artscapeレビュー
マン・オン・ワイヤー
2009年07月01日号
会期:2009/06/13
新宿テアトルタイムズスクエア[東京都]
1974年、ワールドトレードセンターの屋上のあいだに一本のワイヤーを渡し、その上を命綱なしで綱渡りをした大道芸人、フィリップ・プティのドキュメンタリー映画。プティをはじめとする仲間たちの証言を中心に、当時の記録写真やニュース映像、再現映像などをまじえて構成された映像を見ると、この常軌を逸したパフォーマンスが文字どおり狂気と紙一重であり、だからこそ彼らの人生を大きく左右するほど、決定的に重大な出来事だったことがわかる。とりわけ恍惚とした表情を浮かべながら饒舌に物語るプティの語り口には、それが彼の人生における崇高体験として内面化されていることが伺える。地上110階、高さにして411m、しかもツインタワーのあいだは42m。その空間をたったひとりで何度も往復し、なおかつワイヤーの上で寝転んでみせたプティをしのぐパフォーマンスは、同じことに挑戦しようにもツインタワーじたいがもはや存在しないのだから、おそらく当分のあいだ成し遂げられないだろう。だが、このドキュメンタリー映画が暗示しているのは、そもそも崇高な経験とは人生において一度あればよいほうであり、その幸運な一回性を除けば、私たちの日常は退屈きわまる凡庸な時間がだらだらといつまでも続いているという事実ではないだろうか。だから、この映画が教えているのは、夢追い人に生きる勇気と希望を与える安易な感動物語などではなく、むしろそのラッキーな出来事に出会えるために日々を耐え忍ぶ忍耐力である。いつの日か、上空を闊歩する天狗のような人影を目撃できるかもしれない、これこそ希望である。
2009/06/17(水)(福住廉)