2019年07月15日号
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artscapeレビュー

岩熊力也 weight

2014年02月01日号

会期:2014/01/06~2014/01/18

コバヤシ画廊[東京都]

東日本大震災がアーティストに及ぼした影響は計り知れないほど大きい。にもかかわらず、それを作品に反映するアーティストが依然として少ないのは、おそらく美術が、他の表現文化に比べると、相対的に遅いメディアだからだろう。写真や映像、マンガ、あるいはデモであれば、直接的かつ瞬発的に表現することも可能である。だが、絵画や彫刻が思索と制作にそれなりの時間を要することはもちろん、アートプロジェクトですら、長期的な展望と持続的な過程を、その形式の内側に抱え込んでいる。同時代の事象に目を瞑る輩は論外だとしても、美術の同時代性が作品として現象するには、ある種の「タイムラグ」を避けることができないのである。
そうしたなか岩熊力也の新作展は、その同時代性を絵画として結晶させた、きわめて稀少な展観だった。展示されたのは、布に描いた絵画をもとにしたアニメーション映像と、その絵を水で洗い流した布など。いずれも「水」をキーワードにしながら3.11以後の絵画の可能性を自問自答した作品に見えた。
ウィリアム・ケントリッジのように描写と消去を繰り返しながら制作したアニメーション映像には、蛇口やバスタブから溢れ出る水、その水で浸かる街並み、そして水の底に引き込まれる男などが寓話的に描かれている。映像のなかに描写される赤いワンピースの女があまりにも陳腐に過ぎる感は否めないが、そうだとしてもここに立ち現われた詩情性が私たちの胸を打つことに変わりはない。
その詩情性は、しかし、必ずしも津波という主題が私たちの心情と共振したことに由来しているわけではない。それは、むしろ描写と消去を繰り返す岩熊の手作業に、まことに同時代的な絵画のありようを希求してやまない私たちの欲望が重なったということなのかもしれない。描いては消し、描いては消しを反復する作業は、アニメーション作品として成立させるために不可欠な工程というより、同時代の絵画をまさぐる身ぶりの現われだったのではなかろうか。
水で絵の具が洗い流された布には、辛うじて色彩の痕跡が認められるが、ほとんど染みと滲みといった程度で、もはや何が描写されていたのか確認することはできない。すなわち絵画ではなく、たんなる物体に近い。物体に残されているのは、だから文字どおり「白紙還元」を試みつつも、最後まで洗い落とすことのできなかった、絵画という原罪とも言えよう。だが、ちょうど産卵のために清流を遡行する鮭のように、それらを川の水のなかで漂わせた映像を見ると、岩熊の視線は絵画を物体に還元しながらも、同時にそれを再生することにまで及んでいるように思えてならない。そこに、岩熊は3.11以後の絵画の可能性を賭けているのではないか。

2014/01/16(木)(福住廉)

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