2018年07月15日号
次回8月1日更新予定

artscapeレビュー

2016年12月01日号のレビュー/プレビュー

田中加織 落下する砂と石

会期:2016/11/10~2016/11/27

ギャラリーいのくま亭[京都府]

田中加織は、現代的なセンスで油彩の山水画を描く画家だ。その特徴は、主に円形の画面を用いること、富士山あるいは蓬莱山と思しき山を幾重も描くこと、カラフルな色彩感覚を有することである。これまでの個展はオーソドックスな絵画展だったが、本展では2フロアある展示室のうち1階で、絵画1点と白砂、石を組み合わせたインスタレーションを実施。作品の新たな可能性を提示した。実際、彼女の作品は和室と親和性があり、床の間で掛軸の代わりに掛けたら面白そうだ。きっと盆栽や盆景との相性も良いだろう。展示の可能性を広げたという点で、本展はとても有意義だった。

2016/11/13(日)(小吹隆文)

KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN シャンカル・ヴェンカテーシュワラン/シアター ルーツ&ウィングス『水の駅』

会期:2016/11/12~2016/11/13

京都芸術劇場 春秋座[京都府]

マーク・テ『Baling(バリン)』とは対照的に、言葉を費やす饒舌ではなく、一切のセリフを排した「沈黙」によって、人間存在の本質とともに、ナショナル・ランゲージとしての統一言語を持たない多民族・多言語国家の姿をネガとして浮かび上がらせたのが、インド気鋭の演出家、シャンカル・ヴェンカテーシュワランによる『水の駅』である。劇作家・演出家の太田省吾による『水の駅』(1981年初演)は、音声言語としてのセリフを排し、極端にスローな動作を俳優に課す「沈黙劇」の代表作。沈黙劇はリハーサルの過程で不必要な言葉を削っていったプロセスから生み出されたが、『水の駅』は当初から「沈黙劇」として構想され、より形式的な純化を経ている。



撮影:守屋友樹

舞台中央に設けられた水飲み場では、蛇口からひと筋の水がチョロチョロと流れ続けている。下手側から舞台中央へ続くゆるやかなスロープを下り、18人の老若男女がこの水飲み場を訪れ、渇きを癒し、水を奪い合い、愛し合い、死を迎え、叫び、いたわり合い、上手側のスロープを下って去っていく。初めて目にする神聖なものであるかのように驚嘆の眼差しを水に向け、捧げ持ったコップに注がれた水を飲み干す少女。我先に飲もうと水を奪い合っているうちに、口づけの体勢になってしまう2人の男が放つ滑稽さ。髪や肌に官能的に水を受け止め、生の充溢に満たされた女。乳母車を引っ張る夫婦は、水のほとりで愛の営みを始める。生命を与える水場の隣には、荒廃したゴミの山がうず高く積み上げられ、中からひとりの男が彼らの様子を見つめている。ホームレスのような風体の老婆は、水場にたどり着くと死を迎え、その死体はゴミの山に捨てられる。洗濯物をカラフルな旗のように掲げた3人の娘に先導されて登場する一群の人々は、来し方を振り返り、破滅的な光景を目にしたかのように無言の叫びや慟哭を上げる。時に裸足で、時に巨大な荷物を背負った彼らは、人生という旅のそれぞれの「時」の象徴であるとともに、より直截的には故郷を追われて放浪する難民を連想させる。セリフの不在と指先にまで神経をはりつめた身体言語の語りが、想像力で埋める余白を生み出し、引き伸ばされた時間は意味の拡散ではなく、むしろ感情の強度を凝縮させる。

ここで、本作が、多民族・多言語国家のインド全土とスリランカから集められた俳優によって演じられていることを思い起こせば、戦後日本における実験的な演劇実践を、統一的なナショナル・ランゲージを持たない多言語状況を浮かび上がらせるネガとして読み替えているとも言える。『水の駅』は、マーク・テ『Baling(バリン)』と合わせ鏡のように、多民族・多言語が前提である社会において舞台芸術を実践することの意義を、二つの極として指し示す。一方には、徹底的に対話を重ねて、歴史的検証の多面性をポリティカルに構築する知的強度を鍛えること。片方には、言語を一切削ぎ落とすことで、美的洗練と抽象度の強度を高めつつ、ナショナルな共同体の同質性へと編成する力学の不在と解体をもくろむこと。対話の手段であるとともに差異を生み出す装置でもある言語への敏感な眼差しは、演劇が成しうる批評性である。では、表面的には同質性で覆われた日本では、同様の試みは果たして可能なのか? その答えは次回以降のKEXに期待したい。同質性へと包摂する圧力と、表裏一体の排除の論理は強まる一方だから。



