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KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2017 パク・ミンヒ『歌曲(ガゴク)失格:部屋 5↻』

2017年11月15日号

会期:2017/10/20~2017/10/29

京都芸術センター[京都府]

KYOTO EXPERIMENT 2017の個人的ベスト。昇天しそうなほど美しい声の重層的な唱和で、全身感覚的に揺さぶりながらも、構成は極めて理知的で、「舞台芸術の上演形式」、「観客=消費者としての権利」、「伝統文化・異文化とエキゾティシズム」への批評を内在させた優れた作品だった。
パク・ミンヒは、韓国の無形文化財である伝統的唱和法「ガゴク(歌曲)」を習得した歌い手。本作で観客は、パフォーマーのいる小さな部屋を順に巡りながら、1対1の親密な関係に置かれて鑑賞する。最初に足を踏み入れる「0」の部屋は無人だが、壁の向こうから複数の「声」の奏でる旋律が、高く低く、さらに高みから舞い下りて重層的に絡み合って響き、全身を音に包まれる。山から谷底に吹き下ろしてはまた空へ舞い上がる風のような、その風に触れて波紋を震わせながら流れ去っていく水の流れのような、幽玄にたゆたう女声のあいだを縫って、太い男声によるパンソリ(物語性のある歌と打楽器の演奏による伝統的な民俗芸能)の語りが聴こえてくる。平行的に進みながらも調和した声の重なり合い。そして束の間の沈黙。「0」の部屋は、ある流れの中に身を委ねるために身体を馴らす準備の部屋だ。そして、続く「1」から「5」までの部屋では、観客は用意された椅子に座り、声の振動や息遣いさえ感じ取れるほどの極めて近い距離で、それぞれのパフォーマーと1対1で向かい合う。
それは、体験としての圧倒的で濃密な強度に加えて、近代的な劇場制度における「受容」の問題への再考を含み、「共同体」という幻想を解体する。観客を1対多数の匿名性に置くのではなく、「個」として尊重して扱うことで、観客もまた「個」として対峙する緊張感とともに、目の前のパフォーマーへの「敬意」が促される。「伝統文化」による「近代化された上演形式」への批評は、「ガゴク」がグローバルな市場でエキゾティックな記号(「商品」の差異化のための記号)として消費されることへの抵抗という意義を持つ。
さらに、本作の秀逸な戦略は、瞑想的なまでの音響の心地良さと反比例するかのように、「鑑賞形態」の居心地の悪さを観客に突きつける点にある。それは各部屋でのパフォーマーとの対面関係に現われている。「1」の部屋ではパフォーマーは観客のすぐ背後に座り、「2」と「5」の部屋では隣り合って座るも、身体の向きが逆方向にセッティングされているため、パフォーマーと視線が合うことはない。また、「4」の部屋のみ、女性パフォーマーが「2人」いるのだが、彼女たちは無言でこちらを見つめ返してくるだけだ。つまり観客は徹底して非対照の関係に置かれるとともに、自らの「観客性」を自覚させられることになる。金銭的な対価を支払った代わりに「個室」でサービスを受けること、「4分間」という時間の規定を過ぎると合図が鳴り、部屋を移動しなければならないというシステム化された管理。それは、風俗店のサービスを想起させ、金銭と引き換えに観客が手にする「権利」のきわどさがそこで露呈するのだ。
私たちはその「権利」を自覚させられつつ、歓待される「客人」として完全には迎え入れられず、うっかり紛れ込んだ決まり悪い「闖入者」のように遇され、あるいは隔てられた壁越しに聴くしかない(無人の部屋は最後にもう一度用意されている)。部屋を移り変わりながら通奏低音として響くのは、「あなたはガゴクを所有できない」というメタメッセージである(一時的な通過者としては許されるが、所有者ではない)。音響世界の圧倒的な魅力、空間の移動がもたらす知覚の繊細な変容とともに、本作は、単に心地良いだけの耽溺を許さない内省的な態度を求めてくる。「ガゴク」という他者の文化の「遠さ」に対してどう向き合うことができるのか、その接近をめぐる逡巡さえも体感させる秀作だった。


パク・ミンヒ『歌曲(ガゴク)失格:部屋5↻』(2017) 京都芸術センター 撮影:井上嘉和

公式サイト:https://kyoto-ex.jp

2017/10/22(日)(高嶋慈)

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