2019年09月01日号
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artscapeレビュー

勅使川原三郎『サブロ・フラグメンツ』

2011年06月01日号

会期:2011/04/30~2011/05/08

川崎市アートセンター・アルテリオ小劇場[神奈川県]

闇に飛び散る火花のよう。激しく、素早く、独特の規則性のもとで躍動する身体。バレエでも、モダンダンスでも、舞踏でもない、その規則性には、永らく探究を続けてきた勅使川原三郎でなければ到達できない地点の高さが感じられ、圧倒された。身体のくねりの内に形や速さのみならず力のダンスが感じられる勅使川原本人も、また素早くしなる腕で幾重にも残像が現われ異形化する佐東利穂子も魅力的だが、若いダンサーたちが踊ったとたん、場が目覚ましく変化したように見えた。肉体の衝動と与えられた振り付け(ダンスのアイディア)とが拮抗しながら突き進んでいる気がした。なにより全体として強く印象に残ったのは、この「火花」のような運動を「人力」で行なっていること。身体を用いるダンスが人力なのは当たり前ではあるけれど、映像の技術が高度化しまた簡便化した時代に、身体を映像によって表現する代わりに「舞台で踊る」ことはあえてその手段を選択した結果である。ならば「あえて人力で行なう」ことの内に、ダンスを踊る今日的意味が問われるべきだろう。陳腐な言い方だけれど「そこに生きて躍動する人が居る」という事実から見る者が得る喜びは、そのひとつに違いない。
生きる身体の躍動の合間に、ぽつんと孤独にしゃがみ込むさまも差し挟まれ、それも印象的だと思っていると、終わりのほうで「浜」のイメージやそこに「ぽつんとしゃがむ人」またそこに「横になる人」のイメージが出てきて「ひやっ」とした。勅使川原は、東日本大震災以後、準備してきた内容を変更したのだという。この未曾有の事態を表現するのはまだ時期尚早ではないか。けれども、踊る身体の内に情報やイメージや思いが満ちて扱わずにはいられない「身につまされる感じ」もわからなくはない。

2011/05/06(金)(木村覚)

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