2021年05月15日号
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artscapeレビュー

2021年04月15日号のレビュー/プレビュー

佐藤可士和展

会期:2021/02/03~2021/05/10

国立新美術館 企画展示室1E[東京都]

言うまでもなく、デザインの展覧会は、基本的に一品モノではないため、アートに比べると、どうしても強度が落ちる。だが、そこでしか体験できない何か、すなわち複製できない体験をつくりだせば、必ずしもそうはならない。「佐藤可士和展」は、そうした仕掛けを周到に用意している。例えば、国立新美術館の天井高のある展示室は、アートでもなかなか使いたおすのは難しい。だが、さすがに街中での広告を展開してきただけあって、巨大な壁面にあわせたレイアウトによって展示を行ない、遠くからの視認性も抜群である。縮小・拡大可能なデザインだからこそ、逆に会場の大きさを生かした展示になっていた。また展示が終わった後、関連グッズを販売するショップのエリアも、リアルなインテリア・デザインを試みている。ちなみに、ほぼすべての展示は撮影可となっており、それをうながすような場も計算され、来場者があちこちで記念写真を撮っていた。これらはSNSなどで拡散され、さらに来場者を呼び込むはずだから、アートディレクターとして自分の展覧会をどのように広告するかも考えられている。


「佐藤可士和展」より。企業ロゴのコーナー


佐藤可士和が手掛けたポスターのコーナー


《カップヌードルミュージアム 横浜》のコーナー


セブンイレブンのリブランディングプロジェクトに関する商品展開

SMAPのCD、国立新美術館、T-POINT、楽天などのロゴ、ポスターのグラフィックデザイン、カップヌードルや今治タオルのブランディング、コンビニの商品パッケージのデザイン、ユニクロのショップ展開から、《ふじようちえん》や団地再生のプロジェクトまで、活動は多岐にわたり、改めてわれわれの日常の様々な場面で、佐藤がプロデュースするデザインに出会っていたことを思い知る。したがって、これはデザインが重要であることを社会に認知してもらうことに貢献する展覧会だろう。個人的に興味をもったのは、まとめて見ると、モダニズム、コラージュ、ミニマリズム、ポップアートなど、近現代美術の手法の流用が多いことだ。展示のラストでは、美術館ということで佐藤のアート作品、「LINE」と「FLOW」のシリーズも紹介されていた。これは建築家の展覧会がしばしばそうなるように、セルフ・プロデュースのデザイン展だろう。もっとも、美術館だからこそ、学芸員のキュレーションにより、アートがどのようにデザインに導入されたかを分析するような内容も見たかった。


ショップにもなっている、ユニクロのグラフィックTシャツブランド「UT」の国立新美術館バージョン


リニューアルプロジェクトを佐藤がプロデュースした《ふじようちえん》の模型とAR画面


佐藤可士和のアートワーク「FLOW」シリーズより

公式サイト: https://kashiwasato2020.com/

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佐藤可士和展|杉江あこ:artscapeレビュー(2021年02月15日号)

2021/03/29(月)(五十嵐太郎)

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西條茜「胎内茶会」

会期:2021/03/23~2021/03/31

京都市営地下鉄醍醐車庫[京都府]

元小学校をリノベーションした京都芸術センターでは、建物内にある茶室を活かし、美術作家、舞台芸術や伝統芸能のパフォーマー、研究者、建築家などが席主をつとめてもてなす「明倫茶会」を2000年より継続的に開催している。コロナ禍で開催ができないなか、芸術家支援事業の一環として、オンラインで参加する「光冠茶会(ころなちゃかい)」が2月~3月に開催された。参加者には、席主が選んだお茶とお菓子が事前に届き、各会場からのライブ配信を視聴しながらそれらを味わうというものだ。本評で取り上げるのは、そのうちのひとつ、陶芸家の西條茜による「胎内茶会」。ただし、オンライン茶会ではなく、配信会場である京都市営地下鉄の醍醐車庫で開催された個展のほうを取り上げる。

