2022年12月01日号
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artscapeレビュー

神村恵「訪問者vol. 7」

2014年08月01日号

会期:2014/07/16

SNAC[東京都]

SNACで連続公演していたこの「訪問者」シリーズを、ぼくは今回初めて見た。前回は田畑真希が担当したというのだが、今回は、畦地亜耶加が招かれ、神村恵の与える「指示書」に従ってパフォーマンスを遂行した。「指示書」は観客にも配られる。その最初には「X(エックス)は、身体の中にある何かである」と記されている。この「X」をダンサーが自由に設定しその後の指示を遂行する。指示は五つに分かれていて、たとえば「1」にはまず「Xを身体から掘り起こす」とあり、具体的には「3種類の動きによって身体を物質的に確かめる(持ち上げて落とす/引っ張って伸ばす/縮める)/これらの動きにはそれぞれ方向を持たせ、空間のどこかの点に差し向ける/動きはその都度Xに響かせるようにし、そのありかや感触を確かめる/Xに仮の名前を付け、その名前を呼ぶ」と書かれている。畦地はこれを舞台に置いて時折読んで確認しながら指示を実行していった。ぼくが見たときには「ゼリー」と畦地はXの名前を声に出して呼んだが、その行為も含めて、すべてを畦地は即興で行なったという(アフタートークでの畦地の発言に基づく)。数日前に見た篠田『機劇』でも、スコアが配られ、観客の目は舞台とスコアを行ったり来たりしていたのだけれど、その点で本作は『機劇』ととてもよく似ていた。たんに「神村が振り付けし、ダンサー畦地が踊る」というベタな公演ではなく、「神村の指示に畦地がどう応答したか」といったメタ・レヴェルを観賞する公演なのだ。だから、畦地の動作の審美性は観客にとって見所の一部でしかなく、むしろなぜそこで畦地はそう動いたのかと問うことこそ観客の楽しみとなる。「指示とはなにか」あるいは「指示されるとはどういう事態か」そうした問いも観客のうちに生まれるだろう。観客は、頭に浮かぶそうした数々の問いを、畦地の身体の状態を通して惹起させられる。その意味で、最大の謎は身体そのものだ。指示書は言語で書かれるが、それが実現される場(身体)のうえに言語ははっきりと現われない。このもどかしく、判読し難い身体とどうつき合っていくか。アフタートークで、複数の観客が「これは(観客に)見せるものになっているのか」と神村に質問をしていたことは示唆的だった。こうした上演を観客が楽しむ際の方法的錬磨はさらに求められるだろう。ただし、これはたんに習慣の問題でもあろう。こうした上演が当たり前になるならば、ダンスをメタ・レヴェルで観察し、楽しむ習慣が浸透するのも、案外そう遠くないのかもしれない。

2014/07/16(水)(木村覚)

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