artscapeレビュー
2020年09月01日号のレビュー/プレビュー
有元伸也「Tokyo Debugger 2019」
会期:2020/07/21~2020/08/02
「Tokyo Debugger」というタイトルは、かなりインパクトがある。Debugger(デバッガ)というのは、コンピュータのバグ(虫=エラー)を取り除く作業を支援するプログラムのことだが、有元の今回の展示には本物の「虫」たちが登場してくる。有元は主に東京郊外の高尾山や奥多摩地域で、マクロレンズをつけた6×6判レンズを使って昆虫、菌類などを撮影した。その精度の高いモノクローム・プリントを見ていると、彼の本気度が伝わってくる。
有元のこれまでのメイン・テーマは、『TOKYO CIRCULATION』(Zen Foto Gallery、2016)や『TIBET』(同、2019)のような、新宿・歌舞伎町界隈やチベットなどで出会った人物たちを、腰を据えて撮影したポートレートである。では、それらと今回の「虫」の写真に、まったくかかわりがないのかといえばそうではないだろう。人間たちも距離を置いて俯瞰してみれば、「虫」たちと同様に、宇宙や自然の営みのごく小さな歯車にすぎない。むしろ、有元が高尾山などでよく出会ったという昆虫採集に夢中になっている少年のほうが、そのあたりの機微はよく承知しているのではないだろうか。いわば、マクロとミクロとを往還する視点を持つことによって、有元が人間世界に向ける眼差しにも、より深みが加わってきているのではないかと思う。
なお、有元は「Tokyo Debugger」シリーズを、すでに2015年9月に銀座ニコンサロンで発表している。そのときと今回の写真をあわせて、10月にはZen Foto Galleryから同名の写真集が刊行される予定である。そちらも楽しみにしたい。
関連レビュー
有元伸也「TIBET」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2019年04月15日号)
有元伸也「ariphoto vol.32」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年10月01日号)
有元伸也「TOKYO CIRCULATION」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年08月15日号)
有元伸也「チベット草原 東京路上」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年04月15日号)
2020/08/01(土)(飯沢耕太郎)
木邑旭宗「DRIFTERS」
会期:2020/07/25~2020/08/09
コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]
海辺に打ち上げられた漂流物は、写真の被写体としては珍しいものではない。ビーチを歩いていると、プラスチックや発泡スチロールや各種のネットなどの廃棄物がどうしても目についてくるからだ。多くの場合、それらは自然と対比され、現代文明の象徴といったネガティブな意味合いを帯びて描かれることが多い。だが、木邑旭宗(きむら・かつひこ)が、2016〜20年に千葉県・九十九里浜、静岡県・下田、長崎県・壱岐などで撮影し、今回、コミュニケーションギャラリーふげん社で展示した「DRIFTERS」には、環境問題を告発するような視点は感じられない。漂流物たちは、穏やかで広々とした海辺の空間で、気持ちよく自足しているように見えてくる。
木邑は元々、ニューヨークでデザイナーとして仕事をしていた頃から、コニーアイランドやロングビーチの海岸に足を運ぶことに、心の安らぎを覚えていたのだという。今回のシリーズもその延長上にあることは明らかで、結果として、ありそうであまりない海辺の光景の写真シリーズになった。木邑は展覧会のリーフレットに、「私は、海が織りなす自然と人工物のハーモニーを発見すると小さな喜びを感じます」と書いているが、まさにそういう写真だと思う。その「自然と人工物のハーモニー」を、観客もまた木邑とともに味わうことができる。写真展には漂流物以外の作品も何点か出品されていたが、それらの波や海鳥の写真にも、彼の「小さな喜び」が息づいていた。
2020/08/02(日)(飯沢耕太郎)
画廊からの発言 新世代への視点2020
会期:2020/07/27~2020/08/08
ギャラリー58+コバヤシ画廊+ギャラリーQ+ギャラリイK+ギャルリー東京ユマニテ+ギャラリーなつか+GALERIE SOL+藍画廊[東京都]
1993年の初回は10画廊が参加し、タイトルも「10画廊からの発言」となっていたが、第10回から11-12軒に増え、第17回で最大の13軒を記録。しかし21回めを迎える今年は8軒に減った。そのうち、初回から参加しているのは4軒のみ。寂しいけど、栄枯盛衰は世の習い。なにより猛暑の真夏に行なわれるから、見るほうとしては少ないほうが身体のためにはいい。
今年は絵画が版画も含めて6人もいた。初期のころは笠原恵実子や高柳恵理や藤浩志ら立体やインスタレーションが多かったので、隔世の感がある。しかも今回、6人中3人が下地を塗って和紙を貼ってその上に描いたり、描いた上に和紙を貼るといった重層的な画面づくりをしている。川名晴郎(ギャラリーなつか)、黒宮菜菜(コバヤシ画廊)、小野木亜美(ギャラリー58)だ。レイヤーとしての効果を得るために和紙を用いたのだろうが、そのため色彩がくすんで日本画のように見える(川名は日本画出身だが、黒宮と小野木は洋画出身)。こういうのがいまどきの流行なのか。
だから逆に、カサハラメイ(ギャルリー東京ユマニテ)のストレートな抽象画が新鮮に映った。その作品は、すべて正方形の画面にどこからか抽出した直線や曲線を引き、3色でフラットに塗り分けるというストイックな方法で制作される。なんか昔どこかで見たことがあるような。その意味で新鮮に映ったというより、懐かしさを覚えたといったほうがいいかもしれない。たとえは悪いが、周回遅れのランナーが一瞬トップに立ったみたいな。
あと2点、今年特筆すべきは、男性作家が2人しかいないことと、外国人が2人もいたこと。同じ2人だが、もちろん前者は少ない、後者は多いという意味で。この傾向はますます拍車がかかり、いずれ外国人の女性作家ばかりになる可能性もある。それはそれで楽しみだ。外国人は、香港出身の雷康寧(ルイ・ホンネイ/ギャラリイK)と、韓国出身の金昭希(キム・ソヒ/ギャラリーQ)。雷は、鳥やヘビや人間などさまざまな生物が混ざり合った妖怪みたいな異形の彫刻を丁寧につくっている。金は、段ボール箱に台所、バスルーム、寝室など日常の場面を収めるように絵に描くほか、マスクをテーマにした版画も出品。2人とも日本の美大で学んだせいか、発想や技巧は日本人とほとんど変わらない。もはや性差や国別で作品は判断できないし、する必要もない。
