2018年04月15日号
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artscapeレビュー

2016年03月01日号のレビュー/プレビュー

『赤レンガダンスクロッシング for Ko Murobushi』(「〈外〉の千夜一夜 Vol. 2」)

会期:2016/02/18~2016/02/22

横浜赤レンガ倉庫1号館[神奈川県]

昨年初夏に逝去された室伏鴻がオーガナイズする予定だったイベントの一部を、桜井圭介と大谷能生のキュレーションで実現したのが、この公演。「ダンスクロッシング」の名称は桜井圭介がおもに吾妻橋のアサヒ・アートスクエアを会場に行なってきたタイトルを踏襲している。まるでコンピレーションアルバムのように、多数のアーティストの上演を一夜に収めるこのイベントらしく、今回も前半後半(をレコード盤の言い方を模してSIDE AとSIDE Bと呼び)に分かれ、毎夜7組(全9組)がパフォーマンスを行なった。レコード盤と違うのは、上演時間が予定をはみ出しトータルで4時間に及んだこと。その理由は推測するに、多くの上演が作品というよりセッションだったことにありそうだ。当日のパンフレットには、アーティストの名前が列挙されているが、作品タイトルは(わずかな例外を除き)記されていない。この場は、なるほどオマージュ対象の室伏のパフォーマンスに似て、アーティストの力量がダイレクトに発揮され、ぶつかり合う場であった。空間現代はucnvの動画(まるで油絵の具で描かれたような室伏の映像がスクラッチされる)の前で演奏し、岡田利規は旅についてのエッセイを朗読し、捩子ぴじんは安野太郎の楽器装置の前で踊った。ラッパーのJUBEと山川冬樹と大谷能生のセッションは圧巻だったが、力と力がぶつかり合えばそれだけ、室伏鴻のソロ・パフォーマンスとの違いに敏感になった。いや、室伏もしばしばセッションのパフォーマンスを行なった。そんな場で、セッション相手に優しくなる室伏にいつも不満だった。そう、セッションは人間的な部分が如実にあらわれるぶん、ソロの室伏が持っている構造的な側面、構造を揺るがすことでダイナミックな時間を生むといった方法的側面が消えてしまうのだった。方法的な衝撃が訪れないまま、激しいぶつかり合いが続いてゆく。core of bellsは、彼ららしい寸劇で、さりげなく「4’33”」の上演を行なった。観客が怒り出すのではないかとひやひやするくらい、無為の沈黙が続いた。こういう方法的なトライアルが心に残っている(彼らの上演にはタイトルがあった。『遊戯の終わり』)。ところで、このイベントで一番観客の心をざわざわさせたのは、間違いなく、客入れや幕間に流れたSEALDsや(おそらく)ECDのデモ中の音源だった。「ア・ベ・ハ・ヤ・メ・ロ」などのシュプレヒコールは、音楽にも聞こえるが、音楽的な表現という範疇をはみ出し、社会へと放り出された叫びだ。このイベントは見方を変えれば、この幕間のコールとその前後のアーティストの表現とがSIDEを交替し続けたものと、解釈することができる。表現において作家は自分自身の個の才能を発揮しようとする、そのぶん、内向きだ。「ア・ベ・ハ・ヤ・メ・ロ」のコールは、それを始めたのが誰かもわからない、匿名の抑揚であり、だから社会へと顔を向けている。どちらを抜きにしても、今日において「パフォーマンス」を語ることは難しい。そうした現状を明示したところが、筆者が見るに、このイベントの最大の成果だろう。そうか、室伏はSEALDsを知らぬまま逝去したのだった。でも、おそらく、たいして興味を示さなかっただろう。室伏はローカルにこだわらないノマドを志向したダンサーだったから。そう思うと、室伏という存在の特異性ばかりが、際立ってくる。

2016/02/21(日)(木村覚)

