artscapeレビュー
2018年10月15日号のレビュー/プレビュー
Rachel Whiteread
会期:2018/09/16~2019/01/13
National Gallery of Art, Washington[アメリカ合衆国ワシントンD.C.]
ワシントン訪問の際に、National Gallery of Artを訪れた。ターナー賞受賞経験もある現代彫刻家、レイチェル・ホワイトリードの回顧展が開催中だった。初期作品から、家具や扉、窓を型取りした彫刻の代表作品、ドローイングや写真などの平面作品、近年のサイトスペシフィックなパブリック・プロジェクトの記録までを辿る。2017年秋に始まったTate Britainを皮切りに、欧米各地を巡回している。日本ではまとまって見る機会の少ない作品群をじっくりと鑑賞できた。
導入部に展示された「トルソ」シリーズの作品が、湯たんぽを石膏や樹脂で型取りし、「トルソ」と名付けることで人体に見立てられているように、ホワイトリードの関心の出発点は、家具やインテリアなど、日常的に人の身体と接触する物体を型取りして彫刻化することで、目に見えない記憶や身体的な痕跡を示唆することにある。湯たんぽに始まり、椅子、マットレス、浴槽など、「人体との接触面」を型取りによって取り出し、内部の空洞を石膏や樹脂で物質的に充填することで、日常的にその表面に触れ、あるいはそこを埋めていた人体の存在が逆説的に浮かび上がる。「型取り」の技法を用いるため、サイズは原寸大が保たれるが、石膏や樹脂といった素材で置換されるため、再現的なディティールは削ぎ落される。内部を見通せない石膏の不透明さや鈍重さ。対照的に、薄く色づいた色彩の透明感が、非物質的な軽さへと上昇する樹脂の儚げな佇まい。澱のように凝固した不可解な量塊と、亡霊的なまでの物質感の希薄さ。それらは記憶の原型のようなものに近く、「記憶に質量はあるのか」「記憶の形象化は可能か」といった問いを触発する。
そこにはまた、「ミニマル・アートへの美術史的参照」も含まれる。例えば、古い建物の床を型取りした正方形のプレートを敷き詰めた作品はカール・アンドレを、母親の遺品を詰めた段ボール箱を型取りした立方体の作品は、ロバート・モリスを連想させる。だが、ミニマル・アートを形態的には示唆しつつ、そこに人の痕跡や気配の残存が加わることで、類型的に並べられる形態は、その類似性や反復性の向こうに、それをかつて使用していた人々の身体的、習慣的差異へと連想を誘う。そこには、男性主導のミニマル・アートへの批判的眼差しも読み取れるだろう。
近年のホワイトリードは、個人的な記憶(父親が死んだ際のマットレス、母親の遺品が詰まったボックスなど)から、よりパブリックな記憶(ホロコーストのメモリアルなど)へと展開している。それらの大掛かりでサイトスペシフィックな作品のドキュメントとともに、作家が拾ったり集めたさまざまな日用品やオブジェが小さなスケッチブックとともにガラスケースに収められ、思考の魅力的な小宇宙を形成していた。
2018/09/16(日)(高嶋慈)
国立女性美術館(National Museum of Women in the Arts)
国立女性美術館(National Museum of Women in the Arts)[アメリカ合衆国ワシントンD.C.]
