artscapeレビュー

2017年07月15日号のレビュー/プレビュー

田中大輔「火焔の脈」

会期:2017/06/20~2017/07/07

ガーディアン・ガーデン[東京都]

田中大輔は2016年の第15回写真「1_WALL」展のグランプリ受賞者。その時は、老いた象の皮膚を撫でるように撮影した映像作品が中心だったのだが、今回の受賞者個展では、写真作品23点と映像作品のモニター2台を、壁面にすっきりと並べて展示していた。
審査員の一人であるグラフィック・デザイナーの菊地敦己が、展覧会カタログのテキストに記しているように、田中の「深くゆっくり動く視線は切実で優しく、そして執拗だ」。それは視覚のみならず、「全身で追体験する」ように観客を巻き込んでいく。被写体は森や草むら、人の身体の一部、燃え残った炎など、日常的な事物の断片であり、とりたてて特別なものが写っているわけではない。にもかかわらず、画像に魅入られて、息を詰めて見続けてしまうような奇妙な引力が備わっている。菊地が言うように、「これは確かな才能」だろう。
むろん、田中のその「才能」は、まだ充分に開花しきっているわけではない。断片的なイメージをつないでいく見えない糸は、もっとしっかりと結び合わされていかなければならないだろう。言葉を的確に使う能力もあることは、「火焔の脈」というポエティックな膨らみのあるタイトルがよく示しているが、写真と言葉との関係のあり方もまだ曖昧なままだ。もうひと回りスケールの大きな、「純文学」としての作品世界を確立させていくには、むしろ次のステップが大事になる。展覧会でも写真集でもいいが、この「火焔の脈」のシリーズを、最後まできちんとまとめきってもらいたい。

2017/06/29(木)(飯沢耕太郎)

KIYOME MO/NU/MENT

会期:2017/06/30~2017/07/02

スパイラルガーデン[東京都]

そういえば審査したのは何年前だっけ……と、忘れたころに(3年前でした)コンペで選んだ作品の発表会が開かれた。タイトルからはなんのコンペか想像がつかないだろうが、じつは木曽に本社を置く檜風呂の制作販売会社、檜創建が主催する木曽檜を使った浴槽のコンペなのだ。タイトルの「KIYOME」とは「清め」「浄め」であり、入浴の婉曲な表現だ。発表まで3年もかかったのは、コンペで選ばれた彫刻家の木戸龍介によるプランが卵型のシェルターを持ち、おまけに表面の一部に網状の透かし彫りを入れるという手の込んだデザインだったため、制作に予想以上の時間がかかったから。主催者あいさつ、審査員の講評、乾杯に続き、希望者は卵の内部に入って(湯は張ってないが)入浴気分を堪能できる。入ってみると檜の香りが漂うなか、透かし彫りから外の光が星明かりのように差し込んできて、これはぜひ湯を張って入りたいと思わせるデキだった。

2017/06/29(木)(村田真)

没後50年記念 川端龍子 ─超ド級の日本画─

会期:2017/06/24~2017/08/20

山種美術館[東京都]

川端龍子といえば戦争画しか知らなかったが、戦争画といってもそれこそ超ド級画で、大画面いっぱいにシースルーの戦闘機を描いた《香炉峰》とか、青い姿の水神が水雷を担いで発射させる《水雷神》など、トンデモ戦争画なのだ。ほかにも東京国立近代美術館所蔵の《輸送船団海南島出発》《洛陽攻略》など興味深い戦争画を描いているが、《香炉峰》と《水雷神》は敗戦後なぜか接収されず(あまりに表現が非現実的だったからか)、現在は龍子記念館の所蔵だ。今回は《香炉峰》のみの出品だが、高さ2.4メートル、幅7メートルを超す大画面はやはり圧巻。戦闘機の両端が画面からわずかにはみ出していることから、ほぼ原寸大で描かれたらしい。背景の香炉峰の緑と、機体の一部に塗られた朱色の対比が鮮やか。画面のド真ん中に日の丸が来るよう計算されている。
もう1点、敗戦直前に自宅が空襲で破壊された体験に基づく《爆弾散華》も、広い意味で戦争画だ。ただし、家も炎も描かれておらず、飛び散る植物の図に金箔を散らしたもので、作者の解題がなければわからない。ほかに、サメ、エイ、イカ、クラゲなどが宙を舞う《龍巻》は、国際連盟を脱退する1933年の制作で、これも日本の生命線である太平洋をモチーフにしている点で戦争の匂いがする。日本画というのは多かれ少なかれナショナリズムに根ざした表現なので、戦争が近づけば「がんばれニッポン」に傾かざるをえないのかもしれない。