リバプール国立美術館所蔵「英国の夢──ラファエル前派展」

会期:2014/12/22~2016/03/06

Bunkamuraザ・ミュージアム[東京都]

リバプール地域の複数の美術館・博物館から構成されるリバプール国立美術館のうち、ウォーカー・アートギャラリー、レディ・リーヴァー・アートギャラリー、サドリー・ハウスが所蔵するラファエル前派を中心としたヴィクトリア朝絵画を紹介する展覧会。リバプールにヴィクトリア朝絵画の優れた作品が残されている理由は、ひとつにはロンドンの美術団体の反応が芳しくなかった初期のラファエル前派運動に対して、リバプール・アカデミーが彼らを受け入れ支えたこと。そして産業革命以降、イギリスの主要な国際港であり貿易の拠点となったリバプールには、経済的に豊かな企業家たちがおり、彼らがヴィクトリア朝絵画のコレクターであったことがあげられる。本展にコレクションを出品している三つのギャラリーのうち、ひとつは個人の邸宅、ひとつは私設の美術館であったこともまたリバプールにおけるコレクション形成の歴史を雄弁に物語っている。その点、美術史家クリストファー・ニューアル氏が本展図録に寄せたテキスト「リバプール 市民と芸術支援(パトロネージ)」(155〜159頁)に従って、この展覧会の作品の位置づけを見ても面白いと思う。
 サドリー・ハウスは、19世紀初頭に富裕な穀物商ニコラス・ロビンソン(1769-1854)が建てた邸宅で、その没後、1880年代に造船業で財をなしたジョージ・ホルト(1825-1896)の邸宅となった。蒐集品はほとんどがホルトと同時代の絵画で、自邸を装飾するために購入されている。レディ・リーヴァー・アートギャラリーは、ウィリアム・ヘスケス・リーヴァー(1851-1925)が亡き妻エリザベス・エレン・ヒューム(1850-1913)の記念として設立した私設の美術館。リーヴァーは雑貨商として石鹸の販売から製造へと転換して成功をしたリーヴァー・ブラザーズの創業者で、その優れたマーケティングでも知られている。ギャラリーがあるマージー川南岸のポート・サンライトは1888年にリーヴァー・ブラザーズの工場と労働者住宅が併設された村として建設された場所で、リーヴァの人気石鹸ブランド「サンライト」に因んで付けられた(リーヴァー・ブラザーズは1930年にオランダのマーガリン・ユニと合併してユニリーバとなり現在に至る)。リーヴァーは当初自社製品の広告用途に絵画を購入していたが、事業で成功を収めてからは美術品や骨董品の蒐集に乗り出した。ただし、リーヴァーは世代的にラファエル前派の画家たちよりずっと若く(ロセッティは1828年生、ミレイは1829年生、バーン=ジョーンズは1833年生)、彼の蒐集品は新しいものでも彼よりも一世代以上前のもののようだ。例えば本展に出品されているミレイの《ブラック・ブランズウィッカーズの兵士》は1860年の作品(このときリーヴァーは9歳)で、リーヴァーは1898年に他の蒐集家の元からこれを購入している。ちなみにレディ・リーヴァー・アートギャラリーには、イギリスの陶磁器メーカー・ウェッジウッド社のジャスパー・ウェアの世界最大のコレクションがあるが、その大部分はウェッジウッド社の創業者ジョサイア・ウェッジウッドの孫であるチャールズ・ダーウィンの旧蔵品で、18世紀後期の製品である。1877年に開館したウォーカー・アートギャラリーの収蔵品はリバプールのパトロンたちが形成したコレクションの遺贈品が中心となっている。作品の寄贈者名を何人か調べてみた範囲では大商人が多いようだ。リバプールで形成されたコレクションといってもその由来や蒐集のあり方は多様で、とても興味深い。[新川徳彦]

2016/02/22(月)(SYNK)

