2022年11月15日号
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artscapeレビュー

ゲルハルト・リヒター展

2022年08月01日号

会期:2022/06/07~2022/10/02

東京国立近代美術館[東京都]

瀬戸内海に浮かぶ豊島(とよしま・愛媛県上島町)に恒久展示されているゲルハルト・リヒターの作品《14枚のガラス/豊島》を、一般公開される前に私は観たことがある。とあるNPOの仕事に携わっていた関係からだ。14枚のガラス板には周囲の竹林や目の前に広がる瀬戸内海、その遠くの島々がぼんやりした輪郭で映し出され、日本で言うところの「借景」が幻想的に表現されていた。単に景色が素晴らしかったのか、リヒターによるこの“仕掛け”が相乗効果をもたらしていたのか、いまとなってははっきりしないが……。

さて、日本の美術館では16年ぶりとなるリヒターの個展が開催中だ。会場には多岐にわたる表現方法の作品が並んでいたが、総じて観客に挑戦状を突きつけるような内容だったように思う。何より注目は4点から成る作品「ビルケナウ」だ。一見すると抽象絵画なのだが、タイトルが示すとおり、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所を主題としている。なんと抽象絵画の下層には、当時の囚人が隠し撮りした写真を元にしたイメージ画が描かれているのだという。しかし表面に表われているのは黒と白、ところどころに赤と緑を荒く塗り込んだ絵具のみ。もしタイトルも解説も知らずに観たならば、単なる抽象絵画にしか映らないのに、知ってしまうと、穏やかな気持ちではいられなくなる。いったい、そこに“本当は”何が描かれているのかと頭の中で暗い想像が巡るからだ。そうすると目に映る絵具ではなく、頭の中の風景がそこから滲み出てくるような感覚に襲われる。「どうだ、君らにこのイメージ画が見えるか」と、まるでリヒターに挑まれているような気持ちにもなった。しかもイメージ画の元になった同強制収容所の内部の写真(複製)が側で展示されていて、悲しくも、その暗い想像を助けた。



左上:ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-1)》(2014)
右上:ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-2)》(2014)
左下:ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-3)》(2014)
右下:ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-4)》(2014)
ゲルハルト・リヒター財団蔵 油彩、キャンバス 各260×200cm
© Gerhard Richter 2022 (07062022)


1932年にドイツで生まれたリヒターは、ナチス政権下で幼い頃を過ごしたことになる。ホロコーストを題材とすることは、おそらく自身のアイデンティティーに向き合うことと同義なのだろう。何度か取り組もうと試みたものの、この深刻な問題に対して適切な表現方法を見つけられず、晩年に差し掛かってようやくこの方法に到達したのだという。あくまでも観客の心の目に委ねたところが心憎い。豊島で観た同類のガラス作品も本展で展示されていた。当たり前だが、あの美しい瀬戸内海の景色はここにはなく、ガラス板に映るのは自分やほかの観客の影、周囲の作品だった。自分の目の前にある作品をどう観るか。どう捉えるのか。終始、それが試された展覧会だった。


ゲルハルト・リヒター《8枚のガラス(CR: 928)》(2012)
ワコウ・ワークス・オブ・アート蔵
8枚のアンテリオ・ガラス、スチール 230×160×350cm
[Photo: Takahiro Igarashi]© Gerhard Richter 2022 (07062022)



公式サイト:https://richter.exhibit.jp/

2022/07/17(日)(杉江あこ)

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