公式サイト:http://www.galleryq.info/news/news_newgeneration2020.html
2020/08/05(水)(村田真)
あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17
会期:2020/07/28~2020/09/22
東京都写真美術館2階展示室[東京都]
東京都写真美術館で毎年開催されている「日本の新進作家」は、今回で17回目を迎えた。いつも楽しみにしている企画だが、今年は特に感慨深い。いうまでもなく、コロナ禍で開催が危ぶまれていたからだ。出品作家たちも、この状況下で展覧会を開催するということを意識しつつ、作品を選定、構成したことが充分に伝わってきた。
出品作家は岩根愛、赤鹿麻耶、菱田雄介、原久路&林ナツミ、鈴木麻弓の4人+1組である。東日本大震災で被災した宮城県女川町の実家の写真館から流出し、拾い集められた写真群、遺された実父のレンズで撮影した街の風景などで構成された鈴木麻弓の展示は初めて見たが、あとはこれまでずっとフォローしてきた写真家たちだ。とても嬉しかったのは、彼らがそれぞれ新たな方向に向かう意思を明確に表明した作品を出品していたことだった。
岩根愛は、2020年の春に郡山、一ノ関、北上、遠野、八戸など、東北各地で撮影した桜と祭礼の写真を「あたらしい川」というタイトルで展示している。赤鹿麻耶は、実在するという「氷の国」についての写真、スケッチ、メモ、言葉、音などを混在させて、時空を越えた物語を構築した。菱田雄介は静止画像と動画の中間形というべき「30sec」シリーズを含めて、「border」をテーマに撮影してきた写真群をまとめ直した。新聞記事、TV画面、街のスナップなどを1枚のパネルにおさめた「Corona」からは、「いま」を表現したいという意欲が伝わってきた。原久路&林ナツミは、現在住んでいる大分県別府で、子供から大人へと変貌していく少女たちを撮影した「世界を見つめる」を出品した。
鈴木麻弓も含めて、ポジティブな世界観を表出している作品が多い。それもおそらく、怖れや不安が世界中を覆っているこの時期だからこそではないだろうか。岩根愛は、展示にあわせて写真集『A NEW RIVER』(bookshop M)を刊行したが、ほかの出品者たちの力作もぜひ写真集にまとめてほしい。
関連レビュー
至近距離の宇宙 日本の新進作家 vol.16|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2020年02月01日号)
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無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol. 14|村田真:artscapeレビュー(2018年02月01日号)
無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol. 14|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年01月15日号)
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総合開館20周年記念 東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年12月15日号)
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日本の新進作家 vol.12 路上から世界を変えていく|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2014年01月15日号)
この世界とわたしのどこか 日本の新進作家 vol.11|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2013年01月15日号)
2020/08/06(木)(飯沢耕太郎)
内藤コレクション展II「中世からルネサンスの写本 祈りと絵」
会期:2020/06/18~2020/08/23
国立西洋美術館 版画素描展示室[東京都]
写本コレクターの内藤裕史氏が集め、美術館に寄贈した写本リーフの一部を公開。『コレクションへの道のり』というパンフレットによると、内藤氏は40年ほど前、パリの古本屋で1枚ずつバラ売りされていた写本の美しさに惹かれてコレクションを始めたという。1冊の完本ではなく1枚ずつ購入したのは、そのほうがはるかに安いというだけでなく、本のかたちでは1枚1枚見ることができないからだ。つまり内藤氏は写本を美術作品として鑑賞の対象にしたかったのだ。
中世からルネサンス初期にかけて絵画の主流はフレスコ画、つまり「不動産美術」であった。もちろん彩飾写本のような「動産美術」もあったが、印刷本と違って数が少ないうえ、サイズも小さく、修道院や王侯貴族の邸宅に秘匿されて限られた人しか触れることができず、しかも閉(綴)じられ、鍵をかけられていることもあるため、見ることすらかなわなかった。さらに彩飾を施した作者も匿名だし、所蔵先も美術館より図書館や博物館のほうが多いので、美術の主流にはなりえなかったのだ。とりわけ実物を見る機会がほとんどなかった日本では、彩飾写本は美術史から省かれてしまっている。でも実際に見てみれば、なにより色彩の美しさに惹かれる人も多いはず。
1枚(リーフ)ごとに額装された写本は思った以上に小さく、絵も文字も限界に近いまで細密に書かれている。その大半は、日々決められた時間に朗読する祈祷文などが書かれた「時禱書」と呼ばれるもので、それまでの修道院で書かれ、修道士しか読むことのできなかった宗教書と違って、家庭用または個人用の小型本だった。なかでも有名なのは『ベリー公のいとも豪華なる時禱書』だが、あれほど豪華ではないものの、注文主は王侯貴族や裕福な市民だったため、彼らの趣味を反映して華麗な装飾が施されているものが多い。アルファベットも細かいながら、1字1字がピンと立っている。これは惹かれるのがわかるなあ。
2020/08/07(金)(村田真)