撮影:守屋友樹

公式サイト:KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2016 AUTUMN

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舞台芸術を支えるローカルな土壌と世界的同時代状況への批評性──KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2016 AUTUMN|高嶋慈:artscapeフォーカス

関連レビュー

多視点と流動性が揺るがす歴史=フィクション──マーク・テ『Baling(バリン)』

2016/11/13(日)(高嶋慈)

東京造形大学創立50周年記念展「勝見勝 桑澤洋子 佐藤忠良 ─教育の源流」

会期:2016/10/31~2016/11/26

東京造形大学付属美術館[東京都]

東京造形大学創立時の教育活動に尽力した3人の人物──評論家・勝見勝(1909-1983)、創立者・桑澤洋子(1910-1977)、彫刻家・佐藤忠良(1912-2011)──の理念に焦点を当てた展覧会。1966年の大学開学時、勝見勝はデザイン科長、桑澤洋子は学長、佐藤忠良は美術科長。3人はいずれも50代半ば。勝見も佐藤も1954年の桑沢デザイン研究所の創立に参加して教員を務め、大学開学時の教育方針や教育内容の策定に中心的な役割を果たしている。その教育方針、教育内容とはどのようなものであったのか。本展を企画した藤井匡・東京造形大学准教授は、ともに30代半ばで終戦を迎えた3人は、いずれも民主主義の思想に基づいた新しい社会をつくるためにそれぞれの専門分野で積極的な活動を行なったことを指摘する。勝見はデザインによって人々の生活を豊かにするために、書籍の翻訳・出版、専門誌の刊行、学会の設立、展覧会の企画など、多面的な活動を行なった。桑澤は服飾デザインの他に、文筆・講演活動、教育活動を通じて女性の社会的地位の向上を目指した。佐藤は1950年代に労働者を彫刻のモデルに取り上げるなど、新しいリアリズムのありかたを模索していった。展示では終戦後から大学開学にいたるまでの3人の思想と活動を5つの章に分け、作品、スケッチ、原稿、書籍などが出展された。しかしながら、ここまでであれば、それは桑沢デザイン研究所の歴史と言い換えてもおかしくない。はたして大学開学後に彼らの思想はどのように実践されたのか。ZOKEIギャラリーでは、50年間に刊行された印刷物でその歴史を辿る企画「東京造形大学ドキュメント1966-2016」展が開かれていたが、大学史の展覧会としては十分とはいいがたい。今後、資料の収集と調査・研究が進み、東京造形大学における教育活動の歴史が書籍のかたちにまとまることを期待したい。[新川徳彦]

2016/11/14(月)(SYNK)

色の博物誌─江戸の色材を視る・読む

会期:2016/10/22~2016/12/18

目黒区美術館[東京都]

目黒区美術館が1992年から2004年にかけて5回にわたって開催してきた「色の博物誌」シリーズ。江戸の色材をテーマとした6回目の本展は、色、色材と美術の歴史を探る非常に興味深い企画だ。色と色材を見る上で、本展で取り上げられている作品は国絵図と浮世絵版画。国絵図とは江戸幕府の命により慶長・正保・元禄・天保の4回にわたって諸藩が制作した巨大・極彩色の絵地図。彩色には当時の絵画とほぼ同様の不透明な顔料系の色材が使われている。浮世絵版画には主に植物による染料系の透明感のある色が用いられている。展示はこれら2種類の歴史的作品とその復元プロセスなどを通じて江戸時代の色の世界を探る。


