artscapeレビュー
2015年10月01日号のレビュー/プレビュー
20世紀琳派 田中一光
会期:2015/08/18~2015/10/29
京都dddギャラリー[京都府]
今年6月から7月にかけて奈良県立美術館で大規模な「田中一光展」が行われた。その直後に京都で別企画の「田中一光展」。京都が琳派400年で沸いているのは知っているが、なぜこの時期に? というのが事前の正直な気持ちだった。いざ本展を見てみると、田中が琳派から受けた影響を、主題、技法、色、形などの要素から明らかにしており、約120点という規模も手伝って見応えのある内容に仕上がっていた。また、「琳派とデザイン」「永遠の琳派」など田中自身が琳派について語っている文面の一部がパネル展示されており、彼にとって琳派がいかなる存在なのかが明瞭に伝わった。奈良の回顧展に対し、京都はテーマ性の強い企画展。短期間に異なる観点から巨匠の世界を概観できたのは、贅沢な体験だった。
2015/08/21(金)(小吹隆文)
六甲山国際写真祭2015
会期:2015/08/21~2015/08/30
2013年に第1回が行われた「六甲山国際写真祭」。その特徴は、海外から招いた著名なレビュワーたちによる公開ポートフォリオレビューやワークショップを重視していることであり、プロ志向の若手写真家たちに国内では得難い機会を提供している。しかし、内容が高度であることと、会場が六甲山上ということもあり、一般的な認知度は低いのが実情だ。今年は展示部門が強化され、神戸市中心部のギャラリーなど4会場でも写真展が行われた。特にデザイン・クリエイティブセンター神戸 KIITOでの展示は、林典子の「キルギスの誘拐結婚」など注目作が多く、イベントの存在を広く知らしめる効果があった。問題は同祭が今後どのような方向性を取るかである。ターゲットを絞って高度なイベントを目指すか、それとも多くの一般市民が訪れる間口の広いイベントを目指すか。筆者は前者を支持する。後者は他の地域でも代替可能であり、特に首都東京には敵わない。公開ポートフォリオレビューという強力なコンテンツを持つ「六甲山国際写真祭」は、純化路線を推し進めることでステイタスを確立すべきではなかろうか。なお、今回筆者が取材をしたのは写真展のみである。
2015/08/23(日)(小吹隆文)
蔡國強展:帰去来
会期:2015/07/11~2015/10/18
横浜美術館[神奈川県]
蔡國強の個展。日本国内では7年ぶりだという。世界的なアーティストの個展と聞けば、否が応でも期待値が高まるが、展示の実際は全体的に大味で、大いに不満が残った。
大味というのは、第一に、展示空間に対して作品の点数が少なすぎる点を意味しているが、むろんそれだけではない。より根本的には、出来事の結果としての作品が出来事そのものと照応していないように感じられたからである。
よく知られているように、蔡國強は火薬をメディウムに用いた平面作品を制作しているが、展示された平面作品はどれもこれも等しく凡庸であった。どうやら春画を主題にしているらしいが、春画のエロティシズムやユーモアは微塵も見受けられず、火薬の痕跡によってイメージの線や色面が構成されているということ以上の意味を見出すことは難しい。端的に言えば、火薬の爆発という出来事以外のイメージを呼び起こすことのない、じつに退屈な絵画だったのである。
だが重要なのは、その退屈さが火薬を爆発させて制作されたという事実と決して無関係ではないということだ。会場には同館の館内で実際に火薬を爆発させながら平面作品を制作した記録映像が展示されていたが、一瞬とはいえ強烈な光と音を放つ爆発のシーンには、誰もが刮目したにちがいない。けれども、その爆発を目の当たりにしたうえで、あらためて平面作品を見直してみると、そのイメージの貧しさに愕然とするほかないのである。あるいは、火薬の爆発が呼び起こすイメージの鮮烈さに、その結果としての絵画作品が醸し出すイメージが太刀打ちできないと言ったほうが適切かもしれない。少なくとも火薬絵画のイメージが爆発という出来事に匹敵するほど強力であれば、大味な印象を回避することができたのではないか。
むろん、ここには美術館という制度の限界がある。物としての作品を展示するために設計された美術館は、本質的に出来事としての作品を見せにくいからだ。アートプロジェクトの展覧会がプロセスを記録したドキュメントの展示に終始しがちなように、美術館は本来的に出来事を事後的に追いかけることしかできない。
しかしながら、かりに美術館にそのような本質的な限界があるにしても、であれば美術館そのものが出来事の現場になることはできたのではないか。つまり美術館の館内のささやかな爆発で満足するのではなく、美術館そのものや横浜の港湾地区を華々しく爆発させることは、むろんさまざまな行政的な制約はあるにしても、それこそこの優れた美術家の真骨頂だったはずだ。その可能性を誰もが夢想できるだけに、美術館内での小さな爆発は、よりいっそう大味に感じさせてしまうのである。
2015/08/24(月)(福住廉)
帯vol.2──ひらく
会期:2015/08/20~2015/08/27
帯屋捨松[京都府]
京都西陣の帯屋捨松の、いまは使われなくなった旧工場や倉庫を会場に東京藝術大学院絵画専攻油画研究分野第2研究室の学生8名による展覧会が開催された。このプロジェクトは帯屋捨松のご主人と第2研究室との出会いからはじまったという。西陣は、周知のとおり、歴史ある織物の街。かつては西陣界隈に鳴り響いていたという力織機のリズミカルな機械音も、いまでは建物の奥から漏れてくるばかりになった。本展の会場でも、織機や糸車といった使われなくなった道具や機材が当時の活気を語っている。製造現場が海外等のほかの場所に移ったのであってすべてが消えてなくなったわけではないものの、やはりそこには寂しさのようなものが漂っている。
さて今回の展覧会では、この場に定期的に滞在して「帯」の魅力を再発信するという、東京藝術大学油画第2研究室の、2012年から続く活動の成果が披露されている。帯、帯を織る糸、帯の紋図、刺繍糸、帯にまつわる神話、そして織機など、学生たちの細やかな感性でその場から受け止めたものが思い思いの手法で表現された。作品はそれぞれに周囲の空間と一緒になって、また、会場全体がひとつの作品のようでもある。会場となった旧工場の隣にはいまも営業を続ける帯屋捨松の店舗に隣接しており、その町家建築も「景観重要建造物及び歴史的風致形成建造物」に指定される歴史的な建物である。活動と休止が重層する西陣の街に、いまとこれからを生きる若いクリエーターたちの作品がよく映えていた。[平光睦子]
2015/08/27(木)(SYNK)
池本喜巳 写真展─幻影床屋考─
会期:2015/08/20~2015/09/20
Bloom Gallery[大阪府]
鳥取市を拠点に活動し、山陰の消えゆく風景や人物を写真に収めてきた池本喜巳。彼は1983年より個人商店をテーマにしたシリーズ「近世店屋考」を制作しており、本展の作品はそれらのうち床屋をまとめたものである。驚くべきは各店の個性的なたたずまいだ。ある店は、外観は古民家で、内部に土間を改装した店舗があり、順番を待つ客は畳の間で火鉢に当たりながら談笑している。またある店は、アンティーク家具のような立派な椅子を使い続けており、別の店では極度のタコ足配線がクモの巣のように垂れさがっている。筆者は幼少時に関西のそこそこ田舎で育ったが、それでもこんな床屋は見たことがなかった。特に古民家系の店舗は興味深く、文化人類学的にも貴重な資料ではなかろうか。撮影時から30年前後が経つ今、こられの床屋のうちどれだけが現存しているのだろう。
2015/08/27(木)(小吹隆文)