artscapeレビュー
2023年06月01日号のレビュー/プレビュー
前本彰子展 花留姫縁起
会期:2023/04/24~2023/05/06
コバヤシ画廊[東京都]
ここ数年、毎年のように前本彰子の1980年代の旧作が紹介されている。今回は、1986年に青山のスパイラルで開かれた「アート・イン・フロント86 世紀末芸術の最前線」に出品された作品を中心とする展示だ。
1986年というと、欧米の新表現主義の影響もあって、にぎやかなニューウェイブが最盛期を迎え、ちょっとしたアートブームが訪れた時期。美術雑誌で前本を含む「超少女」が特集されたのもこのころだ。前本はBゼミ在籍中の80年代初頭から発表を始め、この年までに早くも「今日の作家展」やシドニー・ビエンナーレへの出品を果たし、この後も西武美術館の「もの派とポストもの派の展開」展、全米を巡回する「アゲインスト・ネイチャー」展などに選ばれていく。いわば80年代アートを象徴する「ニューウェイブ」「超少女」の中核を担ったアーティストのひとりであり、彼女自身もっともノッていた時代だった(ただし「ニューウェイブ」も「超少女」も一部のマスコミが騒ぐだけで、作品はほとんど売れなかったはず)。
スパイラルの展覧会のために前本がつくったのは、赤と青に彩られた表面にラメを散りばめたドンゴロス製の巨大な自立式ドレス。だが、スパイラルガーデンの中央に華々しく設置されたこの大作は、出品作家のひとりムラカミ・ヤスヒロのインスタレーションによって無惨にも覆い隠されてしまう。ムラカミは彼女の作品の周囲に黒い角材を組み上げて、隙間からしか見えなくしてしまったのだ。この日のためにきれいに着飾ったお姫さま(のコスチューム)を、黒々とした魔手が取り囲んでしまったかたちだ。そのオープニングの晩に前本が会場で泣いていたこと(実は泣いた理由はほかにもあったらしいが)、それを写真家の安斎重男さんが慰めていたことを、37年後のこの日、前本さんと思い出して笑った。彼女もたくましくなったもんだ。
その後この作品は日の目を見ることなく倉庫に眠っていたというので、実に久しぶりの公開となる。赤と青の色彩は若干褪せたのかホコリを被ったのか、ほんの少しくすんでいるものの、ほぼオリジナルの姿を保っていた。ちなみにタイトルの《花留姫縁起》はこの作品ではなく、壁に飾ったレリーフ状の新作のほうだ。
公式サイト:http://www.gallerykobayashi.jp/exhibition/2023/
2023/04/28(金)(村田真)
第14回 光州ビエンナーレ
会期:2023/04/07~2023/07/09
光州ビエンナーレホール、ホランガシナム・アートポリゴン、無覚寺、アートスペース・ハウス、光州博物館[韓国、光州]
「soft and weak like water(天下水より柔弱なるは莫し)」をテーマに掲げた、第14回 光州ビエンナーレの主な会場をまわった。メインとなる光州ビエンナーレホールは、日本の国際展と比べると、これだけデカい空間を毎回確実に使えるのは本当に有利だと感じさせられる。また学校の団体がひっきりなしに訪れていたことが印象的だった。
展示はまず序章「遭遇」として、1階をまるごと使うブシュレベジェ・シワニの美しい映像と水のインスタレーションから始まり、各フロアごとに、抵抗と連帯、先祖の声、コロニアリズムなどのテーマが繰り広げられる。正確に数えていないが、女性、あるいはアジアやアフリカなどの非西洋圏(出身地を見て、すぐに国名がわからないところも多い)の作家が多いように思われた。逆にわかりやすい目玉となる西洋男性の有名アーティストはほとんどいない。なお、日本からは小泉明郎、アイヌのマユンキキが出品している。
続いて公園を抜け、伝統的な建築の外観をもつ《国立光州博物館》に移動した。ここでは6名が展示しており、ロビーにおけるキラ・キムの博物館批評的なインスタレーションとブックレットが興味深い。「あいち2022」で鑑賞したユキ・キハラも参加している。ところで、博物館本体の常設展示が良かった(入場無料)。什器やディスプレイのデザインも秀逸である。
