2021年12月01日号
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artscapeレビュー

夷酋列像─蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界─

2016年02月01日号

会期:2015/12/15~2016/02/07

国立歴史民俗博物館[千葉県]

夷酋列像(いしゅうれつぞう)とは、松前藩の家老、蠣崎波響(かきざきはきょう)(1764-1826)が描いたアイヌの指導者たち12人の肖像画。本展は、それらの全点と関連する資料を一挙に展示したもの。比較的小規模な企画展だが、絵画のなかに描かれたアイヌの表象と、彼らが身につけた装飾品の実物が併せて展示されているため、知られざるアイヌの世界を垣間見ることができる。
日本美術史において北海道はある種の空白地帯である。そこは民族学的にはアイヌが先住しており、地政学的には「蝦夷」として長らく周縁化されてきたからだ。しかもアイヌには「北海道旧土人保護法」(1899~1997)により財産を奪われ文化を否定されてきたという背景がある。「日本」からも「日本美術史」からも排除されたアイヌの造形表現は、依然として解明されていないことが多い。したがって夷酋列像は類稀なアイヌの表象として希少価値をもつ。
注目したのは、その人物表現。いずれも一見して異様な風貌として描かれているのがわかる。一本につながった太い眉毛や口元を覆い隠すほどの濃い髭、そしてずんぐりとした巨体に不敵な印象を残す三白眼。なかにはラッコの毛皮を敷物にしたり西洋風の外套を羽織ったりしている者もいるから、当時のアイヌが文化的にも経済的にもロシアと密接な関係にあったことが伺える。
しかし、もっとも特徴的なのは、それらの人物像の異様さが陰影法によって増幅されている点だ。眼の下はいずれも色彩が濃いため面妖な印象が強いし、とりわけ脛は陰影を明確に描き分けることで筋肉の剛性を立体的に強調している。このような描写法は、基本的には陰影や濃淡を排除しながら平面性を一貫させる大和絵の画風とはじつに対照的だが、どちらかといえば現在のアニメーションに近い。北海道博物館の学芸員、春木晶子によれば、「陰影(法)は、自分たちと異なる者を示す記号」(図録、p.13)だったのだ。
他者としてのアイヌの表象。夷酋列像はアイヌ自身によるアイヌの肖像画ではなかった。蠣崎波響が松前藩の家老だったように、夷酋列像は和人によって表象されたアイヌのイメージである。事実、そこに描き出された12人のアイヌの指導者たちは、1789年に和人の圧政に耐えかねたアイヌが蜂起した「クナシリ・メナシの戦い」で、争いを終息させるために松前藩に協力した者たちだった。つまり夷酋列像とは、アイヌという他者の表象にとどまらず、野蛮な彼らを支配下に置く松前藩の統治能力を訴える、じつに政治的な絵画だった。会場には時の天皇が夷酋列像を謁見したという記録や、諸藩による模写も展示されていたから、この絵画の政治性は全国的に行き届いていたようだ。
かつてエドワード・サイードが『オリエンタリズム』で指摘したように、西洋近代は他者としての東洋を一方的に表象することで西洋の知の体系を再生産してきた。むろん日本もまた西洋に表象されてきたわけだが、夷酋列像が示しているのは、その一方で、日本が他者としてのアイヌを表象する権力を行使してきたという事実である。すなわち日本は西洋に表象される客体であり、同時に、アイヌを表象する主体でもあった。ここから類推しうるのは、単一民族国家として信じられがちな「日本」が、じつはさまざまな民族が混在した群島であり、そこには西洋と東洋の不均衡な関係性と同じように、表象をめぐる権力関係が随所で入り乱れているという仮説である。これを実証する余裕はないが、例えば「アイヌ」を「沖縄」に置き換えてみれば、その妥当性はある程度実感できよう。
夷酋列像はアイヌの生態をロマンティックに描いた記録画ではない。それは、歴史の深淵から現在のポスト・コロニアリズム的な状況を照らし出す、きわめてアクチュアルな絵画なのだ。

2016/01/07(木)(福住廉)

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