2020年11月15日号
次回12月1日更新予定

artscapeレビュー

2020年09月01日号のレビュー/プレビュー

修復作品公開 長谷川路可 よみがえる若き日の姿

会期:2020/07/11~2020/09/27

藤沢市アートスペース[神奈川県]

長谷川路可って名前しか聞いたことなかったが、修復の過程も紹介するというので見にいったら、彼の活動自体すこぶる興味深いものだった。長谷川はミッションスクールに通っていたこともあって洗礼を受け、洗礼名ルカ(画家の守護聖人でもある)に因んで名前を路可に。東京美術学校では日本画を学び、卒業後フランスに留学。

第1次大戦の終わった1920年代のフランスは、エコール・ド・パリ華やかなりし時代で、日本人の画学生もたくさん留学していた。そのなかでも路可が特異だったのは、日本画出身にもかかわらずパリで油絵を描き、渡仏の翌年に早くもサロンに入選してしまうことだ(その年は藤田嗣治が審査員を務め、16人もの日本人画家が入選したという)。でもそれは表向きの顔で、じつはもうひとつ、ヨーロッパにある東洋古画の模写をする使命を母校から与えられていたのだ。そのためパリだけでなく、ロンドンやベルリンの博物館が所蔵する中国西域の壁画を原寸大で模写して日本に送り、その数125点にもおよんだという。なにやらスパイみたい。

さらにおもしろいのは、壁画の模写からフレスコ画に関心を深め、イタリア各地に残るフレスコ画を見学し、自らもフレスコ画を手がけていったこと。なんと日本画と油絵だけでなく、東洋古画やフレスコ画まで、要するに古今東西のすべての絵画技法に手を染めたのだ(加えるに、パリでは本の挿絵も描き、晩年には東京オリンピックのために国立競技場にモザイク画まで制作した)。こんなオールマイティな画家にもかかわらずあまり名前が知られていないのは、むしろオールマイティだからこそ、一芸に秀でた芸術家を尊ぶ日本では敬遠されてしまったからかもしれない。まあはっきりいって、絵自体もそんなにうまいってわけじゃないし。

でも展覧会としては、作品点数は少ないものの、その作品の修復過程を見せたり修復方法を紹介したり、モザイク画の新国立競技場への移設にも触れたりするなど、丁寧につくられていてわざわざ行った甲斐があった。ちなみに、藤沢で路可の展覧会が開かれるのは、少年時代とパリから帰国後、鵠沼に住んでいたからだそうだ。

2020/07/21(火)(村田真)

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Enrico Isamu Oyama | SPRAY LIKE THERE IS NO TOMORROW スプレイ・ライク・ゼア・イズ・ノー・トゥモロー

会期:2020/07/11~2020/09/27

藤沢市アートスペース[神奈川県]

最近はニューヨークに滞在していたと思ったら、立て続けに本を出したり個展を開いたり、アーティストとしてだけでなく、ライティング(グラフィティ)のスポークスパーソンとして活動を活発化させている大山。今回は藤沢市アートスペースのレジデンスルームで滞在・制作した成果を見せている。

部屋は半透明のプラスチックシートに覆われ、換気用の太いダクトが巨大ミミズのように床を這っている。展示室というより工事中の部屋といった趣だが、これはエアロゾル(スプレー)を使ってライティングする大山ならではの、空間をスタジオ化するための儀式らしい。その半透明のシートの上に、ライティングの要素を抽出した「クイックターン・ストラクチャー」を描(書)いている。旧作も何点か出しているが、ほぼすべてモノクローム。ところどころにエアロゾルの試し吹きの跡が残っていて、レジデンスの成果発表展というより、まだ制作中のオープンスタジオといった様相だ。

大山いわく、「エアロゾルという言葉は、ミスト化した塗料を意味し、物質の状態を強調する。他方で、スプレーという言葉は「かく・吹く」という行為を強調し、かき手の主体を含んでいる。今回の展覧会では、スプレーと描画の横断、エアロゾルと空間の膨張、ブースと場の仮設、その過程を、レジデンシーを通してインスタレーション化する」。藤沢市アートスペースは湘南地域にゆかりのあるアーティストを紹介してきたが、大山は東京藝大の大学院に進む前に、慶應大の藤沢キャンパスに学んだ縁だそうだ。

2020/07/21(火)(村田真)