カフェでタクシーを呼び、無覚寺の会場に向かう。ここでは触ることをテーマにしながら、異なるアプローチ(石仏の表面を詳細に記述する/岩肌の接写と音)を提示したホンイ・ヒョンスクの二つの映像作品が素晴らしい。寺の奥の新築部分は現代的なデザインであり、コンクリートが、えらいつるつるに仕上がっていた。
ほかの街中会場は別の日に訪れた。芸術通りを抜けて、古建築を利用した「アートスペース・ハウス」では、ナイーム・モハイエメンによる廃棄された病院を舞台にした詩的かつ哲学的な映像美の世界に感心し、フルで1時間鑑賞した。そしておしゃれなリノベーション・カフェがいっぱいある楊林歴史文化村やペンギン村を抜け、丘を登った「ホランガシナム・アートポリゴン」へ。このエリアの作品は、毛利悠子による光州の歴史、小説に着想を得た大型のインスタレーションや、ヴィヴィアン・ズーターの吊り下げられた絵画、漂流物に注目するチョン・チェチョルなどである。
光州ビエンナーレでは、国別のパビリオンも存在するが、残りの時間がなく、8名の写真家を紹介する近くのスイスパビリオンのみ立ち寄った。ツヴィ・ヘッカーのイスラエルの幾何学的な集合住宅を題材にした作品など、建築的な作品が多い。
第14回 光州ビエンナーレ:https://14gwangjubiennale.com/
関連レビュー
第14回 光州ビエンナーレ(フランスパビリオンでの展示、ジネブ・セディラ《꿈은 제목이 없다 Dreams Have No Titles》)|きりとりめでる:artscapeレビュー(2023年06月01日号)
第14回 光州ビエンナーレ(Horanggasy Artpolygonでの展示)|きりとりめでる:artscapeレビュー(2023年05月15日号)
2023/05/02(火)、03(水)(五十嵐太郎)
亻─生而為人(クァンユー・ツィ《Exercise Living : We Are Not Performing》)
会期:2023/04/22~2023/07/30
Jut Art Museum[台湾、台北]
会場に入ってすぐに、シャンシャンシャンシャンシャーンという音が遠くに聞こえた。クァンユー・ツィ(崔廣宇)の映像作品《Exercise Living : We Are Not Performing》(2017)から鳴り響いていたものだった。青年がひとり、コンビニエンスストアの窓に面したイートインスペースに入ってくるのを窓越しに外から撮影しているシーンから映像が始まる。彼は大きな手提げ袋から飛び出たロール紙を手に取る。紙を開くと、そこには幕とステージが描かれていた。それを彼がテキパキと窓ガラスに貼ると、即席の書き割り舞台が出来上がる。「奥春風」と書いてあった。
そっと鞄から取り出されたのは二つのパペット。あざやかな錦にスパンコールとファーで華やかな衣装を身にまとっている。彼はそれらを巧みに操り、銅鑼や効果音に合わせて、窓の外に向け演舞やロマンスを繰り広げはじめる。
映像には人形劇だけでなく、つねにその周囲が収められていて、カットが変わるごとに、さまざまなコンビニのイートインスペースで人形劇が展開される。劇には無関心だが隣の席で楽しそうにご飯を食べている人、外をせわしなく通り過ぎる人、ちょっと気にする人。シャンシャンシャンシャンシャーン。矛と矛がぶつかり合う効果音が簡易なスピーカーから流れている。バシバシという音のタイミングで男が叩かれる。窓越しの駐車場から様子を伺う男性。
崔廣宇だけでなく、たくさんの作家が出展している本展のタイトルの訳は「Dasein – Born to Be Human」で、Daseinは直訳すると「ここにいる」という意味だ。哲学者、マルティン・ハイデッガーがいうところの「現存在」、主体的に何かを見て、解釈し、働きかけ、問うことができる、歴史上のあるひとつの存在を指す。本作は確かにコンビニのイートインに居合わせた人々、窓から見える人たちの「現存在性」のようなものを捉えている。
この人形劇は「布袋戲(ボテヒ/プータイシー)」と呼ばれるものだ。文字通り、布でつくられた袋状の人形のことを指すもので、台湾には清代末期に福建省南部から伝播しており、現在は霹靂布袋劇として「Thunderbolt Fantasy」(台湾と日本の共作)などSFX技術を駆使した華やかな映像作品で人気を獲得している。例えば、20世紀初頭の台湾の布袋戲はパペットを操る人は見えないようになった舞台(戯台)がやぐらのように組まれており、爆竹や銅鑼で派手に演出されるもので、本作の「布袋戲」も同様に、屋外で上演するものの簡易な形式のものだといえるだろう。
