artscapeレビュー

2022年04月01日号のレビュー/プレビュー

山崎弘義「Around LAKE TOWN 10 -There is no place like HOME-」

会期:2022/03/03(木)~2022/03/13(日)

ギャラリーヨクト[東京都]

山崎弘義が埼玉県越谷市のレイクタウン地区を撮影し続けている「Around LAKE TOWN 」シリーズも、既に10回の展示を重ねた。2008年に街開きをしたというこのニュータウンは、大相模調節池に面して、巨大商業モールやマンションなどが連なる「ヤングファミリー層」の街である。伝統の重みを欠き、やや表層的ではあるが、浮き草にも似た軽やかさを持つこの街と住人の姿を、山崎は2014年以来8年にわたって追い続けてきた。その成果は厚みのあるドキュメンタリー写真の集積として形をとりつつある。

今回の展示作品に特徴的なのは、建物や、街路や公園でたまたま出会った人たちにカメラを向けたスナップ写真的なアプローチに加えて、レイクタウン地区に住む家族を、彼らの家の中で撮影した写真が出てきていることだ。いわば、外向きと内向きとの両方の視点がそろってきたことで、街と人の変貌を立体的に捉えることが可能になった。

このシリーズはむろんまだ完結したわけではなく、これから先も続いていくようだ。だが10回の展示を経て、そろそろひとつの区切りとなる時期に来ているのではないかとも思った。写真集としてまとめるのが一番いいのだが、昨今の出版事情では自費出版以外はなかなかむずかしいかもしれない。埼玉県や越谷市などの行政支援は受けられないのだろうか。田んぼの真ん中に忽然とひとつの街が出現し、少しずつ姿を変えていく──そのプロセスを長期にわたって多面的に撮影・記録した、貴重なドキュメントであることは間違いない。ぜひ、写真集として刊行してほしい。

関連記事

山崎弘義写真展「Around LAKE TOWN 7 -social distance-」 |飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2020年09月01日号)

2022/03/09(水)(飯沢耕太郎)

からだのかたち〈3〉──東大医学解剖学掛図

会期:2021/12/15~2022/03/27

JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク[MODULE][東京都]

ぼくの学生時代、大学の講義といえばスライド写真がよく使われていた。暗い教室でプロジェクターがカシャカシャ鳴る音は、学生にとっては快い子守唄だった(笑)。その後、本や資料の画像を直接スクリーンに投影できるOHP(オーバーヘッドプロジェクター)が普及し、パソコンを使ったパワーポイントが主流になり、いまや自宅で音声も画像も得られるオンライン授業が定着しようとしている。では、スライドの前はなにが使われていたのだろう。昔は画像やグラフを生徒たちにどうやって示していたのか? その答えのひとつが「掛図」というもの。掛軸のようにふだんは丸めておき、使用するとき壁に掛けて広げるやつ。そういえば小学校のころ、先生が使ってたなあ。

同展では、明治初期から東京大学医学部で使われてきた人体解剖の掛図が20点ほど公開されている。いずれも人体の各部位がほぼ墨一色で描かれており、わずかに動脈と静脈を赤と青に塗り分けた図もある。これらは大学が雇った職業画工の手になるもので、ときに近くの東京美術学校の画学生が駆り出されることもあったという。とはいえ、レオナルド・ダ・ヴィンチのように実際に人体の内部を見て描いたのではなく、西洋の図譜類から転写していたらしい。教壇に掲げて多数の学生に見せるため、写実性や細密性は必要なく、余計なものは省略してわかりやすく描いてある。リアリズムではなく、本来の意味でのイラストレーション(明確にすること=図解)なのだ。

何度も開いたり巻いたりしたのだろう、表面にシワが寄ったり折り目ができたりして、使い込まれていることがわかる。いくら優秀な画工や画学生に描いてもらったとしても、主観的な表現は許されず、サインもない。美術品ではなく、あくまで実用品であり、もっといえば消耗品だったのだ。そんなものをよく残しておいてくれたと感心する。ふと思うのは、日本には掛軸の伝統があるから違和感はないけど、外国でも掛図は使われていたんだろうか。

2022/03/10(木)(村田真)

生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展

会期:2022/03/19~2022/06/19

東京都現代美術館[東京都]