左:国絵図展示 右:色材展示

展示第1章は岡山藩が制作した備前・備中の国絵図。展示室に入ると、3メートル四方にもおよぶその大きさに驚かされる。これまで国絵図は主に地図としての機能に焦点が当てられてきたが、近年になってその色彩、用紙、表現、制作過程に関する研究が進んでいるという。なかでも興味深いのは、地図に体系的な記号が現れているという指摘だ。それも形や文字で示されるだけではなく色彩によっても行なわれている。たとえば備中国絵図では、赤は道、群青は海河、黒丸は一里山(一里塚)、緑青は山、金泥は郡境という具合だ。

第2章の浮世絵ではオリジナル作品と、江戸時代の製法による色材、色彩を追い求めた立原位貫(1951-2015)による復刻・復元作品との対比が興味深い。第3章は色材。なかでも浮世絵や日本画に用いられた藍は、いったん藍に染めた糸から色をとるという、非常に手間のかかる方法がとられていることを知った。江戸末期に日本に入ってきた合成染料であるベロ藍(プルシャンブルー)が如何に画期的な色材であったかが分かる。第4章は絵具箱等の画材、第5章では画法書が取り上げられている。いずれの項目も目黒区美術館がこれまでに積み重ねてきた展覧会と、専門家たちによる研究成果の優れたコラボレーションだ。展示に加え、図録も非常に充実している。図版として国絵図や浮世絵の全体像とディテールが収録され、各部位に用いられている色、色材が示されている。1階ロビーには、これまでのシリーズを機に制作された「画材の引き出し博物館」があり、これも必見だ。色材の性質の違い、支持体の差による色の見えかたの違いを知識として持つことで、絵画や版画の色の見えかたが変わってくることを実感する。[新川徳彦]

2016/11/17(木)(SYNK)

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美術工芸の半世紀 明治の万国博覧会展[II] さらなる挑戦

会期:2016/10/29~2016/12/04

久米美術館[東京都]

幕末から明治期にかけて日本が参加した万国博覧会を取り上げる全3回のシリーズ。昨年に続く第2回では、前回同様に久米邦武・桂一郎親子および霞会館(旧・華族会館)とのかかわりを背景に、3つの万博と2つの内国勧業博覧会が取り上げられている。第1章は、1888年/明治21年にスペインで開催されたバルセロナ万博。日本は参加国のひとつであったが、スペインとの通商上の交流は少なく、政府は実質的な出品手続きを松尾儀助の起立工商会社に委任。松尾と久米邦武がかねてより昵懇であったことで、当時21歳で画学生としてパリに留学中であった息子の久米桂一郎が博覧会事務に従事している。桂一郎の回顧に「陶磁器の如きも余りに平凡であつたので、私がフランスの知人へ土産品用に取り寄せた有田焼の人形及動物の赤絵置物数個を陳列に加へたのが金牌を受賞された」とあるのが興味深い。取り寄せた有田焼とは、父・久米邦武が設立にかかわった有田・香蘭社あるいは精磁会社の製品だったのだろうか。第2章はバルセロナの翌年、1889年/明治22年にフランス革命100周年を記念して開催された第4回パリ万博。久米桂一郎はこの万博に通訳として関わっている。第3章は、1893年/明治26年にコロンブスの新大陸上陸400年を記念して開催されたシカゴ万博(別名コロンブス世界博覧会)。このとき日本は平等院鳳凰堂を模した鳳凰殿を建設。日本からの出品数は1万6500点に及んだという。万博会場には参加各国の女性の出品作を展示した女性館が設けられ日本人の女性画家の作品14点が出品されたほか、「高貴な婦人の私室」2部屋が設置され、大名家の婚礼調度が飾り付けられていた。
本展には久米桂一郎関連資料のほか、各万国博覧会、内国勧業博覧会関連資料が出品されている。美術工芸品についてはシカゴ万博出品作が中心で、なかでも女性館に陳列された渡辺幽香「幼児図」は、豊臣秀吉に仕えた福島正則が2歳で石臼を引いた怪力の逸話に取材した画と、工芸的な意匠が施された額縁がとても印象的だ。このところ関心が高まっている明治の輸出工芸隆盛の時代背景を知るために、日本の美術工芸品を海外にプロモートする場であった万国博覧会や内国勧業博覧会、そしてその運営を担った人物に焦点を当てる本展覧会シリーズは、小規模ながらも注目すべき企画だ。[新川徳彦]

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2016/11/17(木)(SYNK)

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