2017/06/29(木)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00040499.json s 10137079

プレビュー:地点『汝、気にすることなかれ』

会期:2017/08/05~2017/08/20

アンダースロー[京都府]

地点×エルフリーデ・イェリネクのテクスト×三輪眞弘(音楽監督)による第3弾。『光のない。』『スポーツ劇』に続く注目の新作が、地点の稽古場兼劇場である京都のアンダースローにて、8月に上演される。地点は自分たちで改装したアンダースローを拠点として、チェーホフの四大戯曲やブレヒト、『地点の近現代語』などのプログラムをレパートリーとして継続的に上演しているが、そこにイェリネクの『汝、気にすることなかれ』が新たに加わるという。「シューベルトの歌曲にちなむ死の小三部作」と副題のつく本作は、第三部に作者の父が登場するなど『スポーツ劇』の続編としての性格もありつつ、オーストリアのブルク劇場の大女優をモチーフにした第一部、白雪姫の物語を題材にした第二部と、それぞれ全く異なる設定で書かれている。神奈川のKAATや京都のロームシアターといった大劇場ではなく、俳優との距離が極めて近い空間で観劇できることも、レパートリー上演の大きな魅力である。前2作の延長上にどのような世界が立ち上がるのか、非常に楽しみだ。

2017/06/30(金)(高嶋慈)

プレビュー:時差『隣り』

会期:2017/08/30~2017/09/03

green & garden[京都府]

「時差」は、特定の演出家や劇作家によるカンパニーではなく、複数のアーティストが同じコンセプトを共有しながら、それぞれの作家による新作公演をプロデュースする企画団体である。京都の若手制作者である長澤慶太によって2016年に立ち上げられた。第1回目の企画「動詞としての時間」では、精神科医の木村敏の著作を読み、「臨床哲学」の言葉を手がかりに、演劇、ダンス、映画作品を制作している。参加アーティストは、和田ながら(演出家)、城間典子(映画監督)、村川拓也(演出家、ドキュメンタリー作家)、岩淵貞太(ダンサー、振付家)であり、京都在住もしくは京都で発表歴のある気鋭のアーティストが名を連ねる。
今回の「動詞としての時間」第2回公演では、城間典子による映画『隣り』が上映される。この作品は、城間の幼馴染であり、統合失調症と診断された女性との共同制作による。映画は2つのパートから構成され、1)幼馴染の女性が、10代の頃、心のバランスを大きく崩した冬から春にかけて、彼女自身が「劇映画」として再現するパートと、2)その4年後に城間が再び彼女を訪ね、現在の様子を撮影したドキュメンタリーから成っている。発病当時、京都造形芸術大学の映画学科に在学中だった城間と、過去に演劇部に所属し、俳優を志していた彼女とのあいだで、1)の劇映画をつくることは自然な成り行きだったという。編集は城間に任されたが、4年かかっても終わらず、再び城間が彼女を訪ねたことを契機に2)が生まれた。そこには、一緒に劇映画の編集作業を行なう二人の様子とともに、通院を続け、絵を描きながら家族とともに暮らす彼女の日常生活が記録されている。本人の再現による「劇映画」とドキュメンタリーから成る構造は、ドキュメンタリー/フィクションという単純な二元論の解体についての問いを提起する。加えて、親密な関係のなかでカメラを向けるという被写体との距離感、病を抱えて生きることの困難とそこに寄り添って眼差しを向ける営みについてなど、さまざまなトピックを喚起する映画になるのではと期待される。
公式サイト: http://kyotojisa.wixsite.com/jisa

2017/06/30(金)(高嶋慈)

2017年07月15日号の
artscapeレビュー