2021年06月15日号
次回7月1日更新予定

artscapeレビュー

2021年06月01日号のレビュー/プレビュー

平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ) 1989–2019

会期:2021/01/23~2021/04/11

京都市京セラ美術館[京都府]

「昭和の残務処理」ともいわれた「平成」の展覧会が、昭和天皇の即位を記念して建てられ、平成の終わった翌年に名前も装いも新たに再出発した京都市京セラ美術館で開かれている。東京から見に行くのは大変だが、会場としては悪くない。企画・監修は椹木野衣氏。まさに平成のアートシーンを丸ごとリードしてきた美術批評家だ。

しかし「平成」の美術展なのに、村上隆も奈良美智もいない(GEISAIは出てるが)。小沢剛も会田誠もヤノベケンジもいないし、横尾忠則も大竹伸朗もいない(男ばっかりだな)。出ているのは、コンプレッソ・プラスティコ、テクノクラート、Chim↑Pom、東北画は可能か?、パープルーム、クシノテラスなど15組。個人ではなく集合体で選んでいるのだ。なぜ集合体かというと、平成という時代を象徴する泡沫(うたかた)と瓦礫(デブリ)のように、アーティストたちの離合集散に着目したからだ。それにしてはダムタイプも昭和40年会もチームラボも入っていない。いい出せばキリがないが、ま、そんな展覧会だと納得するしかない。これは平成の美術展ではなく、椹木氏いうところの「平成美術」の展覧会なのだから。

展覧会自体はにぎやかで楽しく、また大いに示唆に富むものだった。東山キューブと呼ばれる新しい会場に入ると、左側の黒い巨大な仮設壁に平成の年表が書かれ(平成の壁)、右手の壁には村上隆がチアマンを務めた「GEISAI」がスライドで紹介されている。奥にはコンプレッソ・プラスティコのインスタレーションが置かれ、その横のブースではディヴィナ・コメディアの記録映像が流れている。ここらへんはモチーフや映像に時代が感じられ、懐かしい。さらに奥に進むと視界が開け、テクノクラートの記録映像を流すモニターの山越しに、階段を設けて資料を展示する「突然、目の前がひらけて」、梅津庸一の絵画を中心とするパープルームのインスタレーションなどが見渡せる。なんだか祝祭的な雰囲気だ。それを囲むように、アイディアル・コピー、國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト、クシノテラス、人工知能美学芸術研究会、東北画は可能か?、contact Gonzo 、Chim↑Pomなどが位置し、出口への通路では、DOMMUNEが製作した出品作家のインタビュー動画を流している(カオス*ラウンジは内部トラブルのため、ペーパーの資料展示のみ)。

歴史を検証する展覧会で、しかも解散したところもある集合体のプロジェクトのため、記録映像や資料が多く、作品そのものから得られるインパクトは弱い。特にChim↑Pomの《ビルバーガー》などは、新宿で見たときとは対照的に、借りてきた猫のように所在なげだ。逆に異彩を放っていたのは、クシノテラスのガタロやストレンジナイトの作品、東北画は可能か? の大型絵画くらい。やはり見応えのある作品を求めるなら個人のアーティストに期待するしかないだろう。第2、第3の平成の美術展も見てみたい。

2021/04/09(金)(村田真)

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大西みつぐ「地形録東京・崖」

会期:2021/04/01~2021/04/25

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

以前、中沢新一の『アースダイバー』(講談社、2005年)を読んだ後に東京の街を歩いていて、ものの見方が変わったと感じたことがあった。『アーズダイバー』には、縄文時代の東京はほとんどが海だったという記述がある。高台は岬があった場所で、そこには神が祀られ、いまはそれが寺社になっている。坂を上り下りしていると、海から地上に出たり、逆に地上から海の底に降りていったりする気分がするのだ。

大西みつぐが、新たにスタートした「地形録東京」で試みようとしているのも、『アースダイバー』と同様に、東京を地形/地勢から読み解くことである。今回は京浜東北線に沿った上野→赤羽、そして大森→大井町→品川という二つの線上にある「崖」にカメラを向けている。そういう目であらためて見直すと、普段何気なく見ていた風景の意味が変わってくるように感じる。同時に、山の手と下町という生活・文化の環境の違いが、地形/地勢によって大きく影響されていることも浮かび上がってくる。

