artscapeレビュー

2009年05月01日号のレビュー/プレビュー

本城直季 新作写真展 ここからはじまるまち Scripted Las Vegas

会期:2009/03/04~2009/04/12

epSITE GALLERY 1[東京都]

写真家・本城直季の新作展。例によって、都市風景をジオラマのように撮影した写真を発表していたが、もともと広大な砂漠の真ん中に人工的に切り開かれたラスベガスをモチーフとしているせいか、その人工性がいつも以上に倍増していたように感じられた。圧倒的なオイルマネーを背景に、奇天烈な都市計画が進行しつつあるというドバイをどのように撮影するのか、ぜひ見てみたい。

2009/03/28(土)(福住廉)

岩渕貞太「タタタ」

会期:2009/03/27~2009/03/29

のげシャーレ[神奈川県]

近年Ko & Edge Co.や群々でも活動している岩渕貞太。待望の新作。よかった。30分ほど酒井幸菜が踊ったあと、同じ振り付けを岩渕が続ける。照明や音響もタイミングは変えてあるとはいえ、ほぼ同じイメージ。瞬発力のダンス。振る、揺する、曲げる、相撲のように低姿勢で前進する。時々、ダンスというよりスポーツに見える。岩渕の柔軟で力強い身体は魅力的で、また、2月に見たマリー・シュイナールの作品を思い起こさせた。舞台上の身体が、なにかの代理表象となるのではなく、自らの身体それ自体を見る者に率直に提示するのは、明らかに最近のモードのひとつ。テレ・コミュニケーションが氾濫する現在に、それでも観客が劇場に足を運ばずにはいられない舞台の要素とはいったいなんなのか? そうした問いへの、これはひとつの解答なのだろう。
岩渕貞太「タタタ」:http://kyunasaka.jp/topics/studio/tathata.html

2009/03/29(木村覚)

VOCA展2009 現代美術の展望─新しい平面の作家たち

会期:2009/03/15~2009/03/30

上野の森美術館[東京都]

40歳以下の平面の作家を対象とするVOCA展。選考委員は、毎年のように絵画の「貧困」「不作」「窮状」を嘆いてきたが、今回はVOCA賞の三瀬夏之介をはじめ、樫木知子、竹村京、高木こずえなど、新進気鋭の平面作家たちがそれぞれ力作を見せて、見応えがあったように思う。とりわけ、すばらしかったのが、淺井裕介と田中幹。淺井は、従来の「マスキング・プラント」のほかに、紙ナプキン(!)に描いた絵を発表していたが、まるでファミレスで描いたような素振りが、狭いアトリエで鬱屈としている平面作家たちには見られない、健やかなリアリティを感じさせた。「0」(ゼロ)のスタンプを無数に打ちつけた田中幹の絵は、平面の中に無限の宇宙空間を感じさせるという意味ではありがちといえるが、その一方で反復と増殖によって前面化させた0の物質性が、なにをやっても0に帰してしまう暗い虚無感を軽々と乗り越えるほど、すばらしく際立っていた。虚無を虚無のまま描くのではなく、それを前提にしていかに描写するのか、そのありうる解答のひとつを提示していたように思う。

2009/03/29(日)(福住廉)

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平町公「大谷の図」

会期:2009/03/15~2009/03/30

上野の森美術館ギャラリー[東京都]

VOCA展と同時期に開催された個展。たとえば三瀬夏之介の絵と比べると、いかにも大味な印象が否めないが、それでも空間の壁を埋め尽くした長大な絵巻は圧巻。簡略化されて描かれた人の姿が、どういうわけかみんな夢遊病者のように見えるのもおもしろい。

2009/03/29(日)(福住廉)

「方法マシン」によるピアノ独奏『サーチエンジン─ピアニスト炎上─』

会期:2009/03/29

川崎市市民ミュージアム[神奈川県]

『複々製に進路をとれ 粟津潔60年の軌跡』展の関連企画として催された方法マシンの公開パフォーマンス。ネット上から無作為に拾い上げた楽譜をその場でプリントアウトし、それをピアニストの岡野勇仁がすぐさま演奏、使い終わった音符をシュレッダーにかけるというパターンをいくども繰り返した。タイトルにある「ピアニスト炎上」は、かつてじっさいに燃えるピアノを弾いた山下洋輔の過激なパフォーマンスを下敷きに、ネット上の「炎上」も含意されているらしいが、そのねらいはどうあれ、結果的には、残念ながら美術館における通常のピアノ演奏会のように見えてしまった。方法マシンのメンバーが音符をダウンロードするのに手間取り、妙な間ができてしまったのとは対照的に、ピアニストはどんな楽譜が来ようとも、即座に演奏してみせ、その卓越した技術力だけが際立っていたからだ。けれども、よくよく考えてみれば、コンセプトを練り上げる段階で、ピアニストが決して「炎上」しないことは明らかだったはずだ。これを前衛の衣を借りながらも、じつは穏当に遂行される公立美術館のパブリック・プログラムのひとつとしてとらえるか、それとも前衛を継承しようにも、それが不可能にならざるをえない時代の悲喜劇とみるかで評価は分かれるだろう。一観客の勝手な言い分をいっておけば、美術館で中途半端な前衛意識に彩られたピアノの演奏会を聞くくらいなら、たとえ前衛の焼き直しだと批判されるとしても、燃え盛るピアノを見てみたいし、その巻き上がる炎のなかで演奏するピアニストであれば、なおのこと見てみたい。

2009/03/29(日)(福住廉)

2009年05月01日号の
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