2017年12月15日号
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artscapeレビュー

吉本和樹「撮る人」

2015年12月15日号

会期:2015/11/24~2015/12/06

Gallery PARC[京都府]

一眼レフカメラを構える西欧人男性。コンパクトカメラを構える、リュック姿の若い女性。中年の日本人男性もいれば、ベールをかぶったイスラム教徒の女性や、腕に入れ墨をした若い西欧人男性もいる。年齢、性別、人種も様々な彼らは皆、緑豊かな公園の中で、カメラをやや上方に向けて構えているが、視線の先にある被写体そのものはフレーム内から排除されている。
吉本和樹の写真作品《撮る人 A-bomb Dome》は、「原爆ドームを撮影する人」の後ろ姿を撮影したシリーズである。今年6月の二人展「視点の先、視線の場所」で見てとても気になっていた作品だが、本個展では同シリーズをまとまって見ることができた。《撮る人 A-bomb Dome》は以下の3つの観点から考えられる:(1)「撮影する人」のタイポロジー、(2)「ヒロシマ」を形成する視覚的イメージへの批評、(3)「盗撮」及びそのリスクを回避する身振り。
タイポロジーという視覚的文法は、同質性の中に差異を浮かび上がる構造を持つ。吉本の《撮る人 A-bomb Dome》の場合、「眼差しを向ける行為そのものを被写体とする」という入れ子状の構造の中に、年齢、性別、人種、カメラの機種、構え方といった様々な差異があぶり出される。一方で、同質性、つまり「眼差しを向ける行為」が集合化され前景化されることによって、この地が視線の欲望の強力な磁場であることが示される。ここで、吉村の手つきは二重、三重に両義的である。眼差しの過剰さに言及しつつ、視線の対象そのものはフレーム外へ排除することで、「ヒロシマ」という記号を視覚的に形成する力学を露わにしつつ、イメージの消費に陥ることを巧妙に回避しようとするのだ。また、一様に「原爆ドーム」というアイコンにカメラを向ける人々の後ろ姿を、真後ろから/左斜めから/右斜めからといった様々な角度から撮影し、空間的に並置することで、視線の均質なベクトルを解体し、多方向に拡散させてしまう。どこに視線を向け、何を撮っているのかが曖昧なまま、視線の過剰さだけが散乱する空間。撮影する彼らの姿を経由して、「何が視線の欲望を発生させるのか」「私たちは、いったい何を見ようとしているのか」という根本的な問いを吉本の写真は突きつける。
同時にまた、「後ろ姿を盗撮する」という行為は、予告なしに見知らぬ他人をイメージとして瞬間的に捕獲する路上スナップが、「肖像権」「プライバシー保護」といった論点から「盗撮」として断罪されることを巧妙にかわす、スリリングな身振りでもある。《撮る人 A-bomb Dome》は、視線の欲望、「ヒロシマ」の表象、「盗撮」といった、写真をめぐるアクチュアルな問題群を批評的に問い直す、優れたメタ写真である。

2015/11/28(土)(高嶋慈)

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