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ドナルカ・パッカーン『野獣降臨』

会期:2020/07/22~2020/07/26

萬劇場[東京都]

コロナ禍の最中、いかなる戯曲を上演するか。戯曲を上演するという演劇の「方法」は、過去のアーカイブに現在を照らし合わせることで歴史から反省を(あるいは無反省を)引き出すことに優れている。演出家の仕事が上演の結構を整えることにあることは確かだが、その前段階として上演する戯曲を選択することもまた演出家の仕事であり、その腕の見せ所であると言えるだろう。

演出家・川口典成の個人企画「ドナルカ・パッカーン」が今回「緊急上演」したのは野田秀樹が1983年に第27回岸田國士戯曲賞を受賞した『野獣降臨』。伝染病を描いた本作は「野獣降臨」と書いて「ノケモノキタリテ」と読むことからも明らかなように差別を描いた作品でもある。コロナ禍の日本においては残念ながらさまざまな差別の問題が顕在化/激化しており、伝染病と差別を描いた本作の上演はきわめてアクチュアルなものとして現在に立ち上がってくる。

[撮影:三浦麻旅子]

ほかの多くの野田戯曲と同じように、本作もまた複数の筋と場面が混線し時空間も行きつ戻りつしながら進行していくため、ひと口にあらすじを紹介することは難しいのだが、大まかに言えば二つの物語がDNAの二重螺旋のように絡み合いながら進行し(あるいは退行し?)ていく。ひとつはあばら骨を一本失ってしまったボクサー・アポロ獣一(鎌内聡)の物語。それは地球と人の物語だ。もう一方は月と獣の物語。アポロ11という音をよすがに舞台は月へとジャンプする。獣を人のように変えてしまう伝染病を媒介するという月の兎(那須野恵/人形遣い:海老沢栄)を追う伝染病研究所の所長(丸尾聡)をはじめとする人々。しかし同じように地球では、人を獣のように変えてしまう伝染病が広がっているのだった。獣一が「獣のハジメ」と名乗るように人は獣へ獣は人へ、しりとりがごとく互いの尻にかじりつく。

たとえとしてDNAの二重螺旋をわざわざ持ち出したのは、それこそがこの戯曲の核となる構造だからだ。24本ある人間の肋骨を獣一は一本失い、残ったのは23本。それは人間が持つ46本の染色体のちょうど半分にあたる。人間は両親から23本ずつの染色体を受け継いで一人前のヒトとなる。だからこそ獣一と月の兎はそれぞれ半人前でしかなく、半人+半獣=地球+月でようやく一人前の物語が紡がれることになるのだ。

[撮影:三浦麻旅子]

戯曲の核に置かれたDNAの構造は伝染病や差別のモチーフとも呼応する。いずれもしばしばその「起源」が問題とされるが(「武漢ウイルス」なるWHOのガイドラインを無視した呼称を思い起こされたい)それはしばしば正統性への執着と裏表の関係にある(管見の範囲では「武漢ウイルス」という呼称を用いた人々とネトウヨと呼ばれる人々は重なっていた)。「宇宙家族アポロは、原始家族と背中合わせの双なりでございます」というセリフは過去(=原始家族)=起源と未来(=宇宙家族)=その結末とが切り離せないものであることを示している。野田はこの作品を「被差別民族」の物語だと明言したそうだが、しかし獣一たち宇宙家族=原始家族はときに聖家族と呼ばれ、物語の結末に至ってその「起源」がイザナギとイザナミの間に生まれた水蛭子にあったらしきことが示唆される。かつて現人神と呼ばれた天皇に一般的な意味での基本的人権は認められていない。差別と正統(性への執着)は表裏一体であり、この戯曲がもっともアクチュアルなのはその点だろう。『野獣降臨』は日本(人)の宿痾を鋭く抉り出す。

[撮影:三浦麻旅子]