受付で検温や消毒を済ませ、コンクリートに囲まれた薄暗く狭い階段を降りていく。降りた先に広がるのは、地下の広大な空間だ。そこに配された西條の陶芸作品は、多彩な釉薬が重ねられた艶やかな表面と、ラッパ状の口や穴をいくつも持つ有機的な多孔体や管構造をしており、奇妙な金管楽器や原始的生物、人体の臓器のようにも見える。その展示空間に、鈍い金属音の残響が響き、巨大な空洞を満たしていく。この音はオンライン茶会でのパフォーマンスの記録映像から流れており、パフォーマーたちが西條の作品に実際に息を吹き込んで、楽器のように音を鳴らしている。それは、楽器の演奏であると同時に、文字通り呼気を吹き込んで生命を与える行為であり、作品を抱きかかえるように、あるいは作品の中に身を埋めるようにして息を吹き込むパフォーマーたちは、硬いはずの作品と境界が溶け合って一体化しているようにも見えてくる。



[撮影:守屋友樹]



[撮影:守屋友樹]



[撮影:守屋友樹]


都市の地下に穿たれた巨大な空洞である地下車庫の空間、内部が空洞である陶磁器、呼気が音となって排出される管楽器、人体もまた口から始まって肛門へと至る消化器官が体内を貫く一本の管である。そうした何重もの入れ子構造や転換の作用が体験の強度を支える本展において、鑑賞者は自身の身体への反省的な意識へと導かれる。そこに、「オンライン企画の付随物」ではなく、本展がリアルの場において開催・公開されたことの意義がある。

同時に、「生でパフォーマンスを体験したかった」と強く感じられた。たとえば、複数の穴や開口部を持つ作品では、どこから息を吹き込むのか、あるいは1人で息を吹き込む場合と2人以上で行なう場合では、音が違うのか。どのくらい音程的な変化が付けられるのか。作品の配置とポリフォニーの形成は、どのような関係を結びうるのか。造形と聴覚体験を組み合わせた「パフォーマンス作品」としての発展可能性も感じられる個展だった。

西條茜:https://akane-saijo.jimdofree.com

2021/03/30(火)(高嶋慈)

石松佳『針葉樹林』

発行所:思潮社

発行日:2020/11/30

2019年に第57回現代詩手帖賞を受賞した石松佳(1984-)による第一詩集。2021年3月には本書によって第71回H氏賞を受賞しており、第一詩集としては異例なことに、発売から半年を待たずして初版分は完売している。

じっさい本書を手にとってみると、ここに収められた作品が、多くの読者を魅了するのも大いに頷ける。ひとつひとつの詩が浮かび上がらせる情景は、よくある散文的フィクションの陳腐さからも、不必要に凝った現代詩の晦渋さからも、はるかに遠いものである。ひとことで言えば、ここにある言葉にはいっさい無理がない。本書を評するあれこれのなかに、「軽やかさ」や「まぶしさ」といった形容がしばしば見られる理由も、おそらくそのあたりに見いだされるだろう。

若干ながら、具体的な作品にも立ち入ってみたい。本書の栞で松下育男が書いているように、この詩集ではまず何よりも直喩のめざましさが際立っている。たとえば次のような一節。「ひとつの精神に対して、身体は買い物籠のように見透かされていたかったのだが。今日は茄子が安いよ、と言われて、手に取る」(「梨を四つに、」)。いささか無粋な説明を加えるなら、この一節の驚きは、前半で「身体」の喩えとして登場した「買い物籠」が、後半の買い物の情景でとたんに実体に転じている──ように読める──ことにある。前出の松下が評するように、ここには「喩えるものが喩えられるものと同じ濃さで現れてくる」、あるいは「喩えたものが喩えられたものの現実を、そのまま引き継いでしまう」という奇妙な世界が立ち現われている(松下育男「直喩と透明と小さな差異」本書栞)。

しかし、これらの作品においてもっとも特徴的なのは、むしろ先の一節に典型的に見られるような、ごく小さな接続語(「……のだが」)を介した不意の飛躍ではないだろうか。同じ「梨を四つに、」という作品は次のように始まっている──「梨を四つに、切る。今日、海のように背筋がうつくしいひとから廊下で会釈をされて、こころにも曲がり角があることを知った。そのひとの瞳には何か遠くの譜面を読むようなところがあり、小さな死などを気にしない清々しさを感じたために無数にある窓から射し込む陽光が昏睡を誘ったけど、それはわたしの燃え尽きそうな小説だった」(30頁)。