ワシントン訪問の際に訪れた国立女性美術館(National Museum of Women in the Arts)は、全米で唯一、女性アーティストの作品を専門的に収蔵する美術館である。女性の絵画コレクターによって1987年に設立され、16世紀から現代まで、約1000人の女性アーティストによる5000点以上の作品を収蔵している。特別展はあいにく準備中だったが、2つの階にまたがるコレクション・ハイライトを見ることができた。
中2階のクラシックな展示室は、16世紀から20世紀までの肖像画に焦点を当てている。聖母子など聖書や神話の登場人物/実在の王侯貴族や著名人にかかわらず、いずれも「女性画家が女性を描いた」ポートレートである点が特徴だ。時代を超えた女性画家の層の厚みを示すとともに、一見すると華やかだが、「男性像が1点もないこと」が女性画家の置かれた時代的制約を物語る(ヨーロッパやアメリカの絵画アカデミーにおいて、女性の入学は排除あるいは制限されており、絵画のヒエラルキーの最上位とされた歴史画や宗教画に従事できず、より下位とされた肖像画や静物画が主な活動領域であった)。
一方、上階の展示室では、16~19世紀と近現代の作品を組み合わせた展示構成を取り、「Body Language」「Domestic Affairs」「Herstory」「Natural Women」のテーマで多岐に渡る作品を紹介している。上述のように、活動領域を肖像画や静物画に制限された女性画家の歴史的制約を示すとともに、現代の女性作家が男性主導の表象の歴史をどう批判的に検証し、表現の主体性を取り戻そうとしていったかが示される。「Body Language」では、第二次世界大戦下で母親を殺害された個人史から出発し、手と首を欠いた人物群を麻布で造形するマグダレーナ・アバカノヴィッチの作品がまずは出迎える。性別や人種を捨象された抽象的な人体像だが、黙したまま抵抗の座り込みを続けているようにも、拷問の匿名的な犠牲者を表わしているようにも見える。
また、日常的な光景として女性ヌードを描いたシュザンヌ・ヴァラドンの絵画の隣に、ジリアン・ウェアリングの《Sleeping Mask》が配される。寝顔を象ったマスクだが、就寝時さえも(他者の眼差しによって形成される)自己表象の仮面からは逃れられない状況を暗示する。自然な様態/究極の虚構性という両面から、女性身体が「見られること」を照射する一角だ。
一方、「Herstory」では、歴史的な肖像画に加え、ジェンダーやエスニック・アイデンティティの表現を主題化した現代の作品群が並ぶ。「Natural Women」では、南米スリナム(18世紀のオランダ領ギアナ)に赴き、植物や昆虫の精緻な博物画を描いたマリア・ジビーラ・メーリアンの隣に、アン・トゥルイットのミニマルな柱状彫刻が配される。ギリシア神話の木の精の名を冠したタイトルと鮮やかなグリーンが、厳格な幾何学性と有機的な自然、工業性と人体といった二項の奇妙な融合を示す。
これらの展示室の最奥には、「もし女性が世界を支配したら」という文言をネオンサインであしらったヤエル・バルタナの《What If Women Ruled the World》が燦然と輝く。その他、メアリー・カサット、フリーダ・カーロ、ジュディ・シカゴ、リンダ・ベングリス、ルイーズ・ブルジョワといった著名作家も多数並ぶ。
男性主導の美術(史)への批判的検証は、フェミニズム思想とともに70~80年代に開始され、この美術館の設立もそうした時代状況に呼応したものと見なせる。ただ、(今回の展示作品のラインナップを見る限り)大半が欧米圏の作家で占められており、「女性」を掲げてはいるが、内部には地域的な偏差を抱えていることは否めない。アフリカン・アメリカンの作家はいるものの、「女性」という枠組みのなかにさらに細分化されたマイノリティがいることが、展示構成のネガとして浮上していた。
2018/09/16(日)(高嶋慈)
《京都大学吉田寮》
[京都府]
存続をめぐって揺れ動いている京都大学の吉田寮の見学会に参加した。じつは筆者にとって初の訪問なのだが、東京大学の学部生のとき、2年間、駒場寮に住んでいた経験があるので、むしろ懐かしさを覚えるような感覚だった。もっとも、駒場寮は関東大震災後につくられた頑丈なRC造の3階建て、両側にS部屋とB部屋(おそらくSTUDYとBEDの略であり、かつては対で使われていた)が挟む中廊下であるのに対し、吉田寮はさらに古い築105年の木造2階建て、居室が南面する片廊下である。それゆえ、居住者が比較的簡単に増改築できるので、あちこちに独自の変形が起きていた。一方で駒場寮は、そうした増築は難しい代わりに、約24畳の各部屋の内部を、居住者が決めたルールによって、オープンなまま使ったり、ベニアで間仕切りを入れるなどしてカスタマイズしていた。なお、吉田寮は台風で中庭の大木が倒れたことで、屋根が部分的に壊れ、痛ましい姿だった。