川口は萬劇場がいち早く新型コロナウイルスへの対策を明示したことを受けて公演会場に選んだという。会場の入り口では検温、手洗い、手指靴底の消毒が行なわれ、一席おきに指定された客席はビニールシートで仕切られていた。宇宙飛行士/伝染病研究所所員を演じる俳優たちはフェイスシールドを装着し、観客たる私の「日常」はそのまま舞台上と地続きになる。煩雑であるはずの諸々でさえ劇世界への気分を盛り上げる道具立てになっていたという点においてもこの戯曲の上演は成功していたと言えるだろう。観劇前後の観客への情報提供も徹底していた。フェイスシールド越しの言葉が聞き取りづらい(しかしそれは観客たる私の側の問題でもあったのだろう。上演が進むにつれ耳がチューニングされたのかそれほどは気にならなくなった)など、上演上の課題こそいくつか見られたものの、この状況下でこそ上演すべき戯曲を「緊急上演」した川口の「目」は確かだ。前作『女の一生』初稿版完全上演でも川口は、戦後上演され続けている改訂版ではなく、戦時中に上演された初稿版のドラマツルギーこそが現代日本に通じているのだと示してみせた。日本人作家の手による戯曲に、いまこそ上演すべきは何かという観点から継続的に取り組み、過去の戯曲のなかに現代を照射するドラマツルギーを見出し上演し続けているドナルカ・パッカーン/川口の仕事に引き続き注目したい。

[撮影:三浦麻旅子]

[撮影:三浦麻旅子]


公式サイト:https://donalcapackhan.wordpress.com/

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ドナルカ・パッカーン『女の一生』| 山﨑健太:artscapeレビュー(2020年03月01日号)

2020/07/23(木・祝)(山﨑健太)

屋根裏ハイツ『とおくはちかい(reprise)』

会期:2020/07/23~2020/08/02

こまばアゴラ劇場[東京都]

屋根裏ハイツ『とおくはちかい』(作・演出:中村大地)が「reprise」と冠しての全編改訂版として再演された。『とおくはちかい』は仙台を中心に活動してきた屋根裏ハイツが首都圏で上演した最初の作品。この作品で注目を集めた屋根裏ハイツがその評価を確かなものにした『ここは出口ではない』とともにカンパニーの代表作と呼ぶべき作品で、今回はその『ここは出口ではない』と合わせての再演・二都市ツアーとなる。

二幕構成の本作が描き出すのは「大きな地震から半年後と10年後」。一幕では仮設住宅に住む男・ショウくん(渡邉悠生)を友人のハマヤ(三浦碧至)が訪れ、二幕では同じくショウくんが住む復興住宅をハマヤが訪れなんということのない会話を交わす。初演時には地震ではなく大きな火事という設定だったらしいが、今回の再演にあたって、初演版の執筆時から念頭にあったという地震の話へと書き換えての上演となった。

[撮影:本藤太郎]

地震があっても同じ土地に住み続け、仕事も変えていないショウくんに対し、ハマヤは地震以前に地元を離れており、二人の会話は久しぶりに地元に戻ったハマヤとショウくんとのあいだの近況報告が中心となる。それらを通して浮かび上がるのは特別な出来事ではなく、互いのなかに蓄積された記憶のあり方そのものだ。

作品のほとんど終わりに至ってショウくんは「揺れて、家がなくなって、避難して、(仮設に)引っ越しして、(ここに)引越ししてっていうのはもうずっとある」「忘れる忘れないとかじゃなくて、ある」と自らの記憶のあり方を言語化しようとする。そこに至るまでに配された何気ないエピソードが呼応し合い記憶の複雑なあり様を浮かび上がらせる中村の筆致は巧みだ。

例えば、一幕に登場する箸と二幕に登場する鍋つかみの対比。仮設住宅への入居とともに支給されたはずの箸は1カ月も経たずに行方不明になってしまうが、高校のときにプレゼントでもらった、しかし思い入れがあるわけではない鍋つかみは震災でも失われず、仮設住宅を経て引っ越した復興住宅で発見される。あるいは駅前の銅像。地震以前に地元を離れたハマヤは失われたそれを震災によるものだと勘違いするが、ショウくんによればそれは地震以前に撤去されていたらしい。

「地元」に関するハマヤの記憶は断続的だが、そもそも人生自体が連続性があるようでなく、ないようであるものだ。ハマヤは自身が料理を始めたのは昔の友人がすえた臭いをまとっていたからだと説明する。その臭いが禁煙を決意させ、それが料理を始めたことにつながっているのだと。しかし説明を始めてみれば本人にもそのつながりははっきりとしない。だが、それでもそれらはどこかでつながっている。つながりははっきりせずとも人生は、時間は流れていく。