子どものころ、ご多分にもれず怪獣映画が好きだった。初めて見たのは『モスラ』(1961)。まだ現実と虚構の区別がつかない年ごろだったので、モスラにへし折られたはずの東京タワーが建っているのを見て、「いつ建て直したんだろう」と不思議に思ったのを覚えている。それほどうまくミニチュアがつくられていたということだ。その後『キングコング対ゴジラ』(1962)、『マタンゴ』(1963)(これは怪獣映画とは少し違うが、死ぬほど怖かった)、『モスラ対ゴジラ』(1964)、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964)など次々に見た。だからテレビで『ウルトラQ』(1966)が始まると狂喜したもんだ(が、4人家族のチャンネル争いは熾烈で、2週に1回しか見せてもらえなかった)。

しかしその後、「ウルトラマン」(1966-)のシリーズになってから次第に興味が失せ、『ウルトラセブン』(1967)のころにはまったく見なくなってしまった。少し大人になったからでもあるが、どうもそれだけではない。実はそのとき、ひとつ気づいたことがある。ぼくは怪獣そのものが好きだったのではなく、またドラマに熱中していたわけでもなく、怪獣が建物を破壊するシーンが見たかったのだと。極端な話、怪獣なんかどうでもいいし、物語なんかあってもなくてもいい。ただ怪獣が街を壊してくれればよかったのだ。だからテレビよりミニチュアがリアルにつくり込まれている映画のほうに惹かれたし、建物のない山野でウルトラマンと怪獣が戦うシーンを見せられた日には心底がっかりしたもんだ。これはおそらく、自分が巨大化して世界をメチャクチャにしてみたいという破壊衝動の擬似体験だったんじゃないかと、あとになって思うようになった(ひょっとしたら小柄なプーチンも同じ願望を抱いているのかもしれない)。


長々と前置きを書いてしまったが、そうした怪獣映画で破壊されるミニチュアセットをつくっていたのが、特撮美術監督の井上泰幸だった。当時、怪獣ファンの子どもたちがそうであったように、ぼくも円谷英二の名前は知っていたけど、井上の名前など知るよしもなかった。だが、少なくともぼくにとって井上は円谷監督よりはるかに重要な存在であったことが、半世紀以上も経たいまになってようやく判明した次第。

展示は、井上が学生時代に描いた絵画や玲子夫人の彫刻などを集めた「特撮美術への道 ─芸術家であり、技術屋 1922-1953 」をプロローグに、『ゴジラ』(1954)に始まる怪獣映画や戦争映画のスケッチ、絵コンテ、記録写真、映像、マケットなど約500点を並べた「円谷英二との仕事 ─特撮の地位を上げるための献身 1953-1965」「特撮美術監督・井上泰幸 ─ミニチュアではなく、本物を作る 1966-1971」「アルファ企画から未来へ ─世の中にないものを作れ 1971-2000」、そして最後に、「空の大怪獣ラドン」で破壊される西鉄福岡駅周辺のミニチュアセットを吹き抜けのアトリウムに再現した「井上作品を体感する ─岩田屋ミニチュアセットと戦艦三笠 3D データ 2021-2022」の5部構成。若き日の宝田明も映像に出てきて感慨深い。

この展覧会、子どものころに見ていたらどれほど感激したかわからないが、ひねくれじいさんのいまとなっては、『連合艦隊司令長官 山本五十六』(1968)や『日本海大海戦』(1969)のスケッチはまるで戦争画を参照したんじゃないかとか、『首都消滅』(1987)の渦巻くような雲のデッサンはレオナルドの洪水の素描を思わせるとか、『竹取物語』(1987)の船と龍のスケッチは《華厳宗祖師絵伝》にそっくりだとか、ひとりツッコミを入れてペダンチックに楽しむしかなかった。

2022/03/18(金)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00060254 .json s 10175260

VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─

会期:2022/03/11~2022/03/30

上野の森美術館[東京都]

