artscapeレビュー

2015年12月01日号のレビュー/プレビュー

[世界を変えた書物] 展 大阪展

会期:2015/11/06~2015/11/23

グランフロント大阪北館 ナレッジキャピタル イベントラボ[大阪府]

金沢工業大学が所蔵する理数工学系の歴史的名著の初版本や、科学者の論文、書簡など130点以上を紹介。会場構成は、アンティークな図書館を模した導入部「知の壁」、中心部に目次のオブジェを据え、そこから枝のように展示が広がるメイン展示の「知の森」、エンディングのインスタレーション「知の変容」並びに映像ブースであった。筆者は理系が苦手なので書物の内容は理解できないが、会場に満ちている「知の殿堂」的雰囲気や、人類が脈々と受け継ぎ発展させてきた知の歴史には大いに魅了された。また、書籍自体もオブジェとして美しかった。同コレクションは、今後一大学の枠を超えて国家的な財産になるだろう。散逸や海外流出が起こらないことを切に願う。また、今後も学外で展示する機会を設けてもらえればありがたい。

2015/11/05(木)(小吹隆文)

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大橋可也&ダンサーズ『テンペスト』

会期:2015/11/06~2015/11/08

東京・両国 シアターX(カイ)[東京都]

大谷能生が舞台上で朗読する言葉(表題通りシェイクスピアの戯曲もあり、安倍晋三の発言もあり)たちとダンサーたちの踊りが共振する。言葉は断片的で、だから物語も展開も明確には存在しない。わずかにわかるのは、描かれているのが「嵐」によって文明がゼロ状態になった世界ということ。東日本大震災を反映しているのは間違いない。ダンサーたちは風に飛ばされるように、突然何者かに意識を奪われて自分の意思が行方不明になってしまったかのような動きを繰り返す。見ながらずっと考えていたのは、舞台に社会を映し出そうとする大橋の試みに的確に反応するのは誰だろうということだ。世間の多くは、舞台に現実を見ようとはしない。言い換えれば、世間の人々は現実に向き合っていないのではなく、向き合いすぎていて(それがいかに独りよがりの世界解釈だとしても)、現実に直面することよりも逃避することを望んでいる。自分を社会という鏡に写したくないのだ。では、誰はそれを望んだか。大橋可也&ダンサーズは以前、非正規雇用が深刻な社会問題として話題になったころ、「ロスジェネ」の苦悩に応答するような舞台を意識的につくっていた。いまでも大橋作品の観客にはその層がいるはずだ。ロスジェネの怒りは社会から自分が見放されていることにあった。だから彼らは社会という鏡が自分を映すことを求めた。「ロスジェネ」世代もそこで確認された問題も消えたわけではない。とはいえ、一方で、SEALDsのような社会をつくろうとする動きが出てきている。彼らの台頭によって、社会が自分を映してくれるかどうかよりも、社会自体を変えようとする意識が高まっているなか、さて、舞台は「反映」の役割を担うべきかどうか、いまそれが問われるのではないか。発見か発明か。もちろん二者択一ではないのだが、発明の要素、すなわち「変容」へ向けた想像力のほうを、筆者などは舞台に探してしまう。

2015/11/07(土)(木村覚)

高橋理子 展覧会「断絶から、連続を生む。」

会期:2015/11/07~2015/11/30

ギャラリー9.5 ホテルアンテルーム京都[京都府]