しかし、20世紀台湾における布袋戲の在り方は、台湾映画『戲夢人生』(1993)で描かれているとおり、さまざまな政治状況によって変化し続けたといっても過言ではない。
日本政府統治期の1930年代には、盧溝橋事件の後に民間の戯曲活動が禁止され、布袋戲の演者たちは廃業を余儀なくされている。その後、皇民化政策のためにビン南語を禁じたうえでの布袋劇が開始されるも、それまでの華麗さと対極的な反米教育に根ざした演目が中心となった。ポツダム宣言後の台湾は、中華民国政権下で「二・二八事件」(1947)以後、長期的な民衆弾圧が起こり野外公演が禁止され、布袋戲も屋内上演へと切り替わっていったのである。その後、テレビ放映された布袋戲の人気はすさまじく、1974年にはその影響力の強さから上演が一部禁止され、テレビ番組が打ち切りとなるも、また復活するという紆余曲折を辿る……
本作でそのような歴史性がリテラルに扱われることはないが、この変遷を踏まえてみると「ひとりで屋内から窓越しに屋外に向けて行われる布袋戲」ということが、「ただ上演されている」という風には思えない。屋内に留まることは「二・二八事件」を想起させるかもしれないし、ゲリラ的な上演のさまは「もしも植民地支配が続いていたら」「もしもまた屋外での上演が禁止されるようになったら」といった可能世界について思いを巡らす契機にもなるはずだ。タイトルの「Exercise Living : We Are Not Performing」、つまり布袋戲をしているわけではなく……と留保したうえで、暮らしのためのエクササイズとして「布袋戲」が行なわれているとしたら、それはどんな状況か。
イートインで隣り合った幼い子供がただ単に「布袋戲だ!」と思ったであろう一方で、居合わせた人達の知見、世代の違いによっても見え方は違ったはずだ。本作に現われる人々の「現存在性」へと立ち返ることで、それぞれの人がただ行きずりの人ではなくなり、彼らの生きてきた歴史を「布袋戲」から照射する。
このようにキュレーションが作品の鑑賞へより多層性を付与していたがゆえに、作品が扱う歴史の幅を考えるうえで、ハイデッガーそのものと、ハイデッガーとの人的・知的交流によって成立した「京都学派」の第二次世界大戦期における政治責任をキュレーションがどう考えているのかと、作品が企画に切り返す。中国語でのタイトル「亻」は、人偏(にんべん)、つまり人々の出会いによってもたらされるあらゆる可能性を表わすシンボルであり、それを訳するにあたって、「Dasein」が当てられた。ハイデッガーの用語として、ドイツ語でありながら世界的に解釈と研究が諸言語で行なわれている言葉のひとつだろう。本展ではハイデッガーの位置づけが明確に行なわれるわけではない。しかし、「布袋戲」と「Dasein」のどちらが広くアクセス可能な対象であるかと考えたとき、ハイデッガーの便利さを感じずにはいられないし、どのような時代幅を念頭に本展をみるべきか、作品に奥行きを与えたのは間違いない。
本展は100元で観覧可能でした。関東圏では目下、隔週木曜日の「悟空茶荘」で布袋戲を見ることができます。
亻─生而為人:http://jam.jutfoundation.org.tw/en/exhibition/107/4160
2023/05/03(水)(きりとりめでる)
光州デザイン・ビエンナーレのフォリー
[韓国、光州]