見てわかるように、後半に進むにつれて、ひとつひとつのセンテンスが長くなっている。ここには「会釈をされて、」「誘ったけど、」といった順接・逆接による情景のスイッチがあるが、その前後はおよそ論理的に繋がっているようには見えない。とはいえこれを一読してみたとき、この前後の流れがまったく連続性を欠いたものであるとも思えない。先に「ここにある言葉にはいっさい無理がない」と言ったのは、つまりそういうことである。これはおそらく、「背筋」「会釈」「曲がり角」、あるいは「死」「陽光」「燃え尽きそうな」といった言葉のふくらみが、論理とは異なるゆるやかな連続性を保っているからだろう。ただしそれは単語の羅列ではなく、あくまでも「……して、」「……けど、」のような接続語をともなった文章のかたちで連鎖するのだ。

いったんそのような目で眺めてみると、本書所収の詩篇のいたるところで「……して、」「……けど、」のような接続表現がやたらと目立つことに気づくだろう。これらは文法的な説明としては接続語ということになるのだろうが、同じく栞で須永紀子が指摘するように、これらの語彙を順接や逆接といった単一の機能に還元することは、実のところむずかしい(須永紀子「喩がひらく詩」本書栞)。この「……して、」「……けど、」のような比喩ならざる比喩、ごくわずかな一、二音節からなる接続語こそが、本書の見事な直喩の数々を、その根底において支えている当のものではないだろうか。

2021/04/05(月)(星野太)

松浦寿輝『わたしが行ったさびしい町』

発行所:新潮社

発行日:2021/02/25

本書のもとになったのは、2019年からおよそ1年半にわたって『新潮』に書き継がれたエセーである。そのタイトルに違わず、著者がこれまでに行った「さびしい町」をめぐって書かれた文章だが、その内容はよくある旅行記のたぐいとは一線を画している。

著者・松浦寿輝(1954-)のこれまでの仕事を多少なりとも知る読者であれば、本書に登場する地名にヨーロッパ以外の町が多数含まれていることに、いささか意外な心持ちがするだろう。パリ十五区、ヴィル=ダヴレー、シャトー=シノンといったフランスの地名も登場しないわけではないものの、むしろ本書の大半は、イポー(マレーシア)、ニャウンシュエ(ミャンマー)、長春(中国)、江華島(韓国)といったアジアの国々の地名で占められている。加えて、上野や中軽井沢といった著者の生活圏と結びついた地名もあれば、過去に作家・研究者として滞在した北米のタクナ、ドーチェスターといった地名もある。本書では、これら数々の「さびしい町」でのエピソードとともに、著者の公私にわたる記憶がさまざまに綴られる。「わたしが行ったさびしい町」というだけあって、ひとつひとつの町に、何か大きな特徴があるわけではない。むしろ本書の読みどころは、そうした町の名前に結びついた、著者その人の個人的な記憶にある。

いささか回りくどい言い方になるが、本書がありふれた旅行記のたぐいと一線を画している理由は、ここに書かれたことが、それぞれの「町」について何か有益なことを教えてくれるわけではないからだろう。先にも書いたように、本書において印象的なのは、それぞれの町を訪れたときの著者の心境や、その時々の人生の濃淡が、ちょっとした昔話のように現われては消えていくことだ。ものによっては半世紀以上前の記憶もあるのだから、それはいつも鮮明なものであるとはかぎらない。いや、たとえ比較的近い時期のものであっても、著者の記憶は全体的にどうも心もとない。

そのようなとき、本書では著者がウィキペディアなどで「調べてみた」事実がしばしば挟み込まれる。わざわざそんなことを書く必要はないではないか、と思うむきもあるかもしれない。だが、むしろ本書の叙述において肝要なのは、そうした「経験」と「情報」の隔たりであると言えるだろう。考えてみれば、ここに登場する「さびしい町」での記憶のほとんどは、iPhoneもGoogleマップもなかった時代のそれである。対して、いまや当地の情報を手繰り寄せようとすれば、さしたる労力もなく、いくらでもそれを手元に呼び出せる時代になった。しかし、往時の経験がGoogleマップの客観的な情報に還元されることはないし、ましてそのとき自分がいかなる心境にあったかという実感は、とうてい復元しえるものではない。のちに著者が詩集のタイトルに掲げるほどに想像力を掻き立てられたというソウルの「秘苑(ビウォン)」が、Googleの検索結果ではあえなく焼き肉屋のサイトに押しのけられてしまうという挿話(185頁)も、ユーモラスでありながらそこはかとない悲哀をさそう。