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没後100年 宮川香山

会期:2016/02/24~2016/04/17

サントリー美術館[東京都]

近年再評価が進む明治期の輸出工芸のなかでもその特異な造形が異彩を放つ陶芸家・宮川香山(初代、1842-1916)の作品と史料約150点を紹介する展覧会。作品の大部分は宮川香山やその周辺の陶工の作品を50年にわたって集めてきた田邊哲人氏のコレクションで、4階会場はおもに高浮彫と呼ばれる装飾陶器。そして3階会場は香山が後年取り組んだ釉下彩の磁器が並ぶ。やはり目を驚かせるのは高浮彫の壺の数々。ボディとなる器だけを見れば輸出向けの薩摩焼などとさほど変わらないのだが、その表面に絡みつき、あるいは胎土をえぐるような立体的な装飾には驚くばかり。浅浮彫の陶磁なら他にいくらでもある。しかし香炉の上に立体的な猫を乗せるとか、壺の側面をえぐって洞窟に見立てた中に熊の親子を彫り込むとか、騙し絵のように見える半立体の南天と鶉の組み合わせとか、壺から這い出ようとしているかのような2匹の蟹とか、この想像力はいったいどこから涌いてきたのだろうか。香山が高浮彫をはじめた理由は、当初薩摩風の作品を手がけていたけれどもこれは装飾に金を大量に消費するために貴重な金が海外に流出して国家の損害となることを憂い、それとは異なる装飾技法としてこれを生み出したからとされる。そうしたきっかけや彼の志は理解できなくはないが、それがこのような造形となって現われたことについてはもう少し具体的に、たとえば国内外の需要や他の工芸との関わりのなかで説明できないものだろうか。もとより香山が市場を志向していたことは間違いない。京都で代々陶業を営んでいた家の出身者が、陶磁器産地ではない横浜に移り住んだのは、ここが海外への輸出港だったからだろう。本展監修者の服部文孝・瀬戸市美術館館長は、「輸出品々々々と言って特別に外国向の品を作る様に思はれるが私等にはソンナ区別はない、私は何処迄も日本固有なものを保存し度いが一念である」という香山の言葉を引いて彼が「『日本固有の美の保存』を追求し続けていた」とするが(本展図録、8頁)、はたして額面通りに受けとってよいものか。日本固有の美というならば、なぜ伝統のある京都から横浜に出てきたのか。高浮彫の起源は日本の陶磁のどこに求められるのか。なぜ途中で技術が異なる釉下彩磁器へと転換したのか。と、疑問は尽きない。そもそも香山の作品は他の明治工芸同様日本人のためにつくられたものではなく、ほとんどが輸出されたために、コレクターたちが海外から里帰りさせはじめた近年になるまで作品もその名も忘られていたのではなかったか。ともあれ、田邊コレクションの一部はこれまでに神奈川県立歴史博物館でその一部が展示されていたものの、これだけの規模の展覧会は他の方のコレクションも含めて初めてだと思う。研究はこれから進んでゆくに違いない。
 なお、コレクターの田邊哲人氏は「スポーツチャンバラ」の創始者で日本スポーツチャンバラ協会・世界スポーツチャンバラ協会の会長である。世界中にお弟子さんがいるそうで、そのネットワークは貴重な作品の蒐集にも役立っているそうだ。
 本展は大阪市立東洋陶磁美術館(2016/4/29~7/31)、瀬戸市美術館(2016/10/1~11/27)に巡回する。[新川徳彦]

関連レビュー

世界に挑んだ明治の美──宮川香山とアール・ヌーヴォー:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2016/02/23(火)(SYNK)

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ガレの庭──花々と声なきものたちの言葉

会期:2016/01/16~2016/04/10

東京都庭園美術館[東京都]