筆者が駒場寮に暮らしていた1980年代半ばは、もう当初の定員を大幅に下回り、各部屋に2〜3人がいる状況で、部屋ごとに直接交渉してどこに住むかを決定していた。見学会での説明によれば、吉田寮はまず二段ベットがある大部屋に入り、そこでしばらく過ごしてから(適性がなければ、この段階で寮を出ていく)、どの部屋に暮らすかを決めるという。現在は留学生も多く、女性も住んでいるらしい。おそらく運用の方法は時代によって変化しているが、大学のキャンパス内に存在する有名な自治寮のシステムを詳細に比較すると興味深いだろう。駒場寮は大学によって廃寮扱いを受けてからも、長く存続し、ある時期からは電気の供給も絶たれた。そのときはまわりの建物からケーブルで電気を引っ張り、建物が解体してからも横にテント村を形成し、約半年は粘っていたが、約15年前に完全に撤退した。今後、吉田寮も大学から厳しい処置を受けると思われるが、駒場寮のときはあまり広がらなかった、まわりの支援の輪が拡大するかが存続の鍵になるだろう。
2018/09/16(日)(五十嵐太郎)
アメリカ国立公文書館の新館(Archives Ⅱ)と写真アーカイブ
アメリカ国立公文書館の新館(Archives Ⅱ)[アメリカ合衆国 メリーランド州 カレッジパーク]
写真資料の調査のため、ワシントンD.C.郊外にあるアメリカ国立公文書館(または国立公文書記録管理局/National Archives and Records Administration、略称NARA)の新館(Archives Ⅱ)を訪れた。国立公文書館は、「独立宣言書」「合衆国憲法」「権利章典」という「自由の憲章」をはじめ、奴隷売買契約書、移民記録、従軍記録、外交文書など、国家の歴史文書を保存・公開するとともに、連邦各省庁の記録管理を監督している。1934年設立の本館が手狭になったため、資料の住み分けを行ない、研究者向けの施設として新館が1994年にオープンした。新館では、第一次世界大戦以降の紙資料と、写真や映像フィルムなど特別な保管庫が必要な資料を保管する。太平洋戦争や戦後の日米関係を調査する日本の研究者の利用も多い。
新館は、2階は文書、3階は図面、4階は映像、音声、マイクロフィルム、5階は写真、6階は電子文書というように、資料媒体ごとに閲覧室が分かれている。また、アーカイブ一般の構造について補足すると、「開架式」が原則の図書館とは違って「閉架式」であり、見たい資料の入っている箱(ボックス)を特定して閲覧申請する必要がある。ボックスにはフォルダが収められ、それぞれのフォルダに何十枚、何百枚という文書や写真が収められている。また、データベースで簡単に検索できる図書館と違い、資料の量や種類の多様さのため、データベース化の整備が追い付かず、「紙の目録」に頼らざるをえない場合も多い。さらに、主題別に分類された図書館と異なり、アーカイブの分類方法(ファイリング・システム)は「出所の原則」と「原秩序尊重」に従うため、その資料を作成した組織ごとに管理され、作成者が構築した配列がそのまま維持される。従って、ファイリングの仕方が異なれば、資料の検索方法も異なり、まずはその仕組みを理解する必要がある。国立公文書館では、資料の作成・保管省庁ごとに「レコード・グループ(RG)」として1~500番余りまでの番号を割り当てている。
今回の調査の主な対象は、新館の写真閲覧室で見られる写真(950万枚以上)のうち、「RG 111-SC(米陸軍通信隊記録)」の「1941~54年」の写真アーカイブである。陸軍および陸上での活動が記録され、一部は米軍紙にも掲載されたため、報道色の強い写真も多く、撮影対象や地域は多岐にわたる。また、「RG 111-SC」は、テーマや地域別の目録が用意されておらず、カード・インデックスから見たいキーワードを探し、記載された番号の写真が収納されたボックスを閲覧申請する、という煩雑な手続きが必要になる。出納はボックス単位で行なうため、見たい写真を一本釣りすることができず、ボックスやフォルダごとにテーマや地域別に整理されているわけでもない。そのため、「写真のジャングル」とも形容される、脈絡のない膨大な写真群のなかを進みながら探すことになる。それは、海図のない航海、手探りで鉱脈を掘っていくような感覚だ。