本書で幾度も吐露される「さびしい町」への偏愛は、この著者の熱心な読者にとってさほど意外なものではないだろう。また、「さびしさ」そのものをめぐる著者その人の考えも、後半にむかうにつれ次第に明らかになっていくにちがいない。とはいえ、そうした堅苦しいあれこれは措くとしても、本書はとにかくめっぽう面白い。これが凡百の旅行記と一線を画すということはすでに述べたとおりだが、「ナイアガラ・フォールズ」と「タクナ」の章で綴られるアメリカ横断旅行のエピソードや、「アガディール」の章での命からがらのモロッコ旅行など、読みどころを挙げていけばきりがない。ここに漂っているのは、やはり個人的な回想を多分に含んだ旧著『方法序説』(講談社、2006)などよりもはるかに優しい雰囲気であり、かつて著者の文体の特徴をなしていた厳しい断言は、ときおり括弧のなかで控えめに呟かれるのみである(14、23頁など)。そうした文体上の変化は、著者がこれをはっきり「余生」や「老境」の認識と結びつけていることと、おそらく無縁ではないだろう。

2021/04/05(月)(星野太)

カタログ&ブックス | 2021年4月15日号[近刊編]

展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
※hontoサイトで販売中の書籍は、紹介文末尾の[hontoウェブサイト]からhontoへリンクされます





アヴァンギャルドのオリジナリティ モダニズムの神話

著者:ロザリンド・E・クラウス
翻訳:谷川渥・小西信之
発行:月曜社
発行日:2021年3月3日
サイズ:四六判上製、480ページ

20世紀美術批評の最重要論集。モダニズム芸術の中核概念である「特異性」「オリジナル」「唯一性」「原作者」「自発性」などを神話として分析し、それらによって覆い隠されている「反復」「コピー」「差異」「パスティッシュ」「展示空間」といった現実を顕わにする論争の書。美術をめぐる言説に、時代を超えて刺激を与え続けている現代の古典、改訳にてついに再刊。(原著1985年刊。『オリジナリティと反復』リブロポート、1994年刊を全面的に改訳した新版)

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『オリジナリティと反復』ロザリンド・E・クラウス|沢山遼:Artwords(アートワード)

ポスト・アートセオリーズ─現代芸術の語り方

著者:北野圭介
発行:人文書院
発行日:2021年3月30日
サイズ:13.2×18.8cm、280ページ

拡散する現代アートに対峙する理論とは何か。芸術の終焉、ポストモダニズム、ポストセオリーの時代を越えて、来るべき理論を探る野心作。
1980年代、アーサー・ダントーは「芸術の終焉」を唱えた。しかし、その後、現代アートはグローバル資本主義の拡大に同伴するかのように爆発的な隆盛を見せる。一方、芸術に向き合ってきた人文学はポストモダニズムの席巻の後、社会主義の崩壊、メディア技術の発展やアート自体の拡散も相俟って、理論的なものが後退してゆく。果たしていまや、この事態に斬り込む言葉はあるのか。本書では、「理論」を牽引するジャーナル『オクトーバー』『クリティカル・インクワイアリー』の変遷を軸に、現代思想とアートの複雑な絡み合いを読み解く。米国を越えて加速する世界規模の知のサーキュレーションを背景に、かつての理論的地平の乗り越えを試みる。

なお本書には、黒いコードの群れ──「クリスチャン・ボルタンスキー─Lifetime」展|北野圭介:フォーカス(2019年04月15日号)も収録。


千葉正也個展

著者:千葉正也
発行:美術出版社
発行日:2021年3月16日
サイズ:30cm、180ページ

2021年1月より東京オペラシティ アートギャラリーにて開催されていた「千葉正也個展」図録。本展インスタレーションを撮り下ろし掲載するほか、過去の代表作から最新作まで掲載した作家初の作品集。


