻む、大きな展示物である。訪問時は企画展として、雛人形展や礒貝吉紀のドールハウス展(マッキントッシュのインテリアもいくつか含む)が開催されていた。



《旧庄内藩主御隠殿》の室内


《旧渋谷家住宅》外観


《旧西田川郡役所》(1881)


《旧鶴岡警察署庁舎》外観

2021/03/17(日)(五十嵐太郎)

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山形の建築と博物館をまわる2(酒田市)

[山形県]

酒田市では、まず《本間美術館》を訪問した。これも歴史が古く、敗戦直後の1947年に豪商だった本間家が設立し、当初は《清遠閣》(1813)の和空間において、洋画を含む、様々な展示を開催していた(それゆえ、和室にピクチャー・レールが残る)。そして1968年に伊藤喜三郎の設計による、モダニズムの新館が登場した。館長から当時の記録を見せてもらったが、めまぐるしく多種多様な展示が行なわれていたのも興味深い。ここに限らないが、現在は美術館の企画展は2~3カ月行なうものだが、ほとんど週代わりで内容が変わり、展示の入れ替えも2日程度で行なっている。こうした展示は、いまのわれわれが考える以上に、重要な娯楽になっていたはずだ。ともあれ、「美の鉱脈」展のレビューでも触れたように、山形はいまだに県立美術館がない、おそらく最後の県なのだが(青森で全部そろったと思っていたが、実はそうではない)、逆に民間の美術館が、全国レベルでも早い時期から、ここ山形で頑張っていたことと無関係ではないだろう。


《本間美術館》の外観


《清遠閣》の室内

その後、池原義郎が設計した《酒田市美術館》(1997)と、谷口吉生による《土門拳記念館》(1983)を見学した。前者は、アプローチから室内まで、建築系の人にとってはシビれるようなディテールを随所に散りばめ、落ち着いて作品を見られないのでは、と思うような技巧的なデザインである。いまの公共建築の予算では、ここまでやりきることはできないだろう。「アンティークドールの夢」展を準備中だったが、先の《本間美術館》を含めて、同日に雛祭りの人形展をすでに3カ所で見たこともあり、山形は人形好き(?)なのかと気になった。後者の《土門拳記念館》は、名誉市民となった土門拳が全作品を寄贈したことが契機に建設されたものだが、やはり背筋がぴんとする空間である。そして谷口らしい水面と建築のコラボレーションだ。


池原義郎設計の《酒田市美術館》(1997)ロビー


《酒田市美術館》内の喫茶室


谷口吉生《土門拳記念館》の外観

酒田市では、そのほか茶室や数寄屋の研究で知られる中村昌生の技巧を凝らした《出羽遊心館》(1994)、「おしん」のロケ地で有名な川沿いに並ぶ明治期の《山居倉庫》、映画『おくりびと』に登場した改修中の《旧割烹小幡》などに立ち寄った。和風建築の《出羽遊心館》は、生涯学習施設という位置づけだが、なんと2018年に「森山大道写真展」を開催したこともあるという。


中村昌生《出羽遊心館》の館内


《山居倉庫》外観

2021/03/17(水)(五十嵐太郎)

映里『「饗宴──愛について」1996-2000』

発行所:赤々舎

発行日:2021/04(予定)

映里の名前は、中国人のパートナーの榮榮との写真作品制作ユニット、榮榮&映里(RongRong & inri)の一人としてよく知られている。2000年から共同制作を開始した二人の作品は、世界各地で展示されて高い評価を受ける。2007年には、北京郊外に中国初の現代写真芸術センター、三影堂撮影芸術中心を立ち上げて、国際的な展覧会や芸術祭を企画・運営していった。本書には、その映里がまだ日本で鈴木映里として活動していた1996-2000年制作の4作品、「セルフポートレート」「MAXIMAX」「GRAY ZONE」「1999 東京」が収録されている。

それらを見ると、20歳代の彼女が、内から溢れ出る衝動、エナジーを受け止める器として写真という表現手段に出会い、その中に没入していったプロセスがよくわかる。裸になり、駆け回り、赤い絵具をぶちまけ、布に絡まる──そのようなパフォーマンスを基調とした表現が全面に打ち出されており、コントラストを強調した黒白印画、粗粒子、ソラリゼーションなどの手法を多用することで、身体性、物質性への強いこだわりが貫かれている。むろん、のちの榮榮&映里の、静謐で高度な画面構成の作品と比較すれば、完成度はかなり低く、習作の段階にとどまっているように見えなくもない。だが、このようなパッショネートな表現意欲を、緊張感のある画面に封じ込めることで、後年の彼らの作品が成立していったことがよくわかった。

彼女がこれらの初期作品をあえて公表したのは、コロナ禍の状況において、「写真は愛を知るための唯一の方法で、愛は写真が生まれるための唯一の観念」と思いつめていた1990年代の初心を、もう一度取り戻そうと考えたためだろう。榮榮&映里としての発表も一区切りついたいま、ふたたび、ソロ活動を開始する可能性もあるのではないだろうか。

2021/03/18(木)(飯沢耕太郎)

2021年04月15日号の
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