artscapeレビュー

『テニスの王子様 青学vs聖ルドルフ』

2015年10月01日号

会期:2015/09/05~2015/11/03

TOKYO DOME CITY HALL[東京都]

2004年に始まった「テニミュ」(『テニスの王子様』ミュージカル)は、しばしば「2.5次元ミュージカル」と呼ばれる。いまやその名は人口に膾炙するところとなり、「一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会」が設立されるほどにまで発展してきている。3次元(現実空間)と2次元(フィクション)との中間を意味する「2.5次元」とは、より具体的にはなにを意味するのか? 「物語を舞台に受肉させる」というだけならば、すべての劇は「2.5次元」ではないか。とりたててそう名づけるとき、舞台では一体なにが起きているのだろう。本上演は、まさにその点を図示するかのように始まった。一冊の本が舞台に落ちている。やんちゃな中学生たちが手にとり、読み始める。すると、舞台上に決めポーズをとった役者たちが現れる。と同時に背後のスクリーンには、役者のとったポーズと同じポーズをとる漫画絵が映る。なるほど、役者たちのポーズは(一般の演劇でもそうであるように)演出家によって施されたものというよりは、漫画のコマなどに描かれたポーズを基にしているわけだ。原作漫画はここでは単なる原作ではない。舞台が実現に注力すべき要素そのものなのである。言い換えれば、観客は舞台に漫画が具現することを、目前に「越前リョーマ」が、彼の部員仲間やライバルがそのままの姿で出現することを望んでいる。ファンは、キャラの具現化を重視するファンとキャラを具現化させる役者目当てのファンに二分されるのだそうだが、いずれにしても高解像度のキャラのリアリティは「2.5次元」にとって必須なのだ。
ところで、これはテニスの物語。いささかコミカルにも映る試合場面も含め、ラケットを振るう姿が何百回と繰り返される。ダンスと化した素振りは、歌舞伎の見得のように、独特のグルーヴを宿す。女性観客たちは、漫画という「フィルター」を被せた「男子の肉体の躍動」に興奮する。とはいえ、本当のテニス・プレイヤーとは異なる。もっといえば、役者たちは演技もダンスもけっしてうまいわけではない。ただの「茶番」だ。放課後の部活やサークルで生身の男子が肉体を躍動させているところを(チラとでも)見ているだろうに、それでも「フィルター」越しの鑑賞を若い女子たちは求める。この「フィルター」は、生身の男子に直面することを回避しつつ、限りなく接近することを許す。「テニミュ」とは、女子の欲望にとって最適化が施された場なのだ。物語は男子対男子の戦い。奇妙に偏ったホモソーシャルな世界を観客は傍観し続ける。物語が一旦終了するとショーが始まる。客席を役者たちは駆け回り、ハイタッチを観客と交わす。そうして観客と役者たちとは対面する。しかし、あくまでも彼らは役名のまま、表情を変えない。すべては「見る女性」の欲望に奉仕する。彼女たちの欲望を肯定する空間は、彼女たちが抱く生身の男子たちへの不安、恐怖、自信のなさを一旦棚上げにしてくれるのだろう。そうしたパラダイス空間を切望する女性たちから、彼女たちを容易に受け入れてくれない現実の過酷さが透けて見える。


【ダイジェスト映像】ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン 青学vs聖ルドルフ


2015/09/08(火)(木村覚)

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