[収録テキスト]
・インタビュー:聞き手=松井みどり (美術評論家)
・寄稿:羽鳥嘉郎(演出家)、首藤直樹(アーティスト)
・論文:堀元彰(東京オペラシティ アートギャラリー)

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千葉正也個展:オススメ展覧会(2021年03月15日号)

視覚言語と生成する身体──『夢の男』と千葉正也個展から|田中みゆき:キュレーターズノート(2021年04月01日号)

絵画を通してのみひらかれるもの──千葉正也個展/輝板膜タペータム 落合多武展|能勢陽子:キュレーターズノート(2021年03月01日号)

千葉正也個展 |村田真:artscapeレビュー(2021年02月01日号 )

リフレクティヴ・ノート(選集)

著者:田中功起
発行:美術出版社
発行日:2021年3月10日
サイズ:21cm、459ページ

アーティストの抽象的思考と具体的実践は、コロナ禍で変わったのか。日本を代表する美術家、田中功起の新刊。2020年10〜12月にアート・ソンジェ・センター(韓国、ソウル)で開催された個展「Vulnerable Histories (A Road Movie)」にあわせて刊行。コロナ禍のインタビューや書き下ろしを含めた、近年国内外で寄せた16のテキストを収録。日英韓の3か国語表記。

なぜ戦争をえがくのか─戦争を知らない表現者たちの歴史実践

編著:大川史織
著者:小泉明郎、諏訪敦、武田一義、高村亮、遠藤薫、寺尾紗穂、土門蘭、柳下恭平、後藤悠樹、小田原のどか、畑澤聖悟、庭田杏珠、渡邉英徳
みずき書林
発行日:2021年1月9日
サイズ:13.2×18.8cm、320ページ

美術、絵画、漫画、工芸、音楽、小説、写真、彫刻、演劇、研究……歴史と記憶と表現をめぐる10の対話。
敗戦から75年が経過し、当時を知る人の数は年々少なくなりつつある。体験者の記憶を継承することは急務のひとつである。しかし、〈戦争記憶の継承〉とはどういうことなのか。表現者たちはどのように戦争と出会ったのか。私たちは知らないことをどのように語り継ぐのか。体験のない人びとによる、体験のない人たちのための、〈記憶の継承〉のかたち。

光のない。 [三部作]

著者:エルフリーデ・イェリネク
翻訳:林立騎
発行:白水社
発行日:2021年3月11日
サイズ:18cm、189ページ

ノーベル文学賞作家イェリネクが、ポスト3.11の世界に捧げるレクイエム!東日本大震災と原発事故がモチーフの三部作、一挙収録[訳文一新]。既刊単行本の『光のない。』に収録された四作から「雲。家。」と「レヒニッツ(皆殺しの天使)」を割愛し、「光のない。」「エピローグ?」に「プロローグ?」を新しく追加して、Uブックス版としての刊行。日本の読者のために、自作解説「よそものとしてわたしたちはやってきて、誰もが一人のままでいる。(わたしの作品『光のない。』についてのいくつかの考え)」も特別寄稿されたワールドプレミア・エディション。

未来のアートと倫理のために

編著:山田創平
執筆者:今井朋、樅山智子、あかたちかこ、小泉明郎、内山幸子、吉澤弥生 、竹田恵子、飯田和敏、鷹野隆大、緒方江美、ウー・マーリー、住友文彦、猿ヶ澤かなえ、三輪晃義、遠藤水城、百瀬文
発行:左右社
発行日:2021年3月9日
サイズ:四六判変型、260ページ

「アートにおける倫理」をテーマにした必携の入門書
アート界のジェンダー不平等 見えなくされる芸術労働者 マイノリティと表現の自由 美術館のアイデンティティ 公平性とアートマネジメント 制作と合意 芸術実践における倫理のあり方と公平な社会の可能性を、アーティスト、アートマネージャー、キュレーター、ソーシャルワーカー、ドラァグクイーン、社会学者、弁護士らが共に探った、これからのアートを考える人に必携の一冊。

