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ゲルハルト・リヒター展

2022年08月01日号

会期:2022/06/07~2022/10/02

東京国立近代美術館[東京都]

サブタイトルもなにもない「ゲルハルト・リヒター展」。それ以上でも以下でもない、ただリヒターの作品だけを見せる展覧会。潔いなあ。

出品作品は計138点で、うち油彩のタブローは42点。それ以外は、色見本をランダムに並べたような「カラーチャート」、プリント上に油絵具を塗った「オイル・オン・フォト」、ドローイング、ガラスおよび鏡による作品など多彩だ。また、タブローの半分以上は「アブストラクト・ペインティング」シリーズで、それ以外は写真を描き写した「フォト・ペインティング」、グレイ一色に塗られた「グレイ・ペインティング」など。なぜ内訳を書いたかといえば、どうも足りないものがあるように思えてならないからだ。年代別に見ると、8割以上は21世紀以降の作品に占められ、特に1960-80年代の作品はわずか10点しかない。圧倒的に足りないのは初期から中期にかけての作品群だ。

ぼくが初めてリヒターの作品を実見したのは1982年のドクメンタ7においてだったと思うが、そのとき訪れたいくつかの美術館でも見た記憶がある。刷り込みというのは侮れないもので、ぼくはこの時期のリヒター作品がその後の作品の評価基準になっている。当時リヒターはすでに「アブストラクト・ペインティング」を始めていた(同時に「フォト・ペインティング」も続けていた)が、近年のスキージによる制作とは違い、太い刷毛でストロークを生かして絵具を塗り重ねていく手法で、スキージの使用は限定的だった。

また、アブストラクトにもかかわらず筆跡に立体感があり、画面に奥行きがあるのは、絵具がたっぷり盛り上がった筆跡を拡大模写した70年代の「ディテール」から発展させたものだからであり、その「ディテール」は筆跡を写真に撮ってそのまま写し取るという意味で、60年代の「フォト・ペインティング」とつながっていた。つまり「フォト・ペインティング」と「アブストラクト・ペインティング」を繋ぐのが「ディテール」であり、また初期の「アブストラクト・ペインティング」なのだ。そのためリヒターは具象と抽象の概念を無効化した画家として評価される一方、作品にはどこかトリッキーな匂いが感じられたのも事実だ。いずれにせよ、今回の展示で足りないと感じるのは、「フォト・ペインティング」と「アブストラクト・ペインティング」をつなぐ、平たくいえば具象と抽象をつなぐ「ディテール」であり、初期の「アブストラクト・ペインティング」なのだ。これが欠けているため今回の出品作品はリアリズムとアブストラクトに分かれてしまい、その境界を曖昧にしたリヒターの業績が見えにくくなっていると思う。 

この時代の作品が欠けているのは、今回の展覧会がゲルハルト・リヒター財団のコレクションによって構成されているからだ。財団が設立されたのは2019年と最近のことなので、過去に遡れば遡るほど作品が集めにくかったはず。カタログでも「1990年代まで、リヒターが作品を売らずにアトリエに留め置くことはあまりなかった。ようやく2000年代になって、将来に創設されるかもしれない財団を視野に入れながら、作品を取り除けておくようになった」と、ディートマー・エルガーが書いている。言い換えれば、70-80年代の作品はよく売れたということでもある。富山県美術館の《オランジェリー》(1982)1点でもあればずいぶん違っただろうに。

2022/06/29(水)(村田真)

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