2017年06月15日号
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artscapeレビュー

死の劇場─カントルへのオマージュ

2015年12月15日号

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会期:2015/10/10~2015/11/15

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

20世紀ポーランドを代表する演劇家・美術家のタデウシュ・カントルの生誕100周年を記念して開催されたオマージュ展。身体的パフォーマンスをベースとしたポーランドと日本の作家7名1組が参加した。
会場に入って圧巻なのは、ギャラリー空間の中に劇場が出現したかのような会場構成である。手がけたのは、若手建築家の松島潤平。ガラスの格子窓で三方を区切られた「舞台」上には一脚の椅子が置かれ、反対側には階段状の観客席。そしてこの舞台装置、ギャラリーの壁、壁際に置かれた植木鉢や車輪は、下半分を真っ黒に塗られている。枯死したような木、打ち捨てられたオブジェ、「死と破壊、暴力の痕跡」を濃厚に感じさせる、まさに「死の劇場」を体現するかのような空間だ。周囲を取り囲むように配されたパフォーマンスの記録映像は、痛みや喪失、暴力の記憶を扱ったものが多い。例えば、「舞台」奥のスクリーンに展示されたヨアンナ・ライコフスカの《父は決してこんな風に私を触らなかった》。強制収容所への移送を逃れるための過酷な潜伏体験など、現実の過酷さから身を守るために「感覚の麻痺」をみずから編み出した父親と、肌を触れ合ってコミュニケーションの回復を行なおうとする作家とが、互いの存在を確かめ合うように顔の輪郭をなぞる行為が映し出される。また、アルトゥル・ジミェフスキの《80064》は、アウシュビッツ強制収容所からの生還者の老人にインタビューし、腕の入れ墨の番号を見せてもらい、消えかけた番号を彫り直して「修復」することを申し出て、押し問答になるまでのドキュメンタリーである。
これらの作品は、戦争中にポーランドが受けた深い傷の記憶に言及するものだが、一方で、日本側の出品作家、例えば丹羽良徳の《デモ行進を逆走する》《首相官邸前から富士山頂までデモ行進する》は、劇場という既存の制度の外に出て、街頭など公共空間でのパフォーマンスを行なったカントルの批判精神を受け継ぐものとして召喚されている。丹羽は、「デモの逆走」「登山者の列に混じって一人だけデモを行なう」といった集団性から外れる意志表示を行なうことで、「デモ」を規定する集団性や均質化の圧力からの逃走線をひくことを試みる。
それにしても、モニターでの展示映像が多いため、舞台空間のがらんとした不在感を強く感じてしまう。いや、生身の俳優が不在なのではなく、むしろここでは「舞台」と「客席」とその周囲をうろうろと歩き回る観客自身が、「作品と社会に対峙し、考えること」を遂行(パフォーム)する主体として要請されているのだ。


会場風景/左:ヨアンナ・ライコフスカ《父は決してこんな風に私を触らなかった》(中央)
撮影:来田猛(左右とも)

2015/11/14(土)(高嶋慈)

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