過ごした場所と時間の異なる二人の会話からは、それぞれに別様に流れ蓄積してきた時間と記憶が浮かび上がる。地震から半年後と10年後という区切りこそ示されているものの、地震とは関係なく時は流れている。大きなイオンモールができるという巨大な空き地にはかつてスーパー銭湯が建っていたというが、それは震災によって失われたわけではなく、震災後に建てられそして潰れたらしい。ある大きな出来事を振り返るとき、振り返るそのときまでに流れた時間もまた確かにそこにあるのだということを忘れることはできない。

[撮影:本藤太郎]

コロナ禍の最中の上演となった今回、二幕に登場するハマヤはマスク姿で現われた。物語的には大きな意味を持つとは思えないそれは、東日本大震災から10年が経とうとする現在を二幕の現在に重ね合わせるためのちょっとした小道具のように思えた。だが、このレビューを書くために読んだ上演台本には次のような文言が記されていた。「未知の疫病が世界を取り巻いている。(略)地域により再建のありようはさまざまで、いまようやく新しい街の着工にとりかかるようなところもあれば、ようやく人が住めるようになったところもある。行政の判断によって、もう人が住むことができなくなった土地もある」。影響の範囲ということで言えば、地震よりもよほど広い範囲で深刻な疫病の被害があったらしきことがこの記述からは窺える。しかし、上演からこの設定を読み取ることは不可能だろう。観客に彼らの事情を知ることはできない。そしてそれはいつもそうなのだ。自らのものでない記憶を私たちは十全に知ることはできない。それでもそこに、寄り添おうとすることはできる。互いの話を聞くというだけのシンプルな作劇の本作には、そのような倫理的な厳しさと温かさが滲んでいる。

9月18日からは『ここは出口ではない』とともに本作の仙台公演が予定されている。また、映像作家の小森はるかが映像編集を担当した東京公演の映像が有料配信されている。『ここは出口ではない』の映像(映像編集:宮﨑玲奈)とともにチェックされたい。


公式サイト:https://yaneuraheights.net/
中村大地インタビュー(passket):https://magazine.passket.net/interview/2020/07/22/yaneura-heights-interview/

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屋根裏ハイツ『ここは出口ではない』| 山﨑健太:artscapeレビュー(2020年09月01日号)
屋根裏ハイツ B2F 演劇公演『寝床』| 山﨑健太:artscapeレビュー(2019年11月01日号)

2020/07/25(土)(山﨑健太)

日産アートアワード2020

会期:2020/08/01~2020/09/22

ニッサン パビリオン[神奈川県]

2013年より隔年で行なわれてきた「日産アートアワード」のファイナリストによる新作展。4回めの今回は1年遅れての開催となった。これまでの3回はBankARTが使ってきた日本郵船の海岸通倉庫を会場にしていたが、建物自体が再開発で消滅したため、場所探しに手間どったのかもしれない。今回の会場は、みなとみらいの一画に仮設されたニッサンパビリオン。もともと自動車のショールームとして建てられたらしく、展示は片隅の目立たない場所で行なわれた。

今年のファイナリストは風間サチコ、三原聡一郎、土屋信子、和田永、潘逸舟の5人。1回め8人、2回め7人、3回め5人と徐々に減っているが、日産の業績と関係あるんだろうか。風間は東京オリンピックに合わせて制作した超巨大作品《ディスリンピック2680》をはじめ、風刺を効かせた木版画を出品。三原は床と天井に設置した装置により水の三様態を可視化し、土屋はFRP、ビニールチューブ、金属板などを組み合わせたインスタレーションを見せている。和田は世界の人たちに中古の家電で楽器をつくってもらうプロジェクトを紹介し、潘は床に銀のシートに包まれた大きな消波ブロックを置き、整備員姿の本人が海の波を制止しようとする映像を流している。

いや、みんな悪くはないんだけど、昨年わざわざヴェネツィアで国際審査員が選出したファイナリストがこれかよ……との思いがなくもない。なんか華がないというか、色気がないというか。実際、作品に色味がほとんどないし、見ているうちに暗くなってくる作品が多い。ほかにもっと華々しいアーティストはいなかったんだろうか。強いて華があるといえば、土屋のインスタレーションと風間の木版画くらい。特に風間はモノクロームだけど、うわべだけの華やかさを批判するストレートな絵柄が実に華やか。《ディスリンピック2680》もいいが、原発批判の《PAVILION―白い巨象(もんじゅ)館》と、クルマ社会批判の《PAVILION―地球のおなら館》が秀逸だ。よくニッサンパビリオンで展示させてくれたもんだと感心する。

2020/07/28(火)(村田真)

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