日本近現代建築の歴史 明治維新から現代まで (講談社選書メチエ)

著者:日埜直彦
発行:講談社
発行日:2021年3月11日
サイズ:13×18.8cm、424ページ

本書は、明治維新から現在に至る日本の建築史を一筆書きで描き出す試みである。日本の建築史については、これまで幾多の著作が書かれてきたが、1970年までで終わるものがほとんどで、その後の時代を包含するものはない。バブル経済に沸き立った1980年代を経て、長い不景気の時代を迎えた日本は大きな変化を受けている。ならば、21世紀の今、本当に必要なのは、この150年の歴史を通覧することにほかならない。


クリティカル・ワード メディア論 理論と歴史から〈いま〉が学べる

編著:門林岳史、増田展大
執筆者:秋吉康晴、飯田麻結、飯田豊、岩城覚久、遠藤英樹、大久保遼、喜多千草、佐藤守弘、清水知子、鈴木恒平、竹峰義和、田中洋美、橋本一径、浜野志保、原島大輔、福田貴成、堀潤之、前川修、馬定延、松谷容作、水嶋一憲、水野勝仁、光岡寿郎、毛利嘉孝、山本泰三、吉田寛
発行:フィルムアート社
発行日:2021年2月26日
サイズ:四六判、296ページ

メディアの織りなす世界を読み解く35のキーワード
ゲーム、ソフトウェア、モバイルから、資本、ジェンダー、観光、軍事まで……現在/過去の文化と社会を一望できる、メディア論の新しい教科書!


TCP Record&Review─Vol.1 バウハウスへの眼差し─EXPERIMENTS─

発行人:伊奈英次
編集・デザイン:岡田奈緒子、小林功二(LampLighters Label)
発行:東京綜合写真専門学校
発行日:2021年3月31日
サイズ:25.6×18.4㎝、130ページ

2019年に東京綜合写真専門学校ギャラリー(1F+4Fギャラリー)にて開催された展覧会「バウハウスへの眼差しーEXPERIMENTSー」の記録集。展⽰は主催者である東京綜合写真専⾨学校の校⻑・伊奈英次によるバウハウスの記録写真展「バウハウスを訪ねて」と、東京綜合写真専⾨学校を卒業した写真家 7名による新たな挑戦の場「7 EXPERIMENTS」の 2部で構成。


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東京綜合写真専門学校「バウハウスへの眼差しーEXPERIMENTSー」関連イベント:アートフラッシュニュース(2019年11月01日)

中﨑透 Connection Collection(記録集)

著者・編集:中﨑透
執筆:石川卓磨、佐藤慎也、天野一夫
写真:松本美枝子、舘かほる、中﨑透、仲田絵美
発行:中﨑透
発行日:2020年10月31日
サイズ:21cm、130ページ

2020年10月〜11月にかけて水戸のキワマリ荘/中﨑透美術館準備室(仮)で開催された展覧会「Connection Collection」の記録集。


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新型コロナ禍での行政による文化芸術支援 これまでとこれから(後編)|内田伸一:トピックス(2021年02月01日号)

TERATOTERA 2010→2020 ボランティアが創ったアートプロジェクト

監修・ディレクター:小川希
編集:西岡一正
デザイン:トール至美
翻訳:ライアン・ホームバーグ
発行:アーツカウンシル東京
発行日:2021年3月11日
サイズ:13x18.8cm、424ページ

TERATOTERA(テラトテラ)は、東京都とアーツカウンシル東京と、吉祥寺に拠点を置いて現在進行形の芸術をフィーチャーしている一般社団法人Ongoingが協働して、平成21年度よりJR中央線高円寺駅~吉祥寺〜国分寺駅区間をメインとした東京・杉並及び武蔵野、多摩地域を舞台に展開する、地域密着型アートプロジェクトおよびその発信機関の総称。本書は、アートプロジェクトTERATOTERAの2010から2020の営みをまとめたドキュメントブック。


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オルタナティヴ・アートスクール ──第4回 自分たちに必要なプロジェクトをつくる アートプロジェクトの0123|白坂由里:トピックス(2019年04月15日号 )



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2021/04/14(水)(artscape編集部)

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2021年04月15日号の
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