「RG 111-SC」の写真群の対象地域は、日本やアメリカだけでなく、かつての日本の占領地域も多く、同じく敗戦国のドイツやイタリアも含む。例えば、軍のパレードや公式行事、日本軍から押収した武器や設備類、戦犯の連行といった軍の活動記録。東京裁判や普通選挙、引き揚げの様子、水害や火事の災害現場など報道写真的なものもあれば、現地での軍の救援活動、市民や子どもとの交流など宣伝色の強い写真もある。人々が談笑するパーティーや、リゾートホテルでの休暇、スキーを楽しむ様子、観光写真的な風景写真、記念写真のスナップもある。それらに混じって突如、原爆のケロイド患者や焼け野原の市街地を写した写真が出現する。その遭遇がショックを与えるのは、イメージ自体の衝撃よりも、「写されたものの軽さ/重さ」にかかわらず、全てを等価なフォーマットの下、均質化してしまう写真の暴力的な力が露出するからだ。
こうした、写真イメージのカオティックな奔流とその暴力的な作用を浴びるような「写真アーカイブの体験」は、ゲルハルト・リヒターの《アトラス》を想起させた。リヒターが60年代初期から収集し始めた膨大な写真を700枚以上のパネルに貼付して展示する《アトラス》には、プライベートな家族写真、風景写真、静物、新聞や雑誌の切り抜き、商品広告、強制収容所の写真、ポルノ写真、ドイツ赤軍事件の報道写真など、極めて多様なイメージが整然と配列されている。「フォト・ペインティング」の元ネタの写真やドローイングも含まれ、資料的価値を有するだけでなく、戦後西ドイツの社会様相の記録(とその映像イメージにおける消費)という側面も持つ。リヒターの個人史、作品資料、社会様相の反映、イメージの氾濫/記憶の抑圧といったどのレベルで《アトラス》を受容・解釈するかは見る者に委ねられており、その開かれた構造は、見る者の欲望によってその都度異なる姿を現わす。
アーカイブに収められた写真群の間には、潜在的な読み取りへと開かれたネットワークが無数に張り巡らされ、内部で胎動している。厳密なグリッド構造、矩形で分割するフレーミング、通し番号によるリニアな秩序化は、安定した秩序を脅かそうとする写真の力を防波堤のように堰き止め、写真がある「量」的限界を超えた時に帯びる暴力性をなんとか制御しようとする抑制装置である。調査資料の収集過程に付随して、写真の「量」的作用が帯びる暴力性、内容の軽重とは無関係に全てを均質化してしまう暴力的な作用、内部で蠢く無数のネットワークの潜在性、そうした諸力と拮抗する制御装置としてのアーカイブ構造について、メタレベルで考える機会だった。
参考文献:
仲本和彦『研究者のためのアメリカ国立公文書館徹底ガイド』(凱風社、2008)
佐藤洋一「集め、読み取り、伝えること 米国立公文書館から発掘した貴重写真」(『東京人』2016-9月号pp.82-85)
2018/09/17(月)(高嶋慈)
玉置順《トウフ》、FOBA《ORGAN I 》《ORGAN II 》
[京都府]
京都へのゼミ合宿の機会を利用し、1990年代半ばに登場した2つの建築を見学した。玉置順による画期的な住宅の《トウフ》と、FOBAの拠点である宇治の事務所《ORGAN I 》である。院生だった筆者が現代建築の批評を執筆するようになった時期の話題作だが、いずれも20年ほど前に現地を訪れたものの、なんのアポイントメントもとっていなかったので、外観を見学したのみで帰ったために、内部に入ったのは今回が初めてである。
《トウフ》は名称が示すように、矩形の白いヴォリュームが印象的な住宅であり、公園に面した絶好の立地だ。ただし、今風の開いた建築ではなく、公園があまりに目の前なので、むしろ絞られた開口のみが公園と対峙する。特徴は、外部の白いヴォリュームと内部をえぐったかのような空間のあいだに大きな懐をもち、そこに異なる色味をもったいくつかのサブの空間を設けていること。もともと高齢者向けの住宅として設計されており、確かに中心のワンルームを核にしたバリアフリーの建築でもある。また天井が高いことで、使い倒されても、変わらない空間の質を維持していた。当初から居住者は変わったが、壁の細い穴にぴったり入るマチスの画集も設計の一部らしく、これが残っていたことは興味深い。
FOBAの事務所《ORGAN I 》は、真横に同じデザイン・ボキャブラリーをもつ大きなビル《ORGAN Ⅱ 》が建ち、これも彼らの設計によるものだ。いずれもトラックなどの外装に使われる材料を転用したメタリックな表皮に包まれたチューブがランダムに成長し、あちこちで切断したような造形である。FOBAの事務所は3階建てだが、基本的に全体のヴォリュームを持ち上げ、周辺の環境や形式を意識しながら、開口のある切断面が設けられていた。もっとも、竣工後に周辺にマンションが増えたことで、眺めが変わってしまったところもなくはない。室内には大量の書籍が高く積まれており、事務所の歴史を感じさせる。見学の途中で梅林克が合流し、台湾のプロジェクトや最近の木造住宅シリーズなどの熱いトークに聞き入った。
2018/09/17(月)(五十嵐太郎)