19世紀末のヨーロッパを彩った装飾様式であるアール・ヌーボーの立役者の一人、エミール・ガレ(1846-1904)は、植物学に情熱を傾けた人物でもある。自邸に設けた広大な庭に3,000種におよぶ植物を育て、植物学と園芸に関する論文を40本以上も発表し、1877年に創設されたナンシー中央園芸協会の創設者のひとりで、事務局長を務めたのちに副会長に就任し、科学者たちとも交流を持っていた。本展はそうしたガレの創造の源泉としての庭、すなわちガレが作品のモチーフとした植物や花、そして虫たちに焦点を当てた企画。北澤美術館のコレクションを中心に、ガラス作品ばかりではなく陶器や家具もあり、またオルセー美術館からは作品のデザイン画が出品されている。アール・ヌーボーの美術というと流れるような曲線を用いた様式化された図案をイメージするが、こと植物モチーフを見るかぎり、ガレの作品は意外なほどその様態を忠実に描き出している。
 2014年11月のリニューアル・オープン以来、東京都庭園美術館本館の展示構成には空間インスタレーションの趣を強く感じる。本展もまた外光あふれる展示室に、邸宅の所有者がコレクションを飾っているかのようにガラス作品が配されている。本館入り口で渡される二つ折りの紙は1904年に白血病で亡くなったエミール・ガレの未亡人アンリエットが来館者に宛てたメッセージ(内容はフィクション)。つまり本館の建物をガレの自邸、窓の外に広がる庭園を「ガレの庭」に見立てているのだ。
 とはいうものの、本館の建物は1933年に建てられたアール・デコ様式の館である。ここがガレが亡くなって約30年後の空間であることを考えると、この建物の所有者だった朝香宮夫妻の父母あるいは祖父母の時代のコレクションが本館展示室に並んでいると見立てることもできよう。また、アール・デコの空間にアール・ヌーボーの作品が展示されたことで、両者の様式の特徴、相違がよくわかる点はこの展示空間の効用だと思う。
 なお今夏にはサントリー美術館でもガレの展覧会が開催される(生誕170周年──エミール・ガレ、2016/6/29~8/28)。日本人は何故にかくもガレの作品を好むのか。それまでに考えておきたい。[新川徳彦]

2016/02/25(木)(SYNK)

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超絶技巧──世界を驚かせた焼物「吉兆庵美術館蒐集 真葛香山展」

会期:2016/02/17~2016/02/28

日本橋三越本店新館7階[東京都]

サントリー美術館で始まった宮川香山(真葛香山)展は初代の作品に焦点を絞ったものだが、こちらは初代から三代までの仕事を紹介する展覧会。「超絶技巧」というキャッチコピーとともにチラシにあしらわれた蟹はややミスリーディングで、その言葉と画像から期待される初期の高浮彫はない。出品されている初代の作は釉下彩磁器が中心で、他に大観が絵付けした茶碗など。チラシにある高浮彫の蟹は初期の作品ではなく、東博が所蔵する《褐釉高浮彫蟹花瓶》(明治14年/1881年)を初代香山自身が大正4年(1915年)に再制作したものの1体で、同様のものがサントリー美術館の田邊コレクションにも出ている。香山の仕事の特徴は初代の初期においてはその奇想的な造形にあり、その後は美しい釉下彩磁器を実現した釉薬と焼成の技術にあり、これらを「超絶技巧」と称するのは安易に過ぎよう。また解説パネルは概ね初代の業績について触れているにもかかわらず、その下の展示品が二代三代が混在していることや、個々の作品の制作年代が示されていないことは残念だ。とはいえ、吉兆庵コレクションの作品自体は良いものである。二代三代の花瓶に花を生ける展示は美術館博物館では考えられない大胆さ。「真葛窯展」というタイトルにして、初代から昭和20年5月29日の横浜空襲で三代宮川香山と職人たちが亡くなり真葛窯が途絶えるまでの歴史を追った構成ならばずっと良い展示であっただろうと思う。[新川徳彦]

2016/02/25(木)(SYNK)

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