2021年12月01日号
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artscapeレビュー

彫刻家 高村光太郎 展

2013年09月01日号

会期:2013/06/29~2013/08/18

千葉市美術館[千葉県]

日本近代の彫刻家にして詩人の高村光太郎の回顧展。光太郎によるブロンズ彫刻や木彫をはじめ、師であるロダンや同時代の萩原守衛、中原悌二郎、佐藤朝山らによる作品、そして妻智恵子による紙絵など、あわせて130点あまりが展示された。そのうち60点近くを智恵子の紙絵が占めていたことは、展示のバランスを著しく阻害していたため、あまり感心できなかったが、それでも希少な作品を堪能できた。
ひときわ印象に残ったのは、光太郎による木彫作品。蝉や柘榴を彫り込んだ作品には、単なる写実的な再現性を超えた魅力がある。ブロンズ彫刻に生命や死を本質的に表現しようとする鬼迫がみなぎっている反面、こうした木彫にはデッサンをそのまま立体化したかのような朴訥とした味わいがあるのだ。それは、決して肩肘を張らない今日的な「脱力感」というより、いかように整えても私たちの肌に馴染む極めて基礎的な「質感」を表わしているように思えた。
事実、光太郎の木彫は、父光雲の指導を受けた幼年期を別にすれば、留学からの帰国後、しばらく彫刻から離れていた時期に制作されたものが多いらしい。西欧近代の彫刻を日本に根づかせようとして苦闘した光太郎が、しかし、その大きな限界に向き合ったとき、木彫という原点に立ち返ったわけだ。そのことの意味は決して小さくない。
光太郎にしろロダンにしろ、ブロンズ彫刻を見なおしてみると、その仰々しさが鼻につかないでもない。頭部や手を部分的に再現したそれらは、劇的に形象化されているため訴求力は高いが、その反面、色彩の乏しさと過剰な量塊性が私たちの喉元を通りにくいことも事実だ。木彫のやさしさと比べると、そのえぐ味がよりいっそう際立つと言ってもいい。光太郎の苦悩は、かつて吉本隆明が指摘したような「世界意識」の相違もあったに違いないだろうが、より直接的には「生理的」な問題が大きかったのではないだろうか。

2013/08/01(木)(福住廉)

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