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artscapeレビュー

松本雄吉 追悼特集

2016年12月15日号

会期:2016/11/05~2016/11/18

シネ・ヌーヴォ[大阪府]

1970年に劇団・維新派を結成し、今年6月に逝去した松本雄吉の追悼特集として、初期の公演作品の記録映画から近作までを辿る企画。映像作品19本の上映が行なわれた。上映場所のシネ・ヌーヴォは、松本が棟梁となって維新派メンバーの手により内・外装が施工され、1997年に開館したミニシアター。赤レンガの外壁には金属製の巨大なバラの花や葉の装飾が付けられ、劇場内部の丸天井や壁には水泡が描かれ、クラゲのような装飾がシャンデリアのように垂れ下がり、ほの暗い海底から海面を見上げているような幻想的な雰囲気が漂う。レトロな感覚と手作りのこだわりが詰まった、とても雰囲気のある映画館である。
今回、筆者が見たのは、2010年に瀬戸内海の犬島に野外舞台を組んで上演された『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』。「《彼》と旅をする20世紀三部作」シリーズの最終章となったアジア篇であり、全長100m以上、丸太4000本を使った野外劇場で演じられた。生の舞台には及ばないものの、映画館のスクリーンは野外上演のスケール感を十分に伝えてくれる。また、今年10月に維新派最後の公演となった『アマハラ』は、本作を再構成した作品でもある。
冒頭と終盤で繰り返し語られる「黒潮」が本作の基底をなす。フィリピン沖で発生し、台湾、八重山列島を経由して、九州・四国の太平洋南岸へ至るまで、様々な島にぶつかり、分岐しながら流れてくる黒潮。劇中で語られるのもまた、明治期以降、黒潮を逆流するように海洋を南へと下っていく日本人の移民たちと領土の拡大だ。フィリピンでマニラ麻を栽培し、現地女性と結婚、太平洋戦争によって収容所送りにされた者。サイパン島に渡って綿花栽培で成功し、商売を旅館経営に拡大、更地から発展した街の繁栄を30年間見てきたが、米軍の「たった8時間の爆撃で」すべてを失った者。ヨーロッパ諸国と日本帝国による植民地獲得の年号や歴史的事件が羅列され、国家の大文字の歴史と個人史的な物語が交差する。
そうした語りに生き生きとした魅力を吹き込むのが、リズミカルなフレーズと身振りの反復だ。音韻を駆使し、言葉遊び的な要素も兼ね備えた単語の詩的な羅列と、船を漕ぐ、地軸が傾くように斜めに立つ、ツルハシをふるうといった身振りの反復。維新派独特の、集団による言葉と身振りのリズミカルな反復に身を委ねているうちに、地理的・時間的な隔たりを超えて複数の時空間が撹拌され、そのあいだを自在に往き来するような感覚がもたらされる。舞台美術として登場する「船」は、人々を乗せる船であると同時に、想像力を運ぶ船でもある。
「そこはどこですか?」「今はいつですか?」。人々は何度も尋ね合い、呼びかけ合う。「ここから、そこまで、いっけん、にけん」というフレーズが繰り返されるうちに、「ここ」と「そこ」の距離が縮められていく。犬島という現実の時空間から、様々な「島」へ。それはまた、海の道(黒潮の流れ)を辿り直すことで、航路の開拓や植民の歴史を(海によって地続きのものとして)犬島という「今ここ」に再接続する試みでもある。夕暮れから次第に夜の闇へと移り変わっていく空は、舞台を観客ともども包みこみ、戦争という極点とともに、時空間の感覚が混濁し、地理的・時間的羅針盤を失った狂気的な迷宮世界の暗闇を出現させた。
個人の半生を語る声、国家の歴史を告げる声、そして「島」の声や「波」の声など、万物のコロスとして集合的に語る声。そうした様々な「声」が多層的に響き合う世界は、トランクを携えて旅する少年が時空を超えて見た、夢幻の世界なのだろうか。

2016/11/17(木)(高嶋慈)

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