光州ビエンナーレはアジアでいち早く始まった現代アートの国際展として有名だが、同市では「光州デザイン・ビエンナーレ」も開催されており、2011年の第4回からアーバン・フォリー・プロジェクトを推進していることはあまり知られていない。公式ホームページによれば、韓国の建築家、承孝相とアイ・ウェイウェイのディレクションのもと、国内外の建築家やアーティストが参加し、2020年まで、4期にわたって街中に小さなフォリーが数多くつくられている。これらはてっきりイベントに合わせた仮設構築物だと思っていたが、筆者が街の中心部を歩いてまわった15カ所については、2023年のいまもすべて現存していた。したがってこれらは、期間限定のインスタレーションではなく、耐久性をもつパブリックアート、もしくはまさに建築だと考えた方がいいだろう。ただし、トイレなどの機能はなく、基本的に実用性は求められていないようだ。日本でも越後妻有アートトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭に関連して、田園風景の中に小規模な建築がつくられているが、繁華街を含む、都市の中心部にこうしたフォリー群が出現しているのは興味深い。
さて、5・18光州民主化運動の舞台となった錦南路の周辺に集中するフォリーを見学したが、ドミニク・ペロー、アレハンドロ・ザエラポロ、ピーター・アイゼンマン、MVRDV、塚本由晴、レム・コールハースなど、有名な建築家が参加している。これらは壁、階段、屋根、ゲートなど、建築の全体というよりは、その部位をモチーフにしたものが多く、うっかり見過ごしそうなケースもあった(作品に近づくと、コンセプトを説明するプレートは設置されている)。
個人的に気に入ったのは、奥の細長いカフェとの相乗効果を生み出す、スペインの建築家ファン・ヘレロスによる小さな広場、《コミュニケーション・ハット》である。また韓国の建築家、キム・チャンジュンらの《光のパサージュ》は、商店街のビルとビルの間のわずかな隙間に挿入され、驚かされた。今回は交通アクセスが良くなかったのと、時間の都合で外したが、ロンドンのデザイン・ミュージアムの展示で見たデヴィッド・アジャイによる読書室のフォリーは、次回ぜひ訪れたい。
Gwangju Folly:https://gwangjufolly.org/
2023/05/03(水)、04(木)(五十嵐太郎)
没後40年 朝井閑右衛門展
会期:2023/04/22~2023/06/18
横須賀美術館[神奈川県]
朝井閑右衛門(1901-83)というと、名前の響きからも、ちょっと時代遅れの昭和の洋画家のひとりくらいにしか思っていなかった。しかし近年になって、日中戦争において最初の戦争画を描いたり、戦後アトリエ近くの電線をモチーフにしていたことを知り、これはひょっとして電波系の画家かもしれないと思い始めた矢先の回顧展。これは少し遠いけど見に行かねば。
朝井は戦前、ピカソやシュルレアリスムの影響からか、1936年に幻想的な作風の《丘の上》が文展で受賞し、注目を浴びる。翌年日中戦争が始まり、通州事件に取材した《通州の救援》(1937)が第1回新文展に入選。これが日本の戦争記録画の最初の作例とされるが、作品は現存せず。以後、戦争記録画の制作に携わり、何度も中国とのあいだを往復する。今回の出品作品には明白な戦争記録画は見当たらないが、海岸風景を描いた《大王崎》(1944)はよく見ると沖に何隻か戦艦が停泊しているのがわかる。一方《豊収(誉ノ家族)》(1944)は、荒野を背景にした母子像だが、「誉ノ家族」は夫を戦争で亡くした母子家庭のことなので、どちらも広い意味で戦争画の一種といえるだろう。
また、3年前に練馬区立美術館で開かれたユニークな「電線絵画展」では、朝井の電線絵画が水彩を含めて6点も出ているうえ、彼自身「ミスター電線風景」と称されていたので、戦後は電線風景ばかり描いていた画家かと思ったらそんなわけがなく、今回は3点しか出ていなかった。それにしてもなんと力強い電線だろう。朝井には電線を走る電磁波エネルギーが見えていたのかもしれない。結局、電線絵画は1950年代に取り組んだモチーフのひとつにすぎず、本人はむしろ「人物画家」を自負していたらしい。確かに三好達治、草野心平、室生犀星、萩原朔太郎ら文士を描いた肖像画は味わい深いものがある。でも晩年は、所有していた絵壺やフランス人形、バラの花など洋画の定番モチーフばかりになってしまったのが残念。
公式サイト:https://www.yokosuka-moa.jp/archive/exhibition/2023/20230422-741.html
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2023/05/04(木)(村田真)