2019年11月15日号
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artscapeレビュー

大駱駝艦・壺中天(演出・振付:向雲太郎)『底抜けマンダラ』

2011年06月01日号

会期:2011/05/06~2011/05/15

大駱駝艦スタジオ壺中天[東京都]

最近DVDで『滝沢歌舞伎』を見た。あの〈タッキー〉が主演するジャニーズ流歌舞伎の世界。技量で匹敵できない分、少年たちが見せるのは、観客(ジャニオタ)の期待する「萌え」のヴァリエーション。見得も、下手な駄洒落も、残酷なシーンも、一生懸命な演技のすべては観客が「萌え」るためにある。そのあからさまな目的が舞台をすっきりさせ、自虐的な部分も含め、舞台を重層的にアイロニカルにする。そんななか思ったのは、これは、壺中天の公演にしばしば感じる「すっきりさ」に似ているということだった。白塗りの裸体=異形で踊る点では異なるものの、壺中天に濃密に現われるのは「萌え」と同様のエロティシズムである。そのポイントを否定しないどころかかなり自覚的に活用しているところに、壺中天が日本のダンス界において特異なポジションを獲得しているおもな要因がある、そう言ってもいいだろう。本作でも、そうした壺中天らしいエロがちりばめられていた。これまた毎度のごとく、中学の部活にあるような、同性集団の醸し出す独特の関係性があちこちで展開され、そうした「男子」に失笑する楽しさを、向雲太郎は十分に演出した。ただし、似ているとはいえ、既存の表現の型に固執する「萌え」とは異なり、そうした型の周りに身を置きつつも同時にそれから自由であるのが、壺中天の手口であるはずだ。エロは観客を誘惑するのみならず、さらにどこかへと誘拐する手段のはずで、さてどこ行くのかと期待したのだが、タイトル通り「底抜け」なまま、終幕してしまった。

2011/05/13(金)(木村覚)

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