あたかも「測量士」のような作業の集積だが、大西は「特にコンセプチュアルな写真として組み立てるつもりはありません」と展覧会に寄せたコメントに記している。たしかにあまり方法論を固めすぎると、彼がこれまで続けてきた気ままなスナップ写真のあり方からは逸脱してしまう。むしろ、その日の風まかせで移動しながら、「身体的経験を通して」被写体を探すようなやり方の方が、より実り豊かなものになるのではないだろうか。まだ始まったばかりだが、この「地形録東京」には、次に何が出てくるかが予測できない大きな可能性を感じる。

2021/04/10(土)(飯沢耕太郎)

菱田雄介『2011年123月 3・11 瓦礫の中の闘い』

発行所:彩流社

発行日:2021/03/15

「3・11」から10年ということで、その関連出版物が何冊も出ている。本書は、そのなかでも特に、コンセプト、内容ともにしっかりと組み上げられている。

菱田雄介はテレビ局の報道番組のディレクターを務めながら、東日本大震災の直後から被災地の取材・撮影を続けてきた。本業の報道番組を制作するためだけでなく、個人的にも休暇を取って撮影していた。特に宮城県石巻市門脇地区で、行方不明になった近親者を捜す「瓦礫の中の闘い」を続けていた何組かの家族は、その後も何度も現地を訪ねて取材を重ねていった。一回限りで終わらせるのではなく、むしろ事後の状況を粘り強くフォローしていくことは、現代のフォト・ジャーナリズムにおいて最も大事なことのひとつだが、その地道な作業の積み重ねが、本書に厚みと奥行きをもたらしている。

もうひとつ重要なのは、写真図版のページとテキストのページが、ほぼ半々という構成になっていることだ。写真はたしかに強いインパクトを与えるが、そのバックグラウンドを知らないと、表層的な視覚情報を消化しただけで終わってしまう。かといって文章だけでは、その場所で何が起こっていたのかというリアルな臨場感が伝わりにくい。写真とテキストとのバランスをどう取り、どの位置に、どれだけの量の写真と言葉を配置するのかというのは大きな問題だが、本書ではそれがとてもうまくいっていた。読者はまず、日付と場所のみを記した写真と対面し、そのあとでその背景を詳しく記した文章を読むことで、あらためてそれぞれの場面の意味を理解することができるようになる。

タイトルにも使われた、2011年12月が過ぎた後も、そのまま月を加算していく(2021年3月は「2011年123月」)という発想も、震災の記憶の風化をなんとか食い止めようという菱田の思いの表われといえるだろう。細部までよく練り上げられた一冊である。

2021/04/10(土)(飯沢耕太郎)

岸幸太『傷、見た目』

発行所:写真公園林

発行日:2021/03/01

2004年にphotographers’ galleryのメンバーに加わった岸幸太は、2006-2009年に大阪・釜ヶ崎、東京・山谷、横浜・寿町などの路上で日雇い労働者たちをスナップ撮影した「傷、見た目」と題する写真シリーズを、同ギャラリーと、隣接するKULA PHOTO GALLERYで連続的に発表した。それらは、1950-1960年代に井上青龍が釜ヶ崎を撮影して以来の伝統的なテーマを受け継ぐものといえる。だが、岸はあえて労働者たちとコミュニケーションをとることなく、ノーファインダーでシャッターを切り続け、客観的、即物的なドキュメントに徹している。とはいえ、岸の写真には彼らの所有物を暴力的に奪いとるような視線のあり方はあまり感じられない。路上に打ち棄てられたモノたちをクローズアップで撮影した写真群も含めて、「傷、見た目」は、下積みの人たちにのしかかる社会的なプレッシャーがじわじわと滲み出てくる、希有な味わいのドキュメントとなった。