「昨年の『VOCA展』はコロナ騒ぎの真っ只中に開かれ、最後の数日は閉館を余儀なくされ、直後に最初の緊急事態宣言が出された。今年は2度目の緊急事態宣言の最中に始まり、会期中に解除された。10年前は震災直後に初日を迎えたものの、翌日からしばらく閉館したという。弥生は厄月か? 来年はどうなっているやら」、と書いたのは昨年のこと。今年はようやくコロナも収まり「VOCA展」も無事開催……と思ったら、直前にロシアがやらかしてくれました、ウクライナ侵攻。日本にはまだ大きな影響はないものの、第2次大戦後最大の世界的危機であることに間違いなく、穏やかな気分ではいられない。

そんな緊迫する世界情勢を尻目に、展覧会は例年のごとくバリエーションに富んだ作品が並び、それなりに楽しめた。VOCA賞は川内理香子、奨励賞は鎌田友介と近藤亜樹、佳作賞は谷澤紗和子と堀江栞、大原美術館賞は小森紀綱といった面々。いずれも力作ぞろいで納得できる受賞だが、なかでも感心したのが鎌田の《Japanese Houses(Taiwan/Brazil/Korea/U.S./Japan)》。戦前、朝鮮半島や台湾やブラジルに建てられた日本家屋の写真と、第2次大戦中アントニン・レーモンドが日本家屋を焼夷弾で破壊するため米軍に提供した指南図、韓国に存在した日本家屋の部材などを、床の間を模した支持体に組み込んでいる。本来なら綿密なリサーチに基づくプロジェクト型のプランを、「VOCA展」に合わせて厚さ20センチ以内の「半平面」にまとめ上げた技量も見事。

受賞者以外ではユアサエボシと長原勲の作品に注目した。ユアサの《夢》は、「再評価の機運がたかまるユアサヱボシ(1924-1987)による大作」という設定の絵画。ジャングルのなかで獣が操縦するロボットと、戦時中の日本の子どもが相対する場面を描いたもので、高度な武器を擁するアメリカ対おもちゃの刀で立ち向かう日本という構図だ。戦前のイラストのようなポップでアナクロな画風が異彩を放っている。長原の《地上絵》は、上空から地上を空撮した写真に基づく俯瞰図。白い雲の合間から田園や道路がのぞくような構図で、右上と左下には赤いものが浮いているのだが、ここから日の丸を連想してしまうのはぼくだけだろうか。つまり日本の戦闘機による空爆の風景を想像してしまうのだ。あるいは戦争画の見すぎかもしれない。いやそれにしても、気になる作品が3点とも戦争に関連づけられるのは、このご時世だからか。

関連レビュー

VOCA展2021 現代美術の展望—新しい平面の作家たち—|村田真:artscapeレビュー(2021年04月15日号)

2022/03/19(土)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00060260.json s 10175259

LILY NIGHT『ABSCURA』

発行所:赤々舎

発行日: 2022/02/22

リリー・ナイト(旧名はLily Shu)は1988年、中国・哈爾濱生まれ。埼玉大学、ケント大学(イギリス)、東京藝術大学大学院などで学び、2017年頃から写真作品を発表し始めた。本作『ABSCURA』は、2017年に東川町国際写真祭赤レンガ公開ポートフォリオオーディションでグランプリを受賞した、いわば彼女のデビュー作といえる仕事である。

2016年の冬と夏に、両親が来日して、東京で一人暮らす彼女の部屋を訪れ、ともに数日を過ごす──そのやや特異な体験を横軸にして、過去と現在、内と外の写真がコラージュ的にちりばめられ、Abstract(抽象)とObscura(写真機の原型であるCamera Obscura)を合わせた造語である「Abscura」として再構築されていく。筆者も赤レンガ公開ポートフォリオオーディションのレビュアーの一人だったので、その鮮やかで力強い写真構成の能力に強い印象を受けたのだが、いまあらためて見直しても、抽象性と物質性を見事に融合させた写真群には高度な表現力が発揮されている。

リリー・ナイトはその後、いくつかのコンペで入賞を重ね、個展を開催している。写真集『ABSCURA』の出版記念展として、リコーイメージングスクエア東京で、同名の展覧会も開催された(2022年2月10日〜28日)。ただそれらを見る限り、たしかに表現は精緻かつ複雑になってはいるが、本作のテンションの高さを越えていないのではないかと感じる。スケールの大きな才能であることは間違いない。次の一手でどう動いていくのかに注目したいものだ。

2022/03/19(土)(飯沢耕太郎)

2022年04月01日号の
artscapeレビュー