artscapeレビュー

2009年05月01日号のレビュー/プレビュー

イセザキ映像祭2009

会期:2009/03/13~2009/03/22

ザキ座ほか[神奈川県]

横浜の伊勢佐木町商店街の店舗や路上をミニシアターに見立てた映像祭。映像作家の本田孝義をコーディネーターとして、「東京ビデオフェスティバル傑作選」「カフェ放送てれれin伊勢佐木」「かながわニュース上映会」の三つのプログラムのもと、100本以上の映像作品が上映された。今回見たのは、1978年以来、アマチュアの映像表現を大々的に取り扱い、今年はじめに惜しまれつつ終了した「東京ビデオフェスティバル」の傑作選から11本。なかでも、老老介護の現場を淡々と描いた内田リツ子による『共に行く道』が、とてつもなくすばらしい。来る日も来る日も、旦那の介護に追われる家庭内の模様をレポートするような映像は、老老介護の過酷な現場の実情を正確に伝えるとともに、それらがユーモアをまじえて物語化されているせいか、作家にとってはみずからを相対化する表現にもなっているように見受けられた。ふだんは物静かなくせに、デイケアサービスの施設では大声でカラオケを披露する旦那にたいする愛憎半ばする複雑な心境は、老老介護という特殊な現場を越えた広がりを持つにちがいない。会場には数人しか来場していなかったが、もっと大きな会場でたくさんの人たちに見てほしい。近年稀に見る傑作である。

2009/03/21(土)(福住廉)

広島!

会期:2009/03/20~2009/03/22

Vacant[東京都]

広島の上空に「ピカッ」と落書きして大目玉を喰らったChim↑Pomが、広島市現代美術館での個展で発表する予定だった作品を原宿で公開した展覧会。飛行機雲で描いた「ピカッ」の映像と写真、実物大の丹頂鶴のフィギュア、そしてことの発端となった中国新聞の記事を模写した作品などを展示した。映像をじっくり見てみて思い至ったのは、青空に薄い線で描かれた「ピカッ」の三文字が、原爆の再現劇として読み取られかねないことは事実だとしても、その一方で、のどかで平和な暮らしを満喫する私たちの現代社会のありようを端的に表現しているということだ。もともと薄い飛行機雲だということを差し引いたとしても、たとえば「ピ」は「ッ」が描かれている頃にはすっかり消えてしまっているほど、三つの文字は、どれもはかない。マンガのオノマトペであれば、シャープな描線によって輪郭が明確に縁取られるのだろうが、「ピカッ」はマンガ的ではあるとはいえ、それほど力強くはなく、むしろか弱い。青空という広大な空間にたちまち呑み込まれてしまう、薄く、細く、短命な描線。これこそ、私たちの時代の原爆美術が内側に抱えている表象不可能性の現われではないだろうか。今回の個展によってChim↑Pomが原爆美術にとっての新たな道のりを切り開いたことはまちがいない。ベッドメリーのように吊るされた千羽鶴のなかで群れをなす丹頂鶴たちは、その未知の道を模索しながら飛んでいく彼ら自身であり、私たち自身でもある。

2009/03/21(土)(福住廉)

今井久美 写真展「カムフラージュ」

会期:2009/03/24~2009/03/29

アートスペース虹[京都府]

制服姿の女子高生たちを真正面から撮影した写真シリーズを出品。画一的な制服と、流行の着こなしや携帯電話のストラップに見られるささやかな自己主張を通して、日本人の集団意識と個性の関係性が滲み出る。今井は、制服が欠点や自身のなさをカムフラージュしてくれる都合よさと、制服により自分の本音さえ見えないことにして生きている(ように見える)彼女たちに興味を覚えたのだという。制服を巡る相反・補完関係は女子高生に限った話ではないので、今後対象を広げていけば今より更に深みのあるテーマが見つけられるかもしれない。

2009/03/24(火)(小吹隆文)

田代一倫 写真展 Hijack

会期:2009/03/10~2009/03/24

photographer's gallery[東京都]

1975年7月28日、羽田から千歳に向かっていた航空機が17歳の高校生に乗っ取られ、「ハワイに行け」と要求された事件をもとに、その犯人の足取りを追跡しながら撮影された写真。犯罪者の心の闇に立ち入ろうとする者は、過剰にロマンティックな思い入れを表出してしまいがちだが、田代の写真はそうした欲望を禁じているかのように、いたって中庸である。田代の写真が見せているのは、深い闇は決して特殊で異常な世界に隠されているのではなく、むしろ平板な世界の中のいたるところに広がっているということのように思えた。

2009/03/24(火)(福住廉)

世界の短編映画ドキュメンタリー編

会期:2009/03/24

UPLINK FACTORY[東京都]

世界の短編ドキュメンタリー4本を公開する上映会。Jan Zabell監督による《滴が何を知る?》のほか、Tinatin Gurchiani監督《女性の肖像》、André Hörmann監督《カルカッタが呼んでいる》、東谷麗奈監督《Shall We Sing?》が続けて上映された。全体を一貫していたのは地球を丸ごと覆い尽くしつつある現在のグローバリズムのありよう。《Shall We Sing?》はニューヨークに駐在する日本人ビジネスマンを中心に結成された男声合唱団の活動を、《カルカッタが呼んでいる》は文字どおりカルカッタから英米豪各国の家庭に営業をかける電話オペレーターの青年の暮らしをそれぞれ伝える映像だ。テヘランの駅でさまざまな世代の女性たちに幸せを問う街頭インタビューを繰り返した《女性の肖像》を見ると、社会制度はもちろん人びとの精神に隅々まで神の存在が根づいていることがわかる一方で、西洋的な進歩思想が十分に受け入れられていることにも気づかされる。《滴が何を知る?》のシャープな映像は、ベルリンの国会議事堂で働く清掃員たちの労働を描き出していたが、西欧的な民主主義の殿堂をピカピカに光り輝かせるために延々と繰り返される単純労働こそ、現在のグローバリズムの典型的な現われだと思った。

2009/03/24(火)(福住廉)

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