artscapeレビュー
2017年07月15日号のレビュー/プレビュー
第60回記念 新象展
会期:2017/05/29~2017/06/04
東京都美術館[東京都]
新象展を見るのはたぶん初めてのこと。会場はガランとしていて、見やすいったらありゃしない。作品は抽象が多く、いわゆるアンフォルメル風もあれば幾何学的抽象もあるし、レリーフ状や掛軸形式もあるのだが、日展に見られるような日常を描いた温和な具象画だけがないのが特徴か。その意味で、この会が始まった60年前、つまり「抽象」や「モダンアート」という言葉がまだまぶしく輝いて、希望に満ちていた50-60年代の時代相を色濃く残しているように見受けられる。出品は60回記念の旧作展示を含めて約240点。そのうちの一人だけ焦点を当てると、青木孝子はパースのかかった半抽象的な大作を出品。手前には荒々しい褐色の筆触を残し、奥には火や煙を思わせるオレンジ、白の絵具が伸びる。まるでドラクロワの《ナンシーの戦い》かなにか、遠望した合戦図のよう。その図に被せるように三角の線が引かれ、交点に緯度と経度を表わす記号と数字が並ぶ。これはタイトルから察するに東京とダマスカスの地球上の位置だろう。これも一種の戦争画か。都合のいいことに、特別展示として彼女の9年前の作品も出ているので比べてみると、地球規模のグローバルな視点、俯瞰する視点は変わっていない。
2017/06/01(木)(村田真)
《タンポポ・ハウス》
[東京都]
『日経アーキテクチュア』の特集で、藤森照信氏と対談を行なうために、以前は外観のみ見学したことがある自邸、《タンポポ・ハウス》の室内に初めて入る。素材や形態はきわめてユニークだが、やはりプランは普通だった。藤森デザインの歴史的な位置づけ、ヴェネツィア・ビエンナーレで展示した後に世界各地で茶室のインスタレーションを手がけるようになったこと、彼が注目する建築における地面との接合部などが話題になった。個人的にとりあえずの仮説を立てたのは、彼がポストヒストリーの人だということ。すなわち、彼が建築史をやってから建築家になったのはもちろん、もうあまり大きな構造的な変革はないという認識のもとでデザインをしていることを意味している。
2017/06/01(木)(五十嵐太郎)
萩原朔美の仕事展
会期:2017/04/15~2017/07/02
昨年、萩原朔美が「萩原朔太郎記念 水と緑と詩のまち 前橋文学館」の館長に就任した。萩原朔太郎の孫というこれ以上ない出自に加えて、演出、編集、エッセイスト、映像・造形作家としての多面的な活動を展開している彼は、まさに同館の館長に適任といえるだろう。その萩原の「就任1周年」を記念して企画・開催されたのが本展である。「映像」、「アートブック」、「写真」、「編集」の各パートに、目眩くように多彩な作品が展示されていた。
ここでは、写真のパートを中心に見てみよう。萩原の写真の基本的な手法は「定点観測写真」である。同じポーズをとる「20代」と「60代」のポートレート。2、3歳の頃に撮影された小田急線の電車に万歳している彼の写真を、20代、30代、60代で再現した写真シリーズなどを見ていると、時の経過とともに、否応なしに死─滅びへと向かっていく人間の運命を感じてしまう。これらの「定点観測写真」もそうなのだが、萩原の写真作品にはつねに「差異と反復」に対するオブセッションがあらわれてくる。「変容を観察し変容の度合いを測ることに面白さを見出す」という彼の志向は、カメラ機能付きの携帯電話の登場でより加速してきているようだ。道路上の「丸いもの」を撮影した《circle》、鏡に自分を映して撮影した《selfy》、路上の「止まれ」の表示を、文字通り立ち止まって撮影した《とまれ》など、携帯電話で撮影した写真群は、驚くべき数に達している。物事の微妙な「差異」に徹底してこだわり、「反復」を積み重ねて視覚化していく試みは、彼自身の生と分かち難く密着することで、これまで以上に広がりを持ち始めているのではないだろうか。
萩原は、先頃東京都写真美術館で個展を開催し、6月5日に亡くなった山崎博と日本大学櫻丘高校の同級生だった。17歳の頃「写真家になる」と宣言した山崎に刺激されて、彼自身も写真家になりたいと思った時期があったという。その望みは、果たされなかったわけだが、山崎と共通する、写真というメディアの可能性を、あくまでもコンセプチュアルに問い続けていく志向は、いまなお彼のなかに脈打っている。「写真家・萩原朔美」の仕事をもっと見てみたい。
2017/06/03(土)(飯沢耕太郎)
モンテヴェルディ生誕450年記念特別公演「聖母マリアの夕べの祈り」/タリス・スコラーズ 2017年東京公演
神奈川県立音楽堂、東京オペラシティ[神奈川県、東京都]
「聖母マリアの夕べの祈り」@神奈川県立音楽堂と、タリス・スコラーズ@オペラシティと古楽を聴く機会が続いたが、今年はちょうど生誕450年記念なので、いずれもモンテヴェルディを歌う。とりわけ、タリス・スコラーズによるアレグリのミゼレーレは、数名の歌い手がホールのあちこちに散らばり、ステージからの歌声と掛け合いを行ない、立体的な音空間をつくり出し、鳥肌モノの体験だった。クラシックの楽器が発展する以前、宗教の庇護のもと、声の力だけでこれだけの複雑さと美しさに到達したことに感心させられる。
2017/06/03(土)、2017/06/05(月)(五十嵐太郎)
岡本太郎×建築展 ─衝突と協同のダイナミズム─
会期:2017/04/22~2017/07/02
川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]
岡本太郎と建築の接点は意外に多い。例えば坂倉準三とは、戦前パリで彼がル・コルビュジエに師事していたころから親交があり、戦後は青山の岡本邸を設計してもらっている。アントニン・レーモンドや磯崎新とも一緒に仕事をしたことがある。だが、太郎が火花の散るような関係を切り結んだ建築家といえば、丹下健三をおいてほかにいない。丹下とは旧東京都庁舎、東京オリンピックの国立代々木競技場、大阪万博のお祭り広場と、大きなプロジェクトだけでも3回コラボレーションしたが、いずれも丹下が設計し、太郎がアートを手がけた。
だいたい建築家とアーティストがコラボする場合、まず建物が先でそこにアートを入れ込むことが多いので、アーティストのほうが立場的に弱い。それに、アートを取り除いても建物は残るが、建物を取り壊したらアートも消えてしまう。建築>アートなのだ。そのことに太郎が自覚的だったかどうかは知らないが、最後の万博のときに立場を逆転させてしまう。先に丹下が設計した大屋根をぶち抜くかたちで太陽の塔をおっ立てたからだ。このことは太郎のリベンジ(それは建築に対するアートのリベンジともいえる)として、しばしばおもしろおかしく語られてきた。後日談として、約20年後に丹下が新宿の新都庁舎を設計したとき、太郎が呼ばれなかったのは丹下の再リベンジだという見方もある。まあそれはないだろうけど、同展は「衝突と協同のダイナミズム」と謳いながら、どうもそのへんがよくわからない。
2017/06/04(日)(村田真)