artscapeレビュー
捩子ぴじん『no title』(「トヨタ コレオグラフィーアワード 2014 ネクステージ最終審査会」)
2014年09月01日号
会期:2014/08/03
世田谷パブリックシアター[東京都]
2002年の第1回から12年、今年で9回目となる「トヨタ」で、ぼくがもっとも優れた上演であると判断したのは、捩子ぴじんの本作だった。今年冬の『空気か屁』も印象的だったが、F/Tでアワード受賞をはたした『モチベーション代行』も含め、捩子ぴじんの上演に特徴的なのは毎回その様式が異なるということだ。その点でいえば、神村恵と福留麻里が参加した『syzygy』のアイディアはまさに前代未聞、空前絶後だった。捩子ぴじん本人は大駱駝艦に所属したこともあり、舞踏をベースにした優れた踊り手だ。ただし、その能力をほとんど封印して、演劇ともダンスともつかない、ユニークでしかしいま見るべきと思わせる上演を続けてきた。あえて共通点をあげるならば、捩子ぴじんの上演にはドキュメンタリーの要素が濃い。そして、そうした作家の傾向をあらかじめ了解したうえで見ると、本作もまさに出演する二人の、ダンサーとしての出自を問うところに重点を置いたものだった。捩子ぴじんと共演するYANCHI.は、ハウスダンス出身のダンサー。二人は横に並んで、舞踏とハウスダンスという別々のテクニックを交換し、それぞれが踊りのなかで両者を掛け合わせた。そこに生まれたのは、快楽要素の強い、しかし同時に奇妙きてれつな踊りだった。体内に宿してしまったエイリアンが自己主張を始めているかのように、外見上はハウスダンスを踊る捩子ぴじんの体には、舞踏的な痙攣的運動が顔を覗かせる。だからといって、二つのダンスがぶつかり合い、結果共倒れになるわけではない。奇妙な掛け合わせは、その奇妙さを残したまま、しっかりと進んでいった。そこには、シンプルにいって美しさがあった。ダンス的な快楽があった。その点において本作は他の上演を圧倒していた。とはいえ本作は「次代を担う振付家賞」の受賞を逃した。逃した理由というものがあるしたら、まさにその点においてだったのかもしれない。優れたダンスだった、それ故に、そのことの評価だけで片付けられてしまったかもしれないということだ。彼がいまコラボレーションしている作家がYANCHI.のほかにもう一人いる。韓国の振付家イム・ジエなのだが、彼女との作品制作とも関連するであろう捩子ぴじんの目下の関心に、出自の異なる者たちとの交流という事柄がある。本作でもそうしたコンセプチュアルな事柄を彼は扱っていたのだが、エステティックな側面、つまり快楽の要素が明瞭なために、コンセプチュアルな側面が弱まってしまった。ただ踊っている。多くの観客にはそう見えてしまったかもしれない。言い換えれば、コンセプチュアルな側面を明示するための編集作業が疎かだったのではないか。『no title』というタイトルに、それが示されているようにも思う。しかし、難しい。エステティクな快楽も悪くない。あんなに長い時間、あんな風に生き生きと踊っている捩子ぴじんが見られただけで、個人的には眼福だったのだ。
2014/08/03(日)(木村覚)