岸はその後、新聞紙に写真を印刷した「The Book with Smells」(KULA PHOTO GALLERY、2011)、廃材、床材、プラスチック製品などに直接プリントを貼り付けた「Barracks」(photographers’ gallery/KULA PHOTO GALLERY、2012)など、写真を素材としたインスタレーション的な展示も模索していった。物質性の強い被写体をさらに強烈な物質性を備えた支持体と強引に接続するというそれらの興味深い試みを経て、2020年12月と2021年2月〜3月、会期を2回に分けて、ひさしぶりにphotographers’ galleryで個展「傷、見た目」を開催した。ふたたびストレートなスナップ/ドキュメンタリー写真に回帰した同展に合わせて刊行されたのが、15年余りの成果をまとめた本書である。大判ハードカバーの写真集に収録された204点の黒白写真には、ここにある眺めを、このような形で残しておきたいという強い意志が刻みつけられている。

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2021/04/11(日)(飯沢耕太郎)

国宝 鳥獣戯画のすべて

会期:2021/04/13~2021/05/30

東京国立博物館 平成館[東京都]

また鳥獣戯画? つい最近やったような気がするなあ、と思って調べたら、6年前に東博で「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」をやってました。6年前をつい最近と感じるのはそれだけ年取ったせいかもしれないけど、それを差し引いても展覧会のサイクルが速まっていないか。ありがたみが薄まるから、鳥獣戯画みたいな国宝のご開帳は10年に一度くらいがいい。しかし何年に一度でも、ただご開帳するだけでは代わり映えしないから、毎回「初の」企画を用意しなければならない。今回の「史上初」の試みは「全4巻・全場面」の一挙公開だ。6年前も甲、乙、丙、丁からなる全4巻を展示したが、会期を前後に分け、前期を各巻の前半、後期を後半部分の公開としたため、一度にすべてを見ることができなかった。まあそれだけ大切に扱われてきたというか、もったいぶって見せなかったのか。

もうひとつ、今回の特筆すべき試みとして、史上初ではないだろうけど、一番人気の甲巻の前に「動く歩道」をつけたことも挙げなければならない。こいつぁー年寄りにはありがたい、って話じゃなくて、展覧会に動く歩道ってのはないでしょ? もちろん高齢者や身障者への配慮もあるだろうけど、端的にいえばコロナ対策で、渋滞せずに先に進んでもらうための方策にほかならない。要するにベルトコンベアに乗せて運べば効率的ってわけだ。ぼくも乗ってみたけど、思ったよりゆっくりなので一瞬「これはいいかも」と思いかけたが、やはり同じ速度で絵が通り過ぎていくのをただ眺めているだけというのは抵抗があるし、だんだん腹が立ってきた。

よくいわれるように、絵巻はアニメの源流のひとつであり、時間軸に沿って物語の展開を追っていく形式だから、動く歩道も実験的な試みとしてはおもしろいと思うが、展覧会でそれをやっちゃあおしまいよ。密かに恐れるのは、この「動く歩道」がコロナをきっかけに次々と導入され、日時指定の予約制みたいに定着してしまわないかということだ。もちろん設置にテマもカネもかかるのでよほどの大型美術展でなければ導入できないだろうけど、逆に10年後、大型展では最初から最後まで動く歩道に乗ってみるのが当たり前の風景になっていやしないか、心配だ。ぼくの考える美術鑑賞の利点は、映画、演劇、音楽に比べて時間に縛られずに自由に見られること。いつ行っても、何時間でも鑑賞できること。それを縛るような日時指定制や動く歩道には強く反対したい。

と、動く歩道に紙幅を費やしたが、展覧会は会期前半に緊急事態宣言により閉じてしまった。公開されたのは内覧会も含めてわずか10日あまり。ゴールデンウィークの人出を見込んでいたのに、その前に休館を余儀なくされるとは! 会期は6月20日まで延長を予定しているものの、緊急事態宣言も6月以降の延長が検討されているというから、再開はビミョー。ようやく全巻・全場面の一挙公開が実現し、動く歩道まで設置したというのに……関係者の心中はいかほどか。

2021/04/12(月)(村田真)

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