artscapeレビュー

山元彩香「We are Made of Grass, Soil, and Trees」

2019年01月15日号

会期:2018/12/01~2019/01/15

ビジュアルアーツギャラリー[大阪府]

青味がかった静謐な光が室内を満たし、奇妙に美しい衣装をまとった異国の少女たちが立つ。内省するように閉じられた瞳。永遠に時間が凝固したかのような結晶化したイメージ、繊細なざわめき。古典的なポートレートの端正さと、前衛的なファッション写真を思わせる先鋭さが同居する。少女たちは繊細で風変わりな衣装を身に着けているが、背景の室内空間をよく見ると、壁紙は剥がれ落ち、壁にはヒビが走る。その荒廃感が、彼女たちの発する神聖さや透明感をより際立たせるかのようだ。少女たちは頭部を髪の毛やベールで覆われ、あるいは瞳を閉じたり、虚ろな眼差しを虚空に向けており、その「眼差しの遮断」は、彼女たちが時間も空間も遠く隔たった異空間の住人であるかのように感じさせる。



[Ayaka Yamamoto / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film]

山元彩香は、ロシアやその周辺国、東欧諸国に赴き、現地で出会った少女たちのポートレートを撮影してきた写真家である。言葉の通じない彼女たちとの撮影過程は、身振り手振りによる身体的コミュニケーションを取りながら、現地で準備した衣装や小道具をあてがうというものであり、山元と被写体との一種の即興的な共同作業であるとも言える。それは目の前に存在する個人から、普段身に着けている衣服や属性、固有名といったものを丁寧に剥ぎ取り、別の「イメージの皮膜」をそっと纏わせていく、親密にして暴力的な作業だ。だが、明示的な言語によらない曖昧さを孕んだコミュニケーションの介在が、例えばファッション写真におけるようなディレクターからモデルへの一方的な権力関係をぎりぎりのところで回避し、被写体への尊重とイメージとしての奪取が微妙に混ざり合った魅力的な領域を形成している。

こうして捕捉された少女たちの像は、生と死、人間と彫像、人間とひとがたの境界を淡く漂うかのようだ(流木を人体に見立てた、あるいは粗い石像で象ったひとがたが、少女のポートレートと実際に並置される)。青いベールを被った少女は聖母像を連想させるとともに、ベールに覆われた頭部は繭に包まれて脱皮を待つ幼虫を思わせ、少女から大人へと変態途中のイメージ、聖性と死の同居を印象づける。めくれて剥がれかけた壁紙、垂れ下がった赤い毛糸の束、カーテンの襞やドレープ。これらの「背景」は、皮膚、かさぶた、髪の毛、血管、女性器の襞や陰裂を想起させ、1)人体(女性の身体)のメタフォリカルな置換、2)その傷つきやすさ、そして3)(写真の)「表皮」性を強く示唆する。



会場風景

「仮面」もまた、頭部を覆う髪の毛やベールの膜と同様、注目すべき小道具である。山元の写真には、写真が「表皮」「仮面」であること(でしかないこと)を示唆する装置がそこここに記号的に埋め込まれている。少女や若い女性の被写体、その人種的な偏好性、衣装や小道具のセットアップ、演出と即興の同居といった撮影手法や、現実離れした審美性への嗜好、「ファッション写真」との境界といった点で、山元の写真は、ヘレン・ファン・ミーネのそれと多くの共通点を持つ。だが一方で、写真の「表皮」性を自己言及的に埋め込む手つきが、単なる追従者や二番煎じから分かつ。山元の写真は、少女たちのイメージが、そして写真が「表皮」であることを(さらにはその脆い傷つきやすさを)さらけ出す。それは、自らの表皮性を忘却・隠蔽することで成り立つ一般的なファッション写真から隔てるとともに、それでもなお、仮初めの薄膜であるがゆえの美に引き込もうとする魔術的な魅力に満ちている。

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2018/12/22(土)(高嶋慈)

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