円と線による独特な文様で知られる高橋理子の個展。黒、白、金、銀の4色で大小さまざまなサイズの水玉を染めた着物10点で構成される。作品を着せつけた、作家本人の姿を象ったマネキンはグッと口元を結んで仁王立ちに構え、力強い表情が印象的だ。シンプルで明快、それでいて強烈な個性が際立つ作品である。
「断絶から、連続を生む」という本展のテーマは、解説によると、「伝統的なるもの」を断ち、日本らしさ、日本文化のアイデンティティを継承するのだという。このテーマは本作の制作手法にも読み取ることができる。作品制作は、梅や菊、牡丹模様の既存の着物を解くことからはじまる。次に、バラバラになった各部をつなぎ合わせて一枚の布に戻し、そこから色を抜き、その上に水玉を配し、さらに黒い地色を染める。そして、縫い合わせて再び着物にする。一見それまでの着物としての素性を全く断ち切って生まれかわったかのようにみえるが、近寄って見ると、抜ききれなかった刺繍や箔、紋や地紋が残っているのがわかる。解体して染め直してもなお着物としての生命は繋がっていて、水玉文様があらたに表面に積み重なったのである。高橋によると、円と線はこれ以上削るところがない完璧なモチーフだという。その完璧さがあまりにもストレートで、もとの着物の奥に潜んでいた、言わずもがなの、なんとなく見せずにおいたものを、堂々と人目に曝してしまったかのような心許ない気持ちにおそわれる。
これを機会に高橋の活動を振り返ってみて、その幅の広さには驚かされた。着物や浴衣、手ぬぐいといった染織品だけでなく、インテリアやパッケージ等のプロダクトデザインも多数手掛けている。完璧なモチーフには、ただストレートなだけでなく、どのような支持体にも適応しつつも同時に個性を失わないという柔軟さがあるというわけだ。[平光睦子]


会場風景

2015/11/10(火)(SYNK)

きものモダニズム

会期:2015/09/26~2015/12/06

住友コレクション 泉屋博古館[東京都]

須坂クラシック美術館(長野県)の開館20周年を記念して、所蔵する岡信孝コレクションのモダンな意匠の銘仙が前後期合わせて100点が紹介されている。大正から昭和30年代にかけてつくられた銘仙の図案は、矢絣など比較的シンプルなものから花鳥を大胆にあしらったもの、同時代のアール・ヌーヴォーやアール・デコの影響を受けたもの、幾何学的な文様から伝統文様をアレンジしたもの、時局を反映しているのか落下傘をモチーフにしたデザインまで多種多様で、色彩もじつに鮮やかである。チラシデザインのモチーフもまた昭和初期につくられた銘仙からとったもので、その新しさに驚かされる。
 銘仙は明治末から昭和にかけて、絹物でありながら廉価な日常のきものとして流行した。価格が安かった理由のひとつは使用された絹糸にある。明治政府が殖産興業政策の一環として富岡製糸場に代表されるように生糸生産が発展した一方で、輸出に不適合な繭や屑糸を加工した絹紡績糸が安価な織物用に用いられるようになった。染織技術にも明治末期にコストを削減できる革新が導入される。銘仙は絣の一種であるが、手間の掛かる括りで染めるのではなく、仮織りした布に型紙を用いて染色糊をのせて糸を染め、緯糸を抜いたあとの経糸を改めて機にかけて織る「解し織」という技法が開発されたのだ。他に緯糸にも絣糸を用いる「併用絣」「半併用絣」があるが、それには手機が必要だったので、動力織機を用いることができる解し織がいちばんコストが安かったようだ。同時期には鮮やかな色の化学染料が用いられるようになり、色彩や意匠の自由度が高まっていった。当初は旧来の絣の代用であった銘仙の意匠には、次第に大きく、大胆な文様が用いられるようになる。
 意匠の変化には、社会や市場の変化が如実に反映している。銘仙の産地は関東地方──伊勢崎・足利・秩父・桐生・八王子──であるが、市場が関西に拡大するにつれて次第に柄が派手になっていったという。流通もまた市場の拡大と変化をもたらした。三越のデパートメントストア宣言は1904(明治37)年。その後関東大震災を経て、百貨店各社が急速に大衆化していくなかで、絹織物としては安価な銘仙は特売会の目玉商品となっていったのだ。同時にこの時期は印刷技術の進歩により大衆向けの印刷メディアが発達した時代でもある。流行を発信する百貨店とそれを伝えるメディアの存在が、安価で求めやすくデザインが豊富で色彩豊かな銘仙を生みだし、ヒットさせたのである。山内雄気氏によれば、それゆえに「1920年代に、国内織物市場の大半が停滞するなか、銘仙市場だけが拡大した」。今和次郎の観察では、1925年に東京・銀座を行き交う女性のうち50.5%、1928年に日本橋三越前では84%が銘仙を身につけていたという★1。産地もまた流行創出に力を入れていた。銘仙のデザインを工夫、改良するだけではなく、足利では日本画家に依頼して銘仙を宣伝するポスターを描かせており、本展には足利美術館が所蔵するポスターやその原画も出品されている。
 展示されている数々の銘仙を見ていくと、たしかに安手の日常着と感じられるものがある一方で、緯糸にも絣を用い、デザインが緻密で多数の色を刷り分け、非常に手間が掛かっていると思われるものがあることに気づく。デザインや色を単純にして安価で大衆にも手が届きやすい価格の銘仙があった一方で、おしゃれ着としてより凝ったデザインへの需要も存在していたことが想像される。
 今回の展覧会は、染織研究で知られる長崎巌・共立女子大学教授の監修のもと、須坂クラシック美術館と泉屋博古館分館、そして東京文化財研究所による共同研究の成果であるという。図録では銘仙の技術や文化、流行について触れられているほか、会場では秩父銘仙の制作工程を記録した映像が上映されており、その技法についても学ぶことができる。[新川徳彦]

★1──山内雄気「1920年代の銘仙市場の拡大と流行伝達の仕組み」(『経営史学』第44巻第1号、2009年6月、3~30頁)。

2015/11/13(金)(SYNK)

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三井家伝世の至宝

会期:2015/11/14~2016/01/23

三井記念美術館[東京都]

三井文庫の開設50周年と三井記念美術館の開館10周年を記念する展覧会。春季展前期は三井家に伝来してきた茶道具の名品、後期は三井文庫の所蔵史料により三井350年の歴史を辿る企画であった。秋季展は「三井家伝世の至宝」と題して館蔵の国宝・重要文化財に加え、現在は三井家から離れて他の美術館・博物館等の所蔵となっている名品を集め展観する。円山応挙「雪松図屏風」(三井記念美術館蔵)、仁清「色絵鱗波文茶碗」(北村美術館蔵)、「虚空蔵菩薩像」(東京国立博物館蔵)、「古今和歌集(元永本)」(東京国立博物館蔵)、「油滴天目」(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)等々、たいへんな優品が集まっている。興味深いコレクションとして、安藤緑山の牙彫がある。蜜柑や柿、無花果、貝尽くしなど、ほんものと見まごうばかりの作品は、昨年同館で開催された「超絶技巧!明治工芸の粋」で多いに話題となった。明治末期から昭和初期にかけて活躍したとされる緑山の作品は、北三井家十代・三井高棟(1857-1948)の蒐集品である。もうひとつは南三井家十代・三井高陽(1900-1983)が蒐集した世界の切手のコレクション。高陽は幼少の頃から切手を集めていたが、慶應義塾大学で経済史と交通史を学んだことで、切手蒐集は趣味から研究対象になったという。戦前期には三井財閥のいくつかの会社で要職を務め、戦後の財閥解体後はすべての役員を辞し、切手研究と国際文化交流事業に尽くした。三井記念美術館は高陽のコレクション約6万点に加えて、三井グループのダイセル元社長・昌谷忠(1909-1991)が集めた約7万点の、約13万点の切手コレクションを所蔵するという。今回展示されているのはほんの一部であるが、いずれも稀少かつ歴史的に重要なものばかりだ。
 本展に合わせて、コレクションの名品図録が改訂されたほか、出品作品のうち他館等の所蔵品を納めた別冊が刊行されている。いずれにも蒐集やそれを手放すことになった経緯が触れられており、三井家とその事業の歴史を辿るものとしても興味深い内容になっている。[新川徳彦]

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2015/11/13(金)(SYNK)